ウル=ニコ商会は、二階建ての小さな家にあった。
扉には茨の飾りが施されている。隣の家は屋根の修理途中なのか、梯子が掛けられたままだ。
「どうするんだ」とアッシュ。
「店はもう閉まってる時間だ。鍵を売る相手はいないんじゃないか」
通りは暗く、視界は悪い。目抜き通りから少し入った所にあるので、人影はなかった。
「明日まで待つ、と私が言うと思うか」
ヴェロニカは梯子を見る。
「質問の意味がちょっと分からないな」
「侵入だ」
「意味ないだろ」
「一筋縄でいくと思ったか? 交渉を有利にする為なら、事前の準備は怠らない事だ」
「お金を稼ぐって難しい」
「学習したな、嬉しいよ」
梯子を上る事になった。
**
隣の家の屋根から、ウル=ニコ商会の屋根へと移る。高い所に行くと、夜の寒さをより強く感じる。微かな光の灯る民家が、ぽつぽつと見えた。
「バランスを崩すな」とヴェロニカ。
「俺が自殺志願者に見えるか?」
「借金ってのは、死ぬのに十分な理由だ。ベランダに下りるぞ」
裏側に一メートル程の幅のベランダがあった。
「マジか」
ウル=ニコ商会の二階にあるベランダを見下ろす。飛び降りるとなると、足がすくんだ。
「一生ここで暮らすつもりだったとはな」
ヴェロニカが先にベランダへと降りる。見事に着地音が消えていた。
「待て。俺はそんなに上手く降りられない。大きな音が立つ」
「やっぱりそこで暮らすのか。お別れだな、残念だよ。まぁ屋根の上だし、暮らすにはいいんじゃないか。日当たりもいい」
「待て、待て」
「膝を使え、目は閉じるな」
「行くぞ」
「宣言はいいから実行しろ」
飛び降りた。着地と同時に膝を曲げる。
「うっ」
結果的に尻餅をついた。目を開く。見下しているヴェロニカがいた。
「どんくさい」とヴェロニカ。
「何も出来ないんだな」
「誰にだって初めてはある。次は宙返りだってしてやるさ」
「自分が間抜けだ、と自白するお前が羨ましい。さぞかし単純な人生を送っているんだろうな」
「見せてやりたいよ、俺が見てる光景を」
「静かにしろ。入るぞ」
ヴェロニカが窓枠を掴み、上に押しやる。窓が開いた。
「開いてるもんなんだな」
アッシュは呟いた。
「閉じいてたら割ったまでだ。つまり、窓は常に開いてる事になる。強者の理論だ」
ヴェロニカは小声で喋る。
「ならず者の理論だろ」
「言っておくが、お前も同罪だからな」
「それは何の理論だ」
「名をつけるなら、運命だ」
二階へ侵入する。
**
明かりのない部屋。棚と机、それに丸められた絨毯が並べられている。ベッドはない。
机の上には短い蝋燭と、開かれた台帳と思しき本が一冊。
「誰かいるか?」とアッシュ。
「見れば分かる」
誰もいない。
ヴェロニカは机に近づき、台帳に触れる。指でなぞり、複式簿記を読んでいる様だ。
「何かあったか?」
アッシュは何をしていいか分からない。
「いや、普通の帳簿だ」
試しにアッシュも覗き見る。帳簿は店の全てを知る、貴重な手掛かりだ。
ヴェロニカは黙ってページを捲る。
「お前の名前がないけどな」とヴェロニカは台帳から目線を外す。
「取引をしたのは二週間くらい前だ」
アッシュも台帳を調べた。
「あったか?」
ヴェロニカが言った。
「そんな目で見ないでくれ」とアッシュ。
取引の記録は残されていなかった。
「裏帳簿があるな」
ヴェロニカは一階に下りていく。アッシュも続いた。
一階にも、同じく絨毯が並べられていた。色、大きさ、模様は様々だ。
「一見すると全うな店にも見える」
ヴェロニカはカウンターの向こうへ。
「記録していないかもしれない」とアッシュは言った。
ヴェロニカはカウンターの向こうにある本棚を見る。並べられた本の背表紙を押したり、引き出したり、何かを確認している。
「いや、裏帳簿はある。ジントゥーラのやり方なら分かってる」
「自信があるんだな」
「生まれながらの勝者だからな」
「意外ではないな。なんていうか、アンタはそんな感じだ」
「ここらか」
ヴェロニカが数冊の本を取り出し、カウンターへ避けた。
「コイツらだけ埃がない」
本が抜けたスペース。本棚の奥に、ヴェロニカが手を伸ばす。
「どうした?」とアッシュ。
ヴェロニカの体が傾く。肘の先まで本棚へ入っていく。
「隠し戸だ」