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第6話 イリーナ

「奴に渡したのは?」とヴェロニカ。


 壁から背中を離す。黒猫が床に降りた。家の中を歩き出す。


「家の鍵だよ。アイツならいつでも歓迎だ」

「本物の鍵は私が預かる」

「俺には荷が重い」


 鍵を放った。


「なかなかの魔導士だったな」と鍵を手にとってヴェロニカ。


「顔は見えなかったぞ」

「いつ顔の話をした?」

「悪い悪い。ちょっとそこで待っててくれ、今ショノフの店の名前を探す。ここら辺に手紙があった筈だ、多分」


 足元に散らばった紙を見る。

「ああ、丁度あった。これだ」


 その内の一枚を手に取った。ヴェロニカに渡す。


「ウル=ニコ商会ね」


 ヴェロニカは呟く。


「通りの名前もあるだろ」

「ああ、ショノフのダレン通りだ。扉に茨の飾りが付いている、とある」

「これで場所は分かったな。じゃあこれでいいか? 鍵も渡したし、店の名前も場所も教えた」


 アッシュは言った。


「ん?」とヴェロニカ。


「何だよ」

「お前、まさか抜けようとしてるのか」

「いや――」


 もう手に負えない。家も荒らされ、魔導士まで出てきた。出来れば関わりたくない。


「ここで抜けたら、多分だが、殺されるぞ。まぁこれは私のささやかな意見に過ぎないが。お前はどう思う」

「俺はそうは思わない。危険はアンタだ」


「阿片だぞ、これは金になる」とヴェロニカ。


 遂に本音を口に出した。


「ジントゥーラの絡んだ阿片の密売だ。おまけにこの鍵とさっきの魔道士、それにお前の家も荒らされている。誰だか分からない魔道士は、お前の家を知っていた。

多分、エドワールと仕事をし始めた時から尾行されていたんだろうな。お前は阿片密売の片棒を担ぎ、しかも相棒が死んだ今、片棒どころか全てを一人で背負ってる。

家も割れ、この分なら名前も何もかも割れてる。これから毎日、朝日を拝む度に生きてるって事、ただそれだけに感謝する素晴らしい人生が待ってる訳だ。そういう人生に憧れるか?」

「説明が上手いんだな。感激したよ」

「私と一緒にいた方が安全だと言っている。それにお前は、私に返す物がある筈だ」

「何だかんだ言って、アンタも危ない状態なんだろ。俺は何かエドワールに関する情報を知っている可能性もあるし、手元に置いときたい。違うか?」


 アッシュが言い終えると、ヴェロニカが近付いてきた。


「お前、やっぱ勘違いしてるな」


 ヴェロニカがアッシュの鳩尾に拳を食らわした。胃が上がってくる。鈍い痛みが腹に纏わりつく。


「自分に価値があると思ってるなら改めた方がいい。私を面倒に巻き込んでおいて、このクソ馬鹿野郎が。阿片に魔導士、それに忌々しいサウスボンスのクソったれ諜報員。これはお前の言う通り、私も非常に不味い。そんなの言われなくても分かってるる、クソが。

だがな、この私はこの事件を探って、命乞いをしようなんて思っていない。お前、巨大な蜂の巣を見たら、どう思う」

「危ない、かな」

「私は蜜だよ、甘い蜜だ。分かるな?」


 あくまでヴェロニカの狙いは金だ。この騒動に首を突っ込んで、阿片に関わる金を狙ってる。


「いいか、この鍵は売れる。ウル=ニコ商会の関係者は喜んでこの鍵を買う筈だ。阿片と奴らを繋ぐ証拠だし、あの魔導士が欲しがるくらいだからな。金になる」

「悪党相手に商売かよ。危険過ぎる」

「意見するな。金を返すまで私の犬だ、という事を忘れるなよ」

「態度は改める」


 痛みの響く、腹をさすった。


「だからもう暴力は無しにしてくれ」

「いいだろう」


 ケツを蹴られた。


「朝になったらショノフに行くぞ。準備してくるから、お前はその妹をどこかへ非難させておけ」


 ヴェロニカは黒猫と一緒に、部屋を出て行った。


**


 グラオトレイの中央に流れるイルタック川を渡って、この街で一番栄えているリッチ通りへ。通りを二本奥へ入ったパン屋が、アッシュの妹、イリーナの住む家だった。

 アッシュは扉を叩く。扉に掛けてあった、パン職人組合が定めた飾りが揺れた。


「ちょっと何、こんな時間に」


 日付が変わる手前だった。疲れた声の女性が出てきた。

 弛んだ頬と深いほうれい線に、顎の肉が重なる太った中年女性。大きなシーツを一枚、素肌に被って出てきた。


「イリーナは?」とアッシュは中年女性に言った。


「あぁ、アッシュかい」



 中年女性はイリーナの母親だった。名前はトレシア。アッシュの母親ではない。イリーナは腹違いの妹だった。


「イリーナは無事か?」

「上で寝てるよ」


 気怠そうトレシアが答える。


「イリーナをどこかに避難させてくれて」


「何かトラブルかい?」とトレシア。


「ちょっとしくじって」

「詳しくは話せないって訳ね」

「流石、勘がいい」

「私の心配は? 私は逃げなくていいってのか?」

「アンタも逃げた方がいいかも」

「控えめだねぇ」


 トレシアが皮肉を言った所で「お兄様――」と奥から声が聞こえてきた。イリーナだった。

 掴まると話が長くなるし、妹には嘘を吐きたくない。


「俺は行く。とにかくイリーナを二、三日どこかへ預けてくれ」

「はいはい。出来たらやっとくよ」


 クソ、トレシアめ。


「頼むから。二、三日でいいんだ。ここじゃない場所へ預けてくれ」

「分かったから、早く行きな」


 トレシアの対応が不安だ。だがもう行くしかない。ヴェロニカが待ってる。

 アッシュは念を押して、その場を去った。

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