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第3話 裏返した絨毯

 アッシュは動きを止めた。


「おい、どうした」


 再びヴェロニカの声。

 アッシュは先へ。二歩の距離を、慎重に進めた。ヴェロニカも室内に入ってくる。


「血か」


 ヴェロニカの呟きが聞こえた。足元に広がる滑りは、血溜まりだった。


「どういう状況だ」とヴェロニカは続ける。


「困った事になった」


 アッシュは言った。


「お前じゃない、お前の友達だよ」

「同じだ。困っていたみたいだ」

「過去形だな」

「もう過去の人だからな」


 男が死んでいた。


「何だよ」


 足を止めているアッシュは、肩を掴まれる。振り向くと、ヴェロニカがナイフを抜いて首元に押しつけてくる。またヴェロニカの肩から、黒猫が床へ降りた。


「騙したな」


 ヴェロニカの目を見ると鳥肌が立った。


「ぶっ殺してやろうか」


 刃の冷たい感触が首に伝わる。恐怖で顎が上がった。動けない。


「知らなかった」とアッシュ。


 震えていた。


「俺だって同じだ、驚いてるんだ」

「この落とし前、どうつけるつもりだ」

「金はあると思う」

「思う? 思ってるだけじゃガキと変わらない」


 たぶんないだろう、と思った。だがこう告げるしかなかった。


「私の金は返せるな?」

「返せる」

「絶対か?」

「俺は嘘を吐いた事はない」

「探せ」


 解放された。力が抜け、深呼吸をしていた。刃を当てられていた首元を確かめる。切られてはいなかった。


「早く探せよ」

「分かってる」

「コイツの名前は何だったっけ?」


 ヴェロニカは屈んで、床で横たわる塊の顔を上に向ける。


「アンタらしくないな。記憶力があるかと思ってた」

「エドワールだろ、覚えてる。お前を試したんだ。こっちへきて本人か確かめろ」


 アッシュはヴェロニカの隣に立って、死体を見た。丁度、黒猫も視界に入る。


「間違いない、エドワールだ」


 死体に黒猫。悪魔の組み合わせだ。


「死体と仕事をした訳じゃないよな」

「俺がそんな愉快な男に見えるのか」

「お前は不愉快だ。探せ」

「探してる」

「黙って動け、のろまが」


 ヴェロニカは椅子を引き、腰掛けた。その膝の上に、黒猫が飛び乗る。

 クソ。自分は働かないつもりだ。


「名前はつけないのか、その黒猫に」


 アッシュは机の引き出しから棚、木箱、壷の中を覗いて周る。


「必要ない。コイツが勝手について来てるだけだ」

「猫、好きだろ」

「大嫌い」

「あっそ」


 探索を続ける。


「これじゃ泥棒だ」


 アッシュがぼやく。


「確かにな。お前は私の金を盗んだ」とヴェロニカ。


「今返す。もう直ぐだ。もうお別れだよ」

「直ぐ、が遠いぞ」

「アンタよく死体の前で座ってられるな」


 話を変える。


「道にあるのと変わらない」

「そうか? 俺は落ち着かないよ。やっぱり生きてる時に、話した事があったからかな」


 死体には見慣れているつもりだったが、知り合いの死体が突然現れるのは初めてだった。


「見つかったか?」

「待て」


 壷の封を開けた。蝋で封してあったが、短刀で切り裂いた。壷の中から匂いがした。覗き込み、中身を確認した。


「何だ?」とヴェロニカ


「阿片だ――」


 子供の拳程の大きさの阿片の塊を取り出した。無数の草臥れた、白い花弁で包まれていた。一枚剥がす。粘土の様な黒い塊がみえた。鼻に近付ける。確かに、阿片の匂いがした。


「貸せ」


 ヴェロニカも鼻に近付けて匂いを確認した。


「阿片だな」と一言。


 笑っている。


「だが私は死体と阿片が欲しいなんていった覚えないはないぞ。金はどこだ」

「これだけっぽい」


 見つけたのは、二枚の銅貨と七枚の硬貨だった。ヴェロニカはアッシュの手を払った。床に金が散らばる。


「ガキの小遣いじゃないんだ」

「すまない」


 ヴェロニカは舌打ちをし、顎に手をやり何かを考え始めた。


「恐らく、エドワールという男は阿片の密売人だった」


 ヴェロニカは言った。


「部屋は――私達が来た時は荒らされていなかった。今はお前が荒らしまくったが、来た時は違った。だろ?」


「ああ」とアッシュは同意する。


「という事は、強盗目的の犯行ではなく、エドワールは何かのトラブルで始末された。だが私の金はない。どういう事か分かるか」

「俺がエドワールを殺して金を奪った、と思ってる?」

「自惚れるな。私はお前をそこまで評価していない」

「夢を見た。御免よ」

「私はお前以外の肝っ玉の据わった奴が私の金を奪った、そう思ってる」

「アンタの金って……」

「じゃあ、お前の金なのか」

「俺とアンタの金だろ。報酬は二万ギル。一万二千はアンタで、八千は俺の物だ」

「金の勘定は出来るみたいだな」

「頭いいんだ、俺」

「それ馬鹿の決まり文句だぞ」


 ヴェロニカはエドワールの死体を漁り始めた。ズボンとシャツのポケットに手を突っ込み、腰に下げていたナイフを調べ始めた。

 アッシュは机の引き出し、隅にあった指輪を見つけた。ヴェロニカはナイフに夢中の様だ。指輪は高価な物の様な気がする。リングが太く、上に乗る宝石は赤い。リングをよく見ると、二重になっていた。内側と外側の輪がある。


「何だこれ」


 外側の輪を回転させてみると、宝石を乗せている台座から、爪程度の長さの刃が飛び出した。


「うわっ」


 両手で持っていた為、驚いて左手の小指を切ってしまった。


「どうした」

「指輪だ。刃が仕込まれてた」

「だろうな」


 ヴェロニカは納得している様だ。


「どういう事だ」

「コイツ、諜報保安委員会の者だ。ジントゥーラだよ」

「ジントゥーラ?」

「サウスボンスの諜報員だよ」とヴェロニカ。


 グラオトレイが属する、バヤジッド帝国の隣国にあるのがサウスボンスだった。


「甘い響きだな」

「バヤジッドの民からしたら一応、敵国だからな。このナイフ、魔導が付呪されてる。魔導の文はサウスボンスのジントゥーラ達が使うものだ。柄に細かく刻まれていた」

「確かなのか、何故分かる?」

「聞いてどうする」

「いや、悪かった」


 アッシュもそうである様に、語りたくない過去もある。


「コイツ信心深いのか?」


 ヴェロニカが一枚の紙を拾った。


「ラマ教の集会に行くのか」

「ああ、それか。俺がエドワールに渡した。楽園派の説法だよ、今週あるんだ」

「お前は信心深く見えない」

「じゃ何に見える」

「クソ馬鹿野郎」

「酷いね。ま、楽園派についてだが、新しい派閥の事だ。だから新規のお客さんが欲しくて、教会税が安い。長老派は十分の一の税だけど、こっちは十二分の一の税だ。俺も楽園派に鞍替えして節約しようと思ってな。それでエドワールも誘った。世間話の一つだよ」

「金のない奴に限って、金の話ばかりする。私がそれを知らないと思うか。金を取り戻すぞ」

「取り戻す? 誰から?」


 ヴェロニカがエドワールの死体を爪先で小突いた。


「相手は諜報員なんだろ?」とアッシュ。


「そうと決まったわけじゃない。こいつがジントゥーラで、阿片の密売をしていただけだ。そして何者かが私の金を奪った」

「だけど……」

「お前、自分に選択肢があると思うな。私の金を奪われたのは、お前の責任なんだぞ」

「分かってる」

「どうだかな。お前はこれから金の回収が済むまで、私の奴隷だ」


 何が奴隷だ。阿片が見つかった時に笑っていた。金の匂いを嗅ぎ取ったくせに。恐らくヴェロニカは一万二千ギル以上を狙ってやがる。

 黒猫がヴェロニカの肩に飛び乗った。もうそこが定位置だと思ってる。


「どうするんだ」とアッシュ。


「猫の名前か?」

「いや、違う。これからの事だよ」

「お前が私に指図するのか。お前、私がさっき言った事を覚えているか」

「俺は奴隷だろ」

「分かってるなら、自分がどんなに愚かな事をしたかも理解出来たな」

「謝る、謝るよ」

「金を返せない奴は本当にクソだ。エドワールと何の仕事をした。まずそれを話せ」

「俺の稼業は知ってるよな?」

「零細のクソ仲買人だろ。何でも扱うらしいな」

「仲介出来るのなら何でも手を出す。それがアッシュ・ルーランド商会だ」

「それで?」

「絨毯を仕入れてくれと言われた」

「可笑しな点はあったんだろう」

「決めつけた言い方だな。けどその通りだ、ショノフって町は知ってるか?」

「北の炭鉱だろ。見所のない場所だよ」

「そうだ。そこにある店から仕入れてくれ、という話だった。町や店まで指定されるやり方は珍しい、というか初めてで」

「理由は」

「絨毯一枚で二万ギル出す、と言われた」

「つまり聞くなって事か」

「綺麗な仕事じゃないとは分かったが、断る理由もなかった」

「その奇跡の絨毯は? 金を貰うつもりだったって事は、納品済だろ」

「そこにある」


 アッシュが部屋の隅を指した。丸まった赤い絨毯があった。


「早く言えクソボケ。持って来い」とヴェロニカ。


 指示に従った。


「広げろ」

「はいはい」


 丸まった絨毯を放り出した。


「しっかりやれ、馬鹿が」


 ヴェロニカが足で絨毯の端を広げる。

 赤のベースに白い模様が編み込まれていた。幾何学とは違う模様。


「魔導が編み込まれているのかと思ったが、違う様だな。これに二万ギルとはね」

「空飛ぶ絨毯には見えないな」


 左右を結ぶ様に、真ん中に白い線。それを中心に上下にも、白い編み込みが巡らされている。


「アッシュ、明かりをつけろ」


 火口箱を取り出し、アッシュは蝋燭に火を灯す。燭台を絨毯の上へ。模様の上に、ヴェロニカの影。


「裏返せ」


 アッシュは燭台をヴェロニカに渡し、絨毯を裏返した。模様が引っ繰り返る。編み込みの裏側なので、表程は美しくない。


「これって……」 


 アッシュは閃く。


「絨毯なのは分かってる。何か思いついたなら、その先を言え」

「期待してもいい、多分俺が正解だ」

「回りくどい、早く言え」

「これは、グラオトレイ近郊の地図だ――」

「地図?」

「ああ、この街が編み込まれている。ほら、この真ん中の左右に流れる線はイルタック川だ。そうするとここが俺達のいる名もなき通りで、ここは第四門。これはマリアーヌ宮殿に、聖母グリウェン教会だろ。後、ここは……」

「もういい、黙れ。私は観光に来た訳じゃない」

「でも分かったろ?」


 アッシュが言った。


「ああ、ここが目的地だ」


 ヴェロニカが踏みつける。

 第三門近くに、黒い糸で編み込まれた丸い模様があった。


「シロ通りの外れだな」とアッシュ。


「メモを取れ」


 アッシュは机にあった紙に、地図を簡単に書き写す。


「行くぞ、ついて来い」


 アッシュに選択肢はなかった。死体を見る。どうもする事は出来ない。記念に刃の仕込まれた指輪を持って行く事にし、小屋を出た。

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