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第2話 予感

「お前、どこにいた」


 アッシュはヴェロニカに襟を掴まれ、壁に押しつけられた。アッシュは答えられない。


「おい、一週間は何日だ」


 ヴェロニカの質問は続く。


「一日は何時間だ、今日は何日だ。私の記憶が間違っていなければ、今日は返済を約束した日だろ。お前が私から金を借りてから、十日が経ったんじゃないのか。あぁ?」


 何度も壁に叩きつけられた。


「悪かった。本当に謝る」


 アッシュが呟いた。


「金はどうした」と繰り返すヴェロニカ。


「金はある」

「利子も入れて、一万二千ギルだぞ。安い金じゃない」


 この貧困地区なら、半年は凌げる額だった。


「今すぐ出せ」

「今は持ってない」

「クソが」


 叩かれた。地面に落とされる。


「いいか、私から金を借りる奴には二種類の人間がいる。返済日になったら素直に金を返すクソ野郎と、返済日になっても金を返さず、私から金を騙し取れると思い込んでいる挙げ句、追い込みをかけられて顔を腫らし指を折られ、汚物塗れになって泣きながら許しを乞い、奴隷となって私に金を返すクソ野郎だ。お前はどっちだ、どっちのクソだ。あぁ?」

「ここにはない、仕事をしたんだ。今日、金を貰える」

「じゃあ何故さっき、金はあると言った」

「言葉のあやだ。けど仕事をしたから、金はある。今日貰える事になってる」

「幾ら」

「二万ギル」

「どこにある」

「依頼主が持ってる」

「そのクソボケ依頼主はどこだ」

「さっきいた酒場に来る筈だったが、来なかった」

「お前、騙されたのか?」


 背筋が冷たくなる。もし騙されていたら、ヴェロニカの金は返せない。


「エドワールって男だ。家も知ってる、大丈夫だ」

「今から行くぞ、案内しろ」

「待ってくれ。依頼主の家には押し掛けたくない。初めての取引だったし、額も大きい。これから末永く付き合っていきたいんだ。印象を悪くしたくない」


「指を折られたいみたいだな」とヴェロニカ。


 アッシュは観念した。


「分かった、案内する」


 黒猫が鳴いた。


**


 貧困街カルジーナ地区。名もなき通りの端から小路へ。グラオトレイの街を割る様に、中央に流れるイルタック川の近くだった。

 小さな平屋、窓は一つ。埃と汚れで中は見えない。屋根は何度か補修された後がある、中々のボロ屋だった。


「ここだ」


 扉には装飾も看板もない。何かの商店の様には見えなかった。


「金がなかったらどうなるか、分かっているな」

「殺されてアンタとお別れだよ」


 扉をノックをする。


「安心しろ」とヴェロニカ。


 ノックを繰り返した。


「殺さない。殴り続けるだけだ」


 返答はない。


「もう寝てるのか」


 ヴェロニカが懐中時計を確認する。


「金持ちなんだな」とアッシュ。


 懐中時計は贅沢品だ。庶民は持てない。


「お前の金が手に入れば、もっと金持ちだ」


 肩の黒猫が欠伸をした。


「で、何時だった」

「十時半」

「寝る様な時間じゃないな」

「ここら辺じゃな」


 今度はヴェロニカがノックをした。


「ちっ。お前、本当にここなんだろうな」


 頬を叩かれた。暴力に関して容赦ない。


「ここだ、ここで話をしたんだ、間違いない」

「じゃあ何故出ない」

「分からない」


 嫌な予感――。


「奇遇だな、私も分からない。だから理由が知りたい」


 ヴェロニカは小屋の横へ回り込んで、窓を叩く。


「エドワール、いるのか」


 アッシュも扉を叩いた。だが状況は変わらない。


「中へ入るぞ」


 ヴェロニカは地面の石を拾い上げた。


「おい、待て」


 窓ガラスが割れる音。周りにいる筈の住人が誰も騒がないのは、ここがカルジーナ地区だからだ。

 ヴェロニカは蹴破り、木枠を落とした。これで小屋の中に入れる。


「行くぞ、私の金を取りに行く」とヴェロニカ。


「俺が先なのか?」

「お前の知り合いだろ」

「俺は紳士だ、女性に譲ってもいい」

「つべこべ言わずに入れ」


 アッシュは窓からエドワールの家へ侵入した。


「いたか?」と後ろからヴェロニカの声。


 アッシュは返事をしない。

 入って直ぐに、足元の感触に気付いた。木の床だが、滑りが足の裏に伝わった。黒い液体が溜まっている。室内の暗さに目が慣れると、二歩程先に、塊が見えた。


 どうやら人間の様だ。


 これが、嫌な予感の正体だったか。

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