「お前、どこにいた」
アッシュはヴェロニカに襟を掴まれ、壁に押しつけられた。アッシュは答えられない。
「おい、一週間は何日だ」
ヴェロニカの質問は続く。
「一日は何時間だ、今日は何日だ。私の記憶が間違っていなければ、今日は返済を約束した日だろ。お前が私から金を借りてから、十日が経ったんじゃないのか。あぁ?」
何度も壁に叩きつけられた。
「悪かった。本当に謝る」
アッシュが呟いた。
「金はどうした」と繰り返すヴェロニカ。
「金はある」
「利子も入れて、一万二千ギルだぞ。安い金じゃない」
この貧困地区なら、半年は凌げる額だった。
「今すぐ出せ」
「今は持ってない」
「クソが」
叩かれた。地面に落とされる。
「いいか、私から金を借りる奴には二種類の人間がいる。返済日になったら素直に金を返すクソ野郎と、返済日になっても金を返さず、私から金を騙し取れると思い込んでいる挙げ句、追い込みをかけられて顔を腫らし指を折られ、汚物塗れになって泣きながら許しを乞い、奴隷となって私に金を返すクソ野郎だ。お前はどっちだ、どっちのクソだ。あぁ?」
「ここにはない、仕事をしたんだ。今日、金を貰える」
「じゃあ何故さっき、金はあると言った」
「言葉のあやだ。けど仕事をしたから、金はある。今日貰える事になってる」
「幾ら」
「二万ギル」
「どこにある」
「依頼主が持ってる」
「そのクソボケ依頼主はどこだ」
「さっきいた酒場に来る筈だったが、来なかった」
「お前、騙されたのか?」
背筋が冷たくなる。もし騙されていたら、ヴェロニカの金は返せない。
「エドワールって男だ。家も知ってる、大丈夫だ」
「今から行くぞ、案内しろ」
「待ってくれ。依頼主の家には押し掛けたくない。初めての取引だったし、額も大きい。これから末永く付き合っていきたいんだ。印象を悪くしたくない」
「指を折られたいみたいだな」とヴェロニカ。
アッシュは観念した。
「分かった、案内する」
黒猫が鳴いた。
**
貧困街カルジーナ地区。名もなき通りの端から小路へ。グラオトレイの街を割る様に、中央に流れるイルタック川の近くだった。
小さな平屋、窓は一つ。埃と汚れで中は見えない。屋根は何度か補修された後がある、中々のボロ屋だった。
「ここだ」
扉には装飾も看板もない。何かの商店の様には見えなかった。
「金がなかったらどうなるか、分かっているな」
「殺されてアンタとお別れだよ」
扉をノックをする。
「安心しろ」とヴェロニカ。
ノックを繰り返した。
「殺さない。殴り続けるだけだ」
返答はない。
「もう寝てるのか」
ヴェロニカが懐中時計を確認する。
「金持ちなんだな」とアッシュ。
懐中時計は贅沢品だ。庶民は持てない。
「お前の金が手に入れば、もっと金持ちだ」
肩の黒猫が欠伸をした。
「で、何時だった」
「十時半」
「寝る様な時間じゃないな」
「ここら辺じゃな」
今度はヴェロニカがノックをした。
「ちっ。お前、本当にここなんだろうな」
頬を叩かれた。暴力に関して容赦ない。
「ここだ、ここで話をしたんだ、間違いない」
「じゃあ何故出ない」
「分からない」
嫌な予感――。
「奇遇だな、私も分からない。だから理由が知りたい」
ヴェロニカは小屋の横へ回り込んで、窓を叩く。
「エドワール、いるのか」
アッシュも扉を叩いた。だが状況は変わらない。
「中へ入るぞ」
ヴェロニカは地面の石を拾い上げた。
「おい、待て」
窓ガラスが割れる音。周りにいる筈の住人が誰も騒がないのは、ここがカルジーナ地区だからだ。
ヴェロニカは蹴破り、木枠を落とした。これで小屋の中に入れる。
「行くぞ、私の金を取りに行く」とヴェロニカ。
「俺が先なのか?」
「お前の知り合いだろ」
「俺は紳士だ、女性に譲ってもいい」
「つべこべ言わずに入れ」
アッシュは窓からエドワールの家へ侵入した。
「いたか?」と後ろからヴェロニカの声。
アッシュは返事をしない。
入って直ぐに、足元の感触に気付いた。木の床だが、滑りが足の裏に伝わった。黒い液体が溜まっている。室内の暗さに目が慣れると、二歩程先に、塊が見えた。
どうやら人間の様だ。
これが、嫌な予感の正体だったか。