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灰の世界の執行人 ~首切りとホムンクルス~
きょろ
ミステリーサスペンス
2024年10月29日
公開日
41,205文字
連載中
貧乏商人アッシュは、金貸し屋のヴェロニカへの借金返済が迫っていた。
しかし、報酬を受け取る筈だった依頼人の男が死んでおり、アッシュの報酬は未払い状態。
返済の当てがなくなったアッシュであったが、ヴェロニカは死体の傍らにある「阿片」に金の匂いを嗅ぎつけた。

“元諜報員”のヴェロニカと“元死刑執行人”のアッシュ。
共に知られたくない過去を持つ二人が、灰色に染まった都市に潜む金、阿片、宗教派閥の闇へと巻き込まれていく――。


【ミステリー×ダークファンタジーの新感覚サスペンス!】

第1話 商人アッシュ

 アッシュは酒場『熟れる麦亭』から飛び出した。


 帝国自由都市グラオトレイの一画。貧困街カルジーナ地区の名もなき一本の通り。街灯のない道だった。衛兵もここにはやってこない。夜の暗さに灯るのは、疎らに点在する酒場、故買屋、賭場、阿片窟から漏れてくる明かり。


 アッシュは走った。後ろからは、強い足音。酔っ払いが追いかけてくる。

 何かを叫んでいるのは分かった。追ってくる酔っ払いは、呂律が回っていない。だが決して美しい言葉ではない事も分かる。

 脇の路地へ駆け込む。


「くそ」


 アッシュは躓いた。骨になった死体に。頭蓋骨が薄っすらとピンク色に染まっている。阿片中毒者の証だ。骨が転がる、乾いた音。態勢を直して顔を上げると、黒猫が奥の壁に飛び上がり、逃げていった。

 その下を見ると、三毛猫の死体。脇から血が出て内臓が散らばっていた。共食いをしていたのだろうか。腐った肉と、小便の匂いが纏わりつく。


「テメェ、生意気だなコラぁ」


 後ろから酔っ払いの声。

 捕まった。後ろ襟を掴まれ、振り回される。アッシュは狭い路地の壁に打ちつけられた。

 飲んでいたら、言い掛かりをつけられた。単なる酔っ払いだと思って適当にあしらおうと、手を払ったのが間違いだった。とりあえず酒場から逃げたが、結局この有様だ。


「俺をコケにしたな、おう?」


 酔っ払いの男にしてみれば、憂さ晴らし出来るなら誰でもよかったのだろう。


「待て」とアッシュ。


 直後に殴られた。腹部に一発。体がくの字に曲がって浮き上がる。胃から飲んだエールビールが喉へ上ってきた。倒れ込む事は許されずに前髪を掴まれ、顔を上げられると、今度は平手打ち。冬の冷たさと衝突した様な刺さる痛み。

 運がない、と思った。反撃する気分でもない。そもそも、アッシュは弱い。


「悪かった、謝るよ」


 アッシュは声を絞り出した。


「うるせぇんだボケ」


 首を掴まれた。そのまま締め上げられる。この辺りでは喧嘩で死ぬのなんて珍しくない。今夜、自分もその一員の仲間入りかもしれない。

 助けて、が声に出来ない。


「おい、そこの木偶の坊」


 女の声がした。どこから、男の向こう側から。


「なんだよ」と酔っ払いの男。


 少しだけ首を掴む力が弱まった。


「離してやれ」と女。


 酔っ払いの返事を聞く前に動き出し、滑らかな水面蹴り。倒れる酔っ払い。アッシュは解放された。


「この間抜けは私の客だ」


 アッシュを指差して、女が言った。女はヴェロニカ・シェーン・セラノ。


「私の客に手を出されたら、黙っちゃいられないな」


 女性の割には低い声。肩まで伸びている黒い髪と、長い手足。右目の下に小さなホクロがある。格好だけ見れば白いシャツにズボン、革靴にナイフを腰から下げた男だった。

 酔っ払いの男は立ち上がった。顔が怒りに満ちている。


「なんだお前、女か、それとも男か」

「教えてやらなきゃ分からないのか」


 酔っ払いの答えたヴェロニカ。彼女はこの界隈では“男装の金貸し”とも呼ばれている。

 男が太い腕を振る。ヴェロニカは身体を傾けて避けると、間合いを詰めて男の襟を掴み、宙へ放り投げた。


「立てよ」


 ヴェロニカが手で挑発を示す。

 酔っ払いは立ち上がり、痰を吐き捨てると、唸り声と共に突っ込んだ。ヴェロニカは宙返りをして男をいなすと、背後に降り立ち、トンッと指で後頭部を押した。酔っ払い男は肘を振り回転し、振り向くと、鬼の様な形相に変わっていた。

 ヴェロニカは、手の甲でその頬を軽く叩いた。


「舐めやがって」


 酔っ払いがナイフを抜いた。


「いい心掛けだ、そうこなくちゃな」とヴェロニカ。


 酔っ払いが突き出すナイフを躱し、手首を掴む。真逆を向ける様にして容赦なく捻ると、骨が砕ける音がした。膝をついた酔っ払い男の叫びが続く。


「容赦しないからな」


 顔面に拳を放つ。鈍い音がした。酔っ払い男は、呻き地面に倒れ込む。


「待て」


 黒い影が地面にあった。アッシュは思わず声を出す。

 ヴェロニカもその影に気付いたのか、倒れ込む酔っ払い男の首を掴んだ。

 丁度、酔っ払い男の背中の下に、黒猫がいた。さっき逃げた黒猫と同じ奴ではないか。どこかへ行ったと思ったが、この喧嘩を観戦していたらしい。


「猫が潰れるだろ、クソ野郎」


 ヴェロニカが酔っ払い男を、路地の外へ投げ捨てる。男は突っ伏した後、ゆっくりと立ち上がり、そのまま覚束ない足取りで、どこかへ消えた。


「猫好きなのか」とアッシュ。


「嫌いだ」


 ヴェロニカは言うが、黒猫は違うらしい。潰される所を助けられた恩を感じているのか、ヴェロニカの足へと擦り寄る。


「本当に嫌いなのか?」


 アッシュがもう一度尋ねる。


「死ね」


 ヴェロニカは舌打ちをしてから、黒猫を肩に乗せる。黒猫もまんざらでないらしい。


「それで、私の金はどうした」


 アッシュはヴェロニカに借金をしていた。


 だが、返す金はない。


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