烏兎と姉妹達が話をしている中、それに伴い周辺一帯の景色も同じように状況を変える。時は緩やかに流れゆき、空は徐々に光が陰り始めた黄昏時。夕陽で照らされた琵琶湖は美しく、黄金色に色づく水面は砂丘にできた風紋のよう。
こうした情景は、見ている者の心を落ち着かせ、不思議と穏やかな気持ちにさせた。なかでも、白鬚神社に建つ鳥居、湖面に浮かび建つ大鳥居。この一対に似た建造物は、拝殿前から窺えば二重に連なる神域の門。
偶然にも陽の輝きが重なろうものなら、光明が差す優美な趣は何とも幻想的な雰囲気。それはまるで、何処かを指し示した異国の入口にも思える。からといって、この風情ある事柄が必ずしも関係しているとは限らない。
しかしながら、過去には豊臣秀吉の遺命によって、本殿が建立されるほどの重要視された神聖な領域。神社のご利益も道開きの神様というからには、もしかしたら何らかの所縁があるのかも知れない。
ゆえに湖面を眺める白狐は、懐かしそうな面持ちを浮かべながら微笑んだ。それはあたかも大鳥居を抜け、こちらの世界へやって来たかの如く振る舞い。そこから醸し出す佇まいは、何とも奇妙な光景として映る。
いずれにしても、心を許した間柄であるならば少なからず情報は共有しているはず。ところが、烏兎の態度は首を傾げた怪訝な顔つき。その素振りから判断すると、どうやら詳しい説明は受けていない様子。
だとしたら、たわいもないと感じた為に姉妹が伝えるのを忘れていた。こう考えられるも、白狐はどんな些細なことでも話し合う几帳面な性格。日頃の行動から窺えば、万に一つも物忘れをするなどありえない。
たしかに、この近代文明の時代には異国の世界などあるはずもないだろう。けれども、一概に根拠を欠いた迷信とは言い切れない。なぜなら、神社に伝わる古文書には不可解なことが記されていたからだ。そこに書かれていたものは、耳を疑う信じられない事実。
『世に禍が生じる時、光を纏いし導き者、神域の門より現れる』
これは文書の一文に過ぎず、内容を読み解くには古文書を確認する必要がある。その文献史料は境内の書物庫に収められており、宮司にお願いすれば拝見することは可能。というよりも伝承により語られた事柄は、近隣の住人達なら誰もが知っていたという。
ともあれ、姉妹達の所作には何かしらの違和感を覚える烏兎。釈然とはしないものの、本人から話さないのであれば仕方がない。そんな状況の中、白狐はゆっくりと話の続きを語りだす……。
「こん。先ほど烏兎は、那岐さまのことを神に選ばれた。そう言っていたわね」
「う、うん」
「こん。でもね、本当はそうじゃなくて、神に近い存在。この方がね、正しい言葉といえるかも知れない」
「神に……近い?」
「こん。そうよ、神のような幾つもの神気を操る偉大なお方。その不思議な力で、心に巣食う邪霊を圧倒していたのよ」
「幾つも操っていた? もしかして……その神気って、僕と同じ力じゃないの」
「こん。いいえ、全くといっていいほど違うわ」
「違う?」
「こん。分かり易く言うとね、那岐さまから溢れ出る氣は、緩やかに流れだす自然な力。一方、烏兎から漏れ出ている気は、強引に行使する押さえつけた力。だから二人の神気は似ていても、能力は完全に別物なのよ」
瑞獣とは、主から神気の力を分け与えられ生きている。そのため、気の流れを感じるだけではなく、実際に自らの目で見抜くことが出来ると話す。
「なるほど……まさか僕の神気が押さえつける力だったなんてね。じゃあ、今まで魄霊達は苦しみながら浄化されてた。そういう事だよね?」
苦しみのない世界へ導いていたと思っていたものが、じつはそうでは無かった。そんな現状を突き付けられた烏兎は、哀しみを浮かべた表情で双方の掌を見つめた。それは能力の差にではなく、魄霊を想うがゆえの嘆きであった…………。