第7話 もしもまた、君に逢うことが出来たのならば……。
退魔師と呼ばれた霊鬼を滅する者達。
こうした存在は表立って知られることはなく、ひそかに策動する裏稼業。その実態は、神気と呼ばれた加護を受け、与えられた霊力で様々な邪を祓い滅するという。そんな強大な力を誇る弥呼ではあるも、暮夜ともなれば能力が半減してしまう。
けれども、夜の帳が下り月華の照らす時間ともなれば話は別。何故なら陽の光と同様に、月の光を浴びれば霊力が高まるからだ。滅するためには神気の力が必要不可欠。危ういのは、昼と夜が移り変わる逢魔時。
霊鬼を退治するには、加護が弱まる時間帯を避けなければならない。とはいいながらも、邪が蔓延り勢いが盛んになるのは闇夜のみ。なんとも都合よく現れてくれるので助かったといえる。にしても、理由はハッキリしないが、おそらく陽の光によって不浄な状態が抑制されていたに違いない。
こうして昼間は占いなどで生計を立て、夜は世のため人のためにと霊鬼を退治して歩く。といっても、憑依された人々を殺すわけではない。取り憑かれた対象から魄霊を切り離し、縛印と呼ばれた術式によって瞬時に邪を滅するという。
当然のことではあるが、滅された魂は生まれ変わることはない。消滅すれば二度と天上に帰ることはできず、暗闇のような無を永遠に彷徨うことになる。だからといって、人の世に害をなす悪霊に情など要らず。弥呼は日頃から烏兎へ、このように厳しく言い聞かせる。
しかしながら、魄霊は人や動物といった尊霊の片割れ。優しき心を持ち得ていたかも知れない。この伝えられた言葉に、烏兎はいつも哀しそうな表情を浮かべていたという。これに心を痛める弥呼ではあるも、滅するしか手段はなかった。
いくら加護を受けた神気であろうとも、弥呼に穢れを取り除いてやる力まではない。なぜなら浄化という行為は、生きとし生けるものに寄り添う気持ちがなければ実現しない。それは二つの願いから得た想い。
一つは陽の光を受けた温もりのある心。もう一つは、月の光を受けた静かなる優しき心。この二つの心がなければ浄化すること叶わず、地に落ちた魄霊を天に帰すことは出来なかった。
そんな滅する力にも、二つの言魂が存在する。
といっても、いまでは弥呼が扱う術しか存在せず、その一つが『生滅滅已』。これによって滅された魂は、黒く蒼白い粒子となり空へと昇っていく。そして対極とも思える二つ目の神気。失った言魂とも呼ばれた、遠く去りゆく過去の術。
このように言われた由縁は、実際に扱っていた存在がいたからだ。それは弥呼と近しい人物。父親の親友である女性が扱っていた言魂。名は那美といい、月の照らす光がとても良く似合う女性であった。
弥呼と違う点は一つ。那美は魄霊を滅するのではなく、優しく語りかけ愛おしく包み込む。そして掌から溢れ出る光によって、夜空へと解き放ち導ていた。浄化とは、二つの心無くしては叶わぬこと。
一体、なぜそのような力を得ていたのかは定かではない。あるとするならば、美しい心を持ち得た人物だったからに違いない。それは誰も扱うことの出来ない魂を救う唯一の神気。
これにより、那美は沢山の魂を天上に帰すことができた。その術は見ているものまで魅了する安らぎの光景。空へと帰りゆく粒子は、まるで天に昇る光龍のよう。こうした温もりに包まれながら、やがて静かに消えてゆく…………。
そんな那美が施していた術が『寂滅為楽』。こう呼ばれた安らぎの力。この神気こそ、二つの心を宿した神秘なる光の想い。地に落ちた魄霊だけでなく、全ての魂を浄化することができる言魂。
――烏兎が黒猫に唱えていた優しき言葉である。
「元気でね……魄霊。君とはもう会うことはないかも知れない。けど、もしまた逢えたのならば、今度はくうちゃんと呼ばせて貰うね」
(にゃぁ……………………)
烏兎が言魂を唱えた瞬間、魄霊の体は煌びやかな粒子となり空の彼方へ消えていく。そこから窺えた様子は、安らぎに満ちた嬉しそうな表情。黒猫は小さな声で、最後にそっと笑みを浮かべ鳴いて見せた…………。