-家に戻った後-
早速、御札などを所定の場所に納めて、子供や妻は祈祷の時に貰ったお供物や、私が家から持ってきて、奥院で手を合わせている際に供えた団子を食べました。
そして、大黒天に供えた水も合わせて飲みます。
弟や私は、お酒が飲めるので、仕事が終わった後に、祈祷後に頂いたお酒(御供酒)を飲んで早々に就寝をしました。
私は、その日の夜は全く目が覚めることなく、普通に朝を迎えたのですが、弟に異変がありました。
弟の夢の中に、呪詛で出てきた女の姿と共に、2人の子供が見えて、3人が激しく咳き込むと、黒い影がドロッと出てくるような夢だったのです。
次に場面が切り替わって、何処か、大きなお寺の供養塔が目に飛び込んできた…とのこと。
その弟の夢で確信を得たことがあります。
『呪詛を仕掛けたのは、祖父母や先祖の因縁の類であると同時に、当事者は既に死んでいる。これは完全に一族に向けられた怨霊であって、私たち家族がターゲットにされて順番が回ってきた感じだ。』
吒枳尼真天様やご眷属へ、油揚げやお餅など、欠かさずお供えをする日々が続きます。
その甲斐があったのか、少しずつ、会社のほうは、仕事の声が掛かるようになってきて、本決まりではなくても、見積の案件も増えてきました。
私は、とても忙しくて、要介護5になった母親の介護施設を探す案件も加わって、1日を生きるのに精一杯です。
…そんなある日…。
私に異変が起こったのは、豊川稲荷東京別院でご祈祷をした、2~3日目の夜からでした。
とにかく、その日を境にして、亡くなった父や従兄が、毎晩、夢に出てくるのです。
亡くなった従兄は、私が手術をしたことを心配して『お前は無理をするな』と、言われましたし、亡くなった父は、うちの会社に仕事がなくて、会社が危機的な状況になっていることを、とても心配しています。
毎晩のように、亡くなった人が夢に出てきている状況ですから、起きた後に何とも言えぬような、悲しみや辛さがドッと押し寄せてきますから、私のマインドは朝から良くありません。
『これじゃぁ、寝ている間、自分は、あの世と繋がっている状態だから危ない。自分は、この手のやり方を誰にも教わっていないから、変なコトがあれば、寝ている間の自分の魂は、あの世に行きっぱなしになる。』
目が覚めて、そんな状況で体が動けずにいる自分がいて、ベッドの中で色々な事を考えていると、誰もいない1階のリビングのほうから、何やら物音が聞こえます。
近頃は、とても仕事がハードなので、夜遅くまで仕事をしている関係で、全く起きられません。
息子は中学校の後半から、起立性調節障害を患って学校に行けない日が続きましたが、高校生になってから、症状が改善して学校に行けるようになりました。
それで、朝5時30分には起きて支度をして、電車に乗って学校へ行くのですが、ここは田舎だから、バスなんてマトモに走っていないので、妻が車で片道30分程度かけて駅まで息子を送りに行くのです。
私が目が覚めた時間は、妻が息子を駅まで送りに行っている時間帯ですので、1階のリビングやダイニングに妻や息子はいません。
5歳の娘は私の隣でグッスリと寝ていますし、ウチの柴犬(名前:みかん)も、私と娘が寝ている寝室の床で丸くなって寝ています。
『なぜ…、誰もいないのに1階から物音が??』
普段の私は、この手の事象について、意識を集中させることなく、深く考えないようにしていますが、今は、非日常的な事案が多発している非常事態ですから油断ができません。
かといって、この物音は、人間がいるような気配ではなく、完全に
私は目を閉じて、少しだけ意識をリビングのほうに集中すると、白くて超大型犬より大きい生き物が、黒い影を追い掛けているのが、まぶたの裏に焼き付いて見える気がします。
『豊川稲荷の狐さんが、悪いモノを追っ払っているのか…。』
狐と呼べるのか分からないぐらい、ホントに大きい生き物が見えました。
しばらく経つと、その物音も消えて私は、神棚や豊川稲荷の御札が祀られている祭壇に手を合わせる為に、1階に降りましたが、もちろん、そこには誰もいません。
『一時的かも知れないけど、ご眷属が来て頂いているのは有り難い。絵馬の作戦が功を奏したのか。それとも祈祷の時に吒枳尼真天さまに、ご眷属の見回りルートに入れて頂けるように、お願いしたのが効いたのか…。』
それから、数日の間、頻繁に亡くなった父が夢に出てきたり、深夜や明け方にかけてドタバタと物音が聞こえる日が続きます。
実家のほうも、徐々に状況が改善をしていきます。
弟が神棚を見たら、ご眷属を見たと私に言ってきたので、ご眷属は、私の家や、実家、それに工場や事務所などを巡回しているのでしょう。
私の家の神棚は、元々は実家にありましたが、母が倒れ時に、独りになった弟の負担が、あまりにも大きすぎたので、私の家に祀ることにしました。
しかし、呪詛や怨霊騒動を受けて、弟の負担にならないように、神棚を小さくコンパクトにした上で、祀ることにしたのです。
言わば、私の家にある神棚の分社的なイメージです。
一方で、敗血症性ショックになって、今はリハビリ療養の病院に入院している母親ですが、依然として下半身は動かないですが、食事のほうは誤嚥のリスクが徐々に減っていることから、主食がお粥から、普通の白米に変わりました。
近頃は、お腹が空くらしく、間食をする為のお菓子を持ってこいと、携帯から電話が掛かってくる始末。
これ自体は、母の病状も徐々に改善している証左でありますから、 ある意味では良い傾向が続いています。