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呪詛・幽霊騒動の後日談。 ~その4~ 反転攻勢3 -豊川稲荷東京別院へ1(2025-4-17)

 実家の掃除とお清めの塩や砂を撒いた翌日。


 早朝の5時に出発をして、都内や首都高の運転に慣れている私が、ひたすら弟を乗せて運転をして、朝の7時前には豊川稲荷東京別院に到着をしている算段で向かいます。


『祈祷をするなら、朝一番のほうが、御利益がある』


 豊川稲荷東京別院・院代の紹介が載っているサイト(当該サイトに載っている院代さんは、2025年現在、定年退職になり退任をしているようで、前の院代であるようです。)を見たら、そんなことが書いてありまして。


 そこで、朝の4時30分に目を覚まして、5時には車に乗り込んだ訳です。


 前回、書いた通り、5歳の娘が長い時間の祈祷に耐えられないことが、一番のネックですので、ウチの家族のご祈祷は、もう少し経ってから…という流れになりました。


 私と弟に呪詛や霊障が出ていることが大問題ですから、先行してご祈祷をすることにしました。


 会社については、自動車メーカーの不正問題や電子部品などの不足、それに世界情勢のアレコレなどによって、相当に不振に陥っていて創業以来の大危機ですし、相次いで機械や機器が神掛かり的に壊れすぎる件に関しても、相当に深刻で急を要します。


 休日の早朝なので、首都高はかなり空いていて、時間通りに午前7時前後に豊川稲荷東京別院に着くと、私と弟はすぐに祈祷の受付をしました。


 少し残念なのは、愛知にある豊川稲荷の総本山とは違って、東京別院は、点心(祈祷後の精進料理)がないのですが、そんな贅沢なんて言っていられません。


 豊川稲荷の祈祷後の点心は、自分に取り憑いた悪いモノがいれば、祓える効果が期待できるらしいのですが、今から愛知まで行くのは、私の身がいくらあっても足りませんから。


 お願い事は3つまで可能だったので、会社は『商売繁盛』『家業繁栄』『障碍しょうげ退散』に丸を付け、私のお願い事は『家内安全』『障碍しょうげ退散』『開運満足』に丸を付けました。


 なお、『障碍退散』は妨げがあるコトへの退散という意味合いですが、『障碍』は差別用語ではなく、仏教で言うところの『悟りの障害となるもの』という意味合いが大きいです。


 それと、『開運満足』は『運が開け、心が満ち足りる』ことを願います。


 要するに、『障碍退散』にて、悪霊の類を打ち払うことを意味している訳で、その後に、会社は繁盛・繁栄を願い、家庭では、家族の安泰と開運を願った訳です。


 受付をすると、7時40分まで、ご祈祷の待機室まで待つように言われて、少しだけ待機室の中で過ごしますが、あと40分もあるので、ジッと待っているのも、時間が勿体ない気がするので、少し時間を潰すことに。


 その間に、外に出て、周りの仏様やお宮を少し参拝していると、本堂と奥院で、朝のお勤めをしているのか、お経と太鼓の音が聞こえてきたので、私は迷わず、弟を誘って、奥院の中に入ってお勤めのお経を聞くことにしました。


 奥院の中に入ると、老僧が太鼓を叩きながら、お経を生で聞けるコトへの有り難みを感じると同時に、相変わらず吒枳尼真天様のお力が強いので、お堂に入った瞬間から、私の頭がクラクラとしてきます。


『なんだろう、お経の内容が分からないし、お経の節も独特な気がする。自分にとって全く聞き覚えがないお経のような感じがするから、何を唱えて要るのかが謎だ…。』


 そこで、私と弟は、読経を聞きながら、吒枳尼真天様に会社で苦労していることや、母親の病気のこと、それに怨霊や呪詛に関してのことで、お助けを頂くように祈りを捧げました。


 その奥院でのお勤めが終わると、ちょうど7時25分でしたから、急いで待合室に向かうと、まだ本堂では、お勤めのお経が続いているようで…。


『あれ?。朝のお勤めのお経が止まらないけど、いつ呼ばれるのだろう?』


 私と弟の他にも、ご祈祷をする人が3人ほどいたのですが、待機室でジッと待ったままでした。


 読経中に、私たちは呼ばれたのです。


 どうやら、お勤めのお経が終わったと同時に、切れ目がなく、祈祷をやるような流れのようで…。


 お坊さんに名前を呼ばれて、お堂に入って席に座ると、暫くして、金剛般若経を超高速で読むのが聞こえた時点で、何となく、そこから、私たちの祈祷が始まったのが分かりました。


 人数が少ないせいか、もう、お堂の空気はピンと張り詰めています。


 そして、金剛般若経の7ぐらいまで読んだと思ったら、あとは端折って般若心経になるのですが、それも超高速ですから、そのペースで心の中で唱えようとしても、追いつきません。


 その一方で、私は、ここでも家庭内で相次ぐ不運や、怨霊、呪詛騒動を打ち切って、会社が苦境に立たされていることから、必死に助けて頂けるように祈り、その後に家族や会社が開運をできるようにお願いをします。


 さらには怨霊に至っては浄霊(成仏)するように祈りをしていたら…。


 大般若経の転読が始まる前に、誰かが目の前に通ったかの如く『私の目前にだけ』風が吹き抜けたような感覚がありました。


 私は目を開けていた状態だったので、誰も通った気配なんてありませんし、お堂の中で、私の髪の毛が揺れんばかりの風が吹くような状況なんて考えられません。


 後から隣に座った弟に、「風が吹かなかったか?」と、尋ねましたが、そんなコトは無いと言われる始末。


 どうやら、吒枳尼真天様や狐様が、私の目前を通り過ぎたのでしょうか?。


 もう、それは霊験なのでしょう。

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