さて、前回からの続きで、成田山でお参りすべきスポットを、私の勝手なチョイスで紹介するコーナーですが、今回は出世稲荷。
次回からは、幾つか、まとめて書きますからね…。
●出世稲荷
成田山の出世稲荷ですが、当該コーナーの不運の原因シリーズでも書かれた『吒枳尼天様』が祀られています。
豊川稲荷と同じように、明治以前の神仏習合が色濃く残っている仏様です。
ここの出世稲荷の歴史は古く、御本尊は、江戸時代の佐倉藩主、稲葉丹後守が寄進された本尊を祀っていますし、本堂も1888年に再建されたものです。
私は幼少の頃から、ここに家族で参拝に訪れていますし、時間がない時は、成田山の大本堂→出世稲荷の参拝のみで帰ることもあります。
ただ、ここの御利益に関しては『一般人の感覚からすれば』、強烈にあるかと思いますが、願掛けのお参りをすると、定期的な参拝が必要になる場合もありますから、安易な気持ちでの参拝は控えたほうが宜しいかと。
なにしろ、ネットなどを検索していると、ここの出世稲荷に『嫌な上司を会社から追い出してほしい』と、この出世稲荷に祈ったところ、その上司が会社を辞めてしまった…などと、書かれているぐらい、強烈な御利益がある場合があると書かれています。
私に至っては、ここの出世稲荷をお参りしている事で、会社が倒産寸前でもギリギリのところで助けられたり、何とか踏ん張って仕事を頑張っていけるのは、この吒枳尼天様のお陰だと思っているのです。
妻にいたっては、夢の中に、後から書くご真言が浮かんできた事もあって、常に見守って頂けていると私は強く思っているのです。
話はそれましたが、皆様においては、どうしても参拝をしたい場合や、観光感覚での参拝なら、『ご挨拶にきました』という感じで、強い願掛けをせずに、今後は参拝ができない事を伝えたほうが無難です。
成田山の本堂から外れた場所にあるので、見逃しがちですが、本堂前の広場に、大きな社務所や休憩所がある周辺を通り過ぎると、古い石段が見えて、出世稲荷と書かれた看板があります。
そこを登っていくと、出世稲荷がありますが、参拝をする前に、出世稲荷の入口付近にあるお店に、油揚げや狐の小さい置物、蝋燭が皿に載った状態で売っているので、それを買うと良いかと。
それらが、1セットで700円だったと思います。(*2025年4月現在)
時間帯や日によっては、店が閉まっている事もありますが、油揚げや置物などを備えなくても、手を合わせるだけでも御利益は充分にあります。
鳥居の目の前で一礼をして中に入ると、お宮が見えて、右手前に社務所がありますが、社務所では油揚げや、狐の置物は売ってないので、お供えをしたい場合は、入口付近に2つある、どちらかのお店で買ってください。
社務所では、出世稲荷の御守りや、御札、絵馬などが売っているし、豊川稲荷同様に旗なども奉納できます。
絵馬を奉納したい場合は、名刺があると便利でして、願い事を絵馬に書いた後に、社務所にある糊で名刺を貼り付けて奉納します。
さて、参拝方法に戻ると、まず、油揚げや狐の置物を本堂にある棚に並べて、両サイドにある蝋燭台に向かって、火を付けて蝋燭を刺します。
油揚げを置く時に、油揚げの上に100円を置くのが、常連さんの慣わしになっていますが、この辺は個々の自由に任せても良いかと思っています。
それで、お参りをするのですが…。
豊川稲荷と同様に、仏式なので基本は合唱一礼です。
ここの出世稲荷は豊川稲荷と違って、成田山は宗派が真言宗であるのが理由なのか、ご真言が全く異なります。
『ノーマク サンマンダ ボダナン キリカク ソワカ』
豊川稲荷をよく参拝している人は、ご真言が違うことに気を付けて下さい。
お宮の目の前に、ご真言が書かれているので、真言を唱えたい人は、それを見ながら唱えると良いでしょう。
ご真言については、唱えるか・唱えないかは、個々の自由かと思います。
真言を唱えれば、吒枳尼天様やご眷属様が来やすい部分があろうかと思いますが、そういう事をしなくても、普通の人が強い願掛けをすれば、スッとやってくるような、お慈悲もあるかと。
出世稲荷の参拝が終わった後に、出口の階段を降りると、すぐ右手に、観音様とお地蔵様が祀られています。
真ん中にある観音様やお地蔵様へ手を合わせてから、他の場所に行くのが、私たち家族のお約束になっています。
ここからは余談になりますが、もう3年前に亡くなった父が、若い頃から成田山の出世稲荷にお参りに行くようになったのは、理由があります。
父母が若い頃は、仕事で独立する前に東京や千葉に住んでいましたから、母と一緒に成田山を参拝をした帰り際に、出世稲荷の事が少し気になりながらも、素通りをして帰ったそうです。
父は口が悪いタチなので、『成田山の外れにある、誰も寄らないような場所に参拝する人がいるんだ…』なんて主旨の言葉を口にしたとか…。
その後、父は仕事で少し目を負傷する出来事があったり、仕事でミスをしたりと不運が続きます。
父は目を、まだ負傷していたので、眼帯をしながら成田山を参拝した際に、出世稲荷の目の前を通りかかったところで、ある人から声をかけられます。
『あなたは、前に出世稲荷を素通りしたでしょ?』
父母は、それを機に出世稲荷を真剣にお参りすることにしたそうです。
ひょんな事から、家族一同、成田山に来たときは必ず、出世稲荷にお参りをしたのが始まりだったのです。
だからこそ、神仏から祟られると怖い訳ですね…。