うちの家族や会社に不運が相次いで訪れていた時、去年の11月頃から、妻がある神社に行きたいと言い始めました。
具体的なことを言うと、私たち家族の個人情報に触るので控えますが、住んでいる県内にありますが、車で1時間半程度かかる場所にあります。
妻は歴史が得意ではないから、行きたくなった神社の歴史などは良く調べないだろうし、見つけても理解ができないだろうから、そこは直感的な部分だけで見つけてきたのでしょう。
その神社は、明治神宮のような大きい神社ではありませんが、それでも充分すぎるほど大きいし、少し歴史を調べてみると、平安時代からの創建で由緒正しき神社です。
ただ、その時は色々なコトがあって忙しすぎて、掘り下げて調べていないかったので、妻に誘われる形で何気なしに参拝したのみでした。
本殿で手を合わせると、なぜか私の心が落ち着く感じがあります。
『ん?。この神社、自分と何かあるのかな?。でも、神様は私の父母の血縁とは、なんら関係ないし…。なんだろ?』
最初なので、具体的な願いはせずに、まずは参拝に訪れたご挨拶だけに留めました。
これが、中途半端に霊感がある厄介な部分でして、ここは様子を見ながら、お参りしないと、何か面倒な事になっても、宜しくないと考えたからです。
5歳の娘に強請られるような形で、おみくじを引くと大吉。
ご挨拶で願もかけずにお参りしているから、こんな感じだったのでしょう。
しかし、今、考えると、ご挨拶だけじゃなくて祈祷までやれば良かったと、後悔をしています。
神社の参拝を終えて、暫く後…。
12月の半ば頃に、母が敗血症性ショックで救急搬送されてしまいました。
そこから私も含めて、家族が相当に大変でした。
母はICUに入って、医師によって懸命な治療が続きましたが、病状が思わしくありません。
さらに追い打ちをかけるかのように、会社も仕事がなくて、資金難に陥ってしまいます。
私が夜中に見る黒い影は、相変わらず3つともグルグルと回り続けているし、不安を隠せません。
そのうちに、年の瀬も迫った頃に、病院から電話があって、母の件で医師に呼び出されました。
母は抗生剤に耐性を持ってしまった為に、病状が思わしくないし、年齢と体力を考えると改善の見込みが薄いので、もしも、別の抗生剤が効かなかった場合、生命維持装置は付けずに、そのまま看取ることが告げられました。
その際に、少しでも母が楽に亡くなるようにする医療手段まで具体的に説明されたのです。
説明は冷静に聞けましたが、内心は母の死を覚悟して、今の辛い事をグッとこらえて歯を食いしばりながら、弟や妻と交代で毎日のように見舞いつつも、1日を必死に生きる日々が続きます。
無論、小説など書くような余裕は皆無ですから、執筆活動の休止を決断しました。
仕事の総量は相変わらず少ないのですが、納期が年明けに迫っている仕事もあって、母が倒れた件も重なって、私と弟は12月30日まで必死に仕事をするハメになって、正月の準備もロクにできません。
そんな仕事をしている最中に、悲報が飛び込んできます。
私が幼少の頃から遊んでもらっていて、父の代から長年、付き合いのある機械商社をやっている従兄が心肺停止で倒れてICUに入ったと、従兄の奥さんから電話で告げられたのです。
奇しくも、従兄が倒れたのは、母と同じ『敗血症性ショック』。
もう、天を仰ぐしかありませんでした。
母は意識がある状況で救急搬送されましたが、従兄は見つかった時には心肺停止でしたから、母よりも、従兄が先に亡くなることを、心の何処かで覚悟を決めます。
そして…。
年が開けて、3日か、4日だったと思います。
とても最悪な夢を見ました。
夢の中で携帯の電話が鳴って、電話に出ると母の声がするのです。
「ごめんね」
電話はその一言で終わって、目が覚めたのですが、とても胸騒ぎがしました。
『まさか、母に何かあったのか?』
私は嫌な予感がして、正月早々から、急いで母の見舞いに行きますが、病状は相も変わらずですし、担当の看護師さんが、抗生剤が変わって、少し改善傾向にあると言っていたので、ホッとしていました。
その後、私は妻と5歳の娘を連れて、妻が去年、行きたいと言っていた神社にも参拝することにしました。
地元の神社と成田山の初詣は欠かせないのですが、少し妻が前に行きたいと言っていた神社が気になったのです。
そこの神社で、良くない運を断ち切って下さいと、お願いをしてみました。
そこで、参拝した後におみくじを引いたところ、見事に『凶』。
もう、嫌な予感しかしません。
その後、同じ神社に出直して、おみくじを引きましたが、吉になっても健康には気をつけろとか、おみくじの内容を読むと、少し不穏な感じが漂っています。
暫くしてから、私の胸騒ぎが止まらなかった、主な原因が分かったのです。
親類から電話がかかってきて、敗血症性ショックで倒れた従兄が亡くなったことが分かりました。
年明け早々に、従兄は人工呼吸器が外れて、しばらくの間は自力で呼吸ができましたが、息が続くことなく、亡くなってしまいました。
夢の中で、正月早々に電話で聞いた「ゴメンね」は、従兄だったのでしょう。
ただ、私にとって母が倒れたほうの認識が強くて、亡くなった従兄のメッセージが、母の声になってしまったコトが容易に想像できました。
従兄は生前から、人よりもズッと気遣いができる人でしたから、あえて私を心配させないように、母の声を借りたかも知れません。
今になって、冷静にその時の事を考えると、従兄は生前に母が倒れたことは知っていましたから、母も含めて体に気をつけろ、なんてアドバイスを送っていたのかも知れません。
従兄は家族葬でしたので、葬儀には参列せず、心の中で手を合わせつつも、奥さんや会社の従業員を含めた遺族からの意向もあって、従兄の会社の事務所の整理を頼まれたので、要らない工具や机や棚などを含めて、従兄の形見として、私が引き取る事にしました。
その頃から、設計担当のお局(65歳オーバー)のヒステリックが尚更に増してきました。
お局は、なんだか体の調子が悪いのか、午前中で早退するなんてコトも頻発してきました。
酷いときには、出勤して2時間足らずで帰ってしまうコトも度々。
彼女については、このあたりで『引退時期』と判断し、私が恨まれても構わないから、引導を渡すタイミングを探り始めます。
仕事は相変わらず安定せず、会社は風前の灯火です。
当然、私が真夜中に見る黒い影も、活発に動いています。
『妻が探してくれた、あそこの神社で祈祷して、これらの不運を断ち切ってみるか?』
私は、亡くなった従兄の忌明けを数えながら、1月末に祈祷することを心に決めました。
この後、私が想像を絶する不運に見舞われ、その上で、とんでもないコトに出くわすなど、この時点は夢にも思いませんでした…。
ここが人生のドン底だと思っていたのですから。