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胸腺腫の手術を終えて。(2025-3-11)

 ネオページの通信欄を見たら、どこが良いかと自分でも疑問に思う、当該作品が回転テーブルに載ることが書かれていて、10時の休みの間に、これは少しでもネタを書かないと…と、思った訳です。


 何しろ、術後、暫くの間は痛みで何もできない状態でしたし、内視鏡とは言え、全身麻酔で心臓や肺の近辺をいじった訳ですから、相当に体力が落ちました。


 まだ、痛み止めを飲みながら、時折、ズキッとくるような痛みに耐えながら仕事をしているような状況が続いています。


 本来なら、今日は東日本大震災から14年目ですから、その当時、私が宮城の海沿いで被災して津波まで間近に見たことを、冷静に綴れば良かったのでしょう。


 しかし、それは後日のお話にして、やっぱり私の術後の経過を書くことに決めました。

 そのほうが、このコーナーに見合っていると思ったからです。


 …そうだ…。

 こんな作品への迷いや余談はともかく、閑話休題。



 母と同じ100万人に1人なんて確率でしか罹らない胸腺腫?(これを執筆している段階で、悪性か良性かは確定していません)を患い、手術をした私ですが、医師が相次いで良かったと言うほどに早期発見された部類でした。


 私は全身麻酔による、こんな本格的な手術は初めてでしたが、術後の回復は他の人よりも早かったようです。


 術後、目を覚ました私は、視界がぼんやりしたままで、どこに居るのか分からず、とても寒いことや、麻酔の影響で吐き気があることを伝えました。


 手術が無事に終わった後は、心臓や肺に近い場所の手術だったこともあり、すぐにICUに入りました。


 2時間毎に看護師さんがやってきて、傷口の様子や、血圧や体温、血中酸素濃度などの細かいバイタルを昼夜関係なく見るので、寝ている余裕がありませんでした。


 無論、廃液のドレーン、それに、尿道カテーテルやモニターなどの計器がつきっぱなしですし、吐き気止めや、抗生剤など、幾つかの点滴をズッとされた状態です。


 しかし、翌朝の主治医の回診にて、主治医や指導医も含めて、私の状態がとても良いので、その場でドレーンを抜き始めました。


 ICUにいた看護師曰く、


「術後、翌朝にドレーンが抜けた人を初めて見た」


 なんて言われるぐらい、驚異的な回復だったようです。


 そんな回復ぶりでしたから、その日の午後には、一般病棟に入りましたが…。


 その後、術後に良くある軽度のせん妄が起きまして、看護師さんに少しばかり迷惑を掛けてしまいました。


 術後3日目朝から軽度のせん妄もなくなり、尿道カテーテルも抜けて、本格的なリハビリが始まりました。


 リハビリは電動バイクに乗せられたり、スクワットを何回かさせられるぐらい、意外とハードなものでした。


 それで、病院の食事なんて、味気がなくて粗末だなんて、皆さん、よく言いますよね…。


 しかし、私は学生時代において、寮生活を経験していますし、まだ、昭和の時代でしたから、あのような食事でも、私はアッサリと食べられてしまいます。


 出された食事は、ありがたく頂き、病後の回復を早める意味でも、全て完食する事にしました。


 そして、朝夕、毎日のように執刀医は回診に訪れます。

 そのたびに、私は先生から同じ言葉をかけられました。


 「本当に早期で良かった。」


 私の胸腺腫は、執刀医の他にも、ベテランの指導医や、そのお弟子さんも含めて、異口同音で早期で良かったと相次いで言っていたぐらい、運が良かったのです。


 最大で4cmあった腫瘍でしたが、心臓や肺などに浸潤することなく、腫瘍が胸腺に留まっていたのです。


 腫瘍がある場所は、すぐ隣が心臓でしたし、肺も近かったので、大きくなって浸潤していたら、大変な手術になりました。


 そうなれば、私の入院は、とても長引いて、こんな事を書いている余裕もなく、病室で大人しく寝ている毎日を送っていた可能性だってあります。


 これを書いている現在、摘出した腫瘍は、病理に回されて分析されています。


 肺や消化器官などで患うような、皆さんが知っているメジャーな腫瘍とは違い、胸腺の腫瘍・癌は珍しいので、病理の診断に時間がかかるようです。


 仮に私の胸腺の腫瘍が悪性であったとしても、どこにも転移がない状態ですし、放射線を当てるぐらいの処置で済みそうだし、予後は良いので、余命などを考えずに普通に過ごせるでしょう。


 再発防止の為に、半年から1年に1度、CTやレントゲンなどで再発や転移がないか、様子を見るでしょうが、暫くは胸腺腫や胸腺癌などに怯えずに過ごせるはずです。


 そんな感じで、少しの痛みに耐えながらも、私は当該作品の執筆を仕事の合間にやっているわけです。


 小さい町工場でかつ自営業のサガですが、退院後は人権などもなく、結局はハードな仕事を普段通りに、やるしかない日々がズッと続きました。


 術後の痛みに耐えながら機械を操作したり、重いモノを持ったりするのも普通です。


 これで、術後の回復が遅れていたら、お客の無理な要望も無理でしたし、術後も無理強いする顧客に対して、声を荒げる場面もありました。


 働き方改革なんて言いますが、大手や中堅の建前だけで、底辺で下っ端の町工場など、結局は人権なんてないのは、相変わらずです。


 金持ちのインテリ風情が、下っ端を上から下に見下して、私たちのような下支えをしている、底辺を何とも思わないのは、戦前から続く日本人の悪いところが真っ先に出てると思うのです…。


 そんなボヤキは置いといて、私たち、家族に降りかかっていた不運も、少しずつですが、改善傾向にあるようです。


 もう、この辺で、悪い事が続くのは勘弁したいと思いつつ、今の苦難に向き合いながら立ち向かいたいと思っています。


 書き忘れていましたが、執筆活動については、半年~1年の間はお休みさせて下さい。


 敗血症性ショックになった母の看病や、私の体のことを考えると、落ち着いて執筆活動をしてるような余裕がなくて、暫くの間は封印となります。


 そこで、この番外編にて、たまに私の近況報告をしていくような形で細々とやっていきたいと思っています。

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