皆様に先にお礼を申し上げます。
NSP02の投票にて、恋愛部門で3位に入れましたのは、皆様のお陰であります。
1次選考は落選してしまいましたが、皆様の応援が心強かったし、深くお礼を申し上げます。
さて、閑話休題。
余りにも不運が続きすぎて、不運が断ち切れるから、なんでもやります。状態になりつつあります。
「助けて下さい」と、私は叫びたい状態です。
作者の近況と色々なボヤキ(2024/10/31)にて、自動車メーカーの不正問題で、父の跡を継いだ小さい町工場が危機的に苦しいことに加えて、高校受験を控えた息子が起立性調節障害を患って、学校に全く行けなくなったり、家や工場内の機械や機器類が相次いで壊れた話をしましたが…。
これだけでも、大変な事態になっていますが、年末にかけて追い打ちをかけるかの如く、色々な不運が襲ってきています。
10月31日の記事を書いた後に、工場内のエアコンが1台壊れました。
これは20年以上前のエアコンなので、もう寿命なのですが、この会社の状態では、買い換えが難しいので、今はストーブ使って冬をしのいで、夏場になる前に、エアコン業者や銀行系のリース会社を使ってエアコンを交換することにしました。
そんな厳しい状況が続いている最中に、愕然とする災難が訪れます。
私の母は
当然、マトモな赤血球が作られない状態になるので、深刻な貧血になってしまいます。
そこで、母は暴走した免疫を抑える為に、ネオーラルという免疫抑制剤をズッと服用していたのですが、ここにきて年齢も重なってきた影響から、徐々に服用している薬の副作用も出てきました。
免疫抑制剤を減らすということは、脊髄を攻撃している免疫を、それだけ自由にさせるのですから、それなりにリスクも伴います。
そんな最中で、母に不運が訪れました。
母の赤芽球癆や、赤芽球癆を患ったことによる膠原病などの診察をする為に、私の仕事の都合から、弟が片道車で1時間もかかる大きな基幹病院に連れて行く事になってしました。
私が、神棚にお参りをして、3年前に肺癌で亡くなった父の仏壇に手を合わせていた時に、玄関でバタッと大きな物音が聞こえて、母のウワッ!!、という声が聞こえたので、急いで玄関に行くと、母が倒れていました。
どうやら、赤芽球癆に伴う貧血から、めまいを起こして玄関で転んでしまったのです。
急いで母の体を起こすと、母は大丈夫と言いつつ、しっかりとした足取りで弟の車に乗り込んでいきました。
しかし、私は不安を覚えるばかりです。
『来客がなかったら、弟じゃなくて、私が行くのに…。』
この不安は完全に的中する形になります。
◇
数時間後…。
外せない来客があって、打ち合わせをしている時に、私の携帯が鳴って弟から電話がありました。
母親が造血剤の注射を打っている時に倒れて、どうやら迷走神経ではなく、貧血で倒れているようだ…とのことでした。
弟は、その時に、転倒した影響で頭を強く打っていたし、足腰も痛がっていたから、脳の検査と、骨が折れていないかの検査をするように、思いっきり医師に訴えるべきでした。
私は電話でそのことを弟に伝えたものの、いまいちアピールが足りなかった部分があります。
母親は本来、医者嫌いなところがあって、これが相当に事態を悪化させる結果になることが多いのです。
既に亡くなってしまいましたが、末期の肺癌で亡くなった父も、そんなところがあって、そういう場合に、先生に強く検査をして頂くように訴える事を、私はよくやってました。
それもあって、医師へのアプローチの仕方なども私は心得ていたのですが、あまり弟は、病院の付き添いをしないので、そのあたりのノウハウが全く足りません。
それが最悪の結果になって出てきます。
それでも、応急処置的に点滴などの処置があった後に、なんとか家に戻ってきて、母は足腰が痛いと言いながらも、普段通りに家事や日常生活をこなしていきます。
それから数日後…。
母の足は徐々に悪化してしまいました。
その時点で私や女房、それに弟は母に対して医者に行くように説得しますが、頑なに拒みます。
激痛のあまりに起き上がることが、ままならない状況です。
私たちは母を介助する状態になり、その時点で整形外科があるクリニックに行きますが、幸い、骨は折れてない事が分かって、その時は、強い打撲だと思ってホッとしていたのですが…。
確かに、レントゲンを撮った所見で骨は折れていなかったのですが、そのクリニックではMRIを行わなかったのは致命的でした。
その後、痛み止めを飲みながら、母を介助する日々が2~3日間続きましたが、今度は39度台の熱が出てしまいます。
母はシッカリと意識はあるものの、グッタリとしている状況なので、母の血液内科の主治医に診て頂けないか、病院に電話をしましたが、診察が混み合いすぎていて、地元のクリニックに行くように言われてしまいます。
それが大きな運命の分かれ目でした。
その日の夜、初めて、熱によるせん妄らしき症状が出てしまいます。
要するに、母は夢うつつの中にいて、痴呆のような会話になってしまうような現象です。
その翌朝はもっと最悪でした。
食事やトイレに行くのに、体を起こそうとすると、意識が遠のいて傾眠したと思ったら、しばらくするとハッと起きるような状態でした。
私は仕事をやっていたので、その状況は見ていないのですが、慌てた女房が#7119で母の症状を伝えて、救急搬送相当か尋ねた後に、救急搬送が決まりました。
無論、血液内科がある主治医がいる病院に搬送された形です。
私は、もう、かなり慌てていました。
仕事をミスらないかを心配しながら、弟に付き添いを任せて、後で病院に駆けつけることを決めました。
病院に搬送後、母はすぐにICUに入りました。
ICUに入って色々と検査をしながら判明したことが幾つかありました。
1つ目は、母がめまいがして転倒した際に、仙骨にヒビが入って徐々に激痛になっていたこと。
2つ目は、敗血症になって、命を落とす危険が迫っていることでした。
これを書いている段階で、未だにICUにいます。
そして、せん妄の症状は消えずに、母は眠っている時間も多く、話していることも支離滅裂なことが多くて、私たちの気持ちも完全に萎えています。
今年は本当に修羅場の年になりました。
私は、絶対にこれを乗り越えてみせます。
もうね、これを乗り越えれば、どんな苦しいことがあっても、絶対に耐えられます。
コンテストで賞を貰うなんて次元じゃありませんよ、こっちは私の人生の大きな糧になるのですから。