宮城谷昌光さんの『華栄の丘』を若いときに読んで未だに内容を覚えているのですが、私の悪い癖で、負け戦が濃厚になった時に、次に勝つ為に何をすべきか…なんてオチを考えてしまう。
それに対して「やる気が無いの貴方?」なんて、毛嫌いされてしまうかも知れないが、実際はそうではなかったり…。
現実を見て、自分の非力さを実感したときに、それを次に繋げようと考えているのです。
だから私は『あえて、負けを選んで、最後に勝つにはどうしたらよいか』を、先を見越して考えています。
できる限り頑張ってみるのは当然です。
でも、フルパワーで頑張っても、頑張りすぎて精神がおかしくなったら終わりですからね。
今はダメでも虎視眈々と力をつけて、次に繋げる努力をすることに力点を置くので、相手から見ると突拍子もない戦略に出る事があります。
だからこそ、目下のジタバタではなく、先を見越すので、人からは疑問視されて「可笑しい人」と思われて、周りから私の元から去って行く人もいるでしょう。
『負け戦も負けかたがある。』
これは私の教訓なのです。
自分に極力、ダメージがないように、次に繋げるように負けるにはどうしたらよいのか…。
なんだか、そんな事を考えていると、今の小説のコンテストも、私の実力を見るに、どうしたらよいのか分からなくなっているから、ここは負け戦を見越しても、今後のために地に足を着けたように、自分の力を付ける必要があります。
『そのためには何が必要か?』
そういう迷いが、コンテスト後に、ここを出て行くコトなのか、いやはや、何らかの切っ掛けで続けて踏ん張るのか、それを迷い続けている訳です。
ただ、私が辞めるとしたら、立つ鳥跡を濁さずという感じになると思います。
どのサイト見ても、しばらくの間、私の名はどこにも出てこなくなると思います。
その間に、何か力を付けるべく、虎視眈々と充電をする期間を設けるつもりなのです。
ただし、今のところは結論が出ていません。
今は深くそれを考えている時ですから・・・。
何にしても、今のままではダメだ。
その気持ちが、どうするべきなのかを悩ませているから、良い悩みなのです。
私は失敗を恐れないほうの人間です。
こういう理系の技術的な人間にとって、日々研究や何らかの技術・技能を得るために、実はかなり失敗を重ねていることが多いのです。
失敗から得ることって一杯あるのですよ。
だから、私は失敗とか負けるとか、そんなことは恐れていません。
だって、失敗する事で、得られるコトって沢山ありすぎて、それが今後の自分の糧になるのですから。
これは前向きな悩みですよ。
だから、投票も正々堂々とやって、打ち砕かれることは恐れていないし、打ち砕かれてからが、勝負だと私は思っているのです。
私はだから、ライバルであっても、Twitterで投票を呼びかけるコメントがあれば、RTしますし、新参者だから、組織的な票は皆無なのが私の背景です。
極めてそういう感情がない状態で、誰かが票を入れてくれているから、それが私を突き動かして『もっと上手く書きたい』という感情を引き寄せているからこそ、そんな悩みが出てきてしまうのです。
そして、先ほど述べた通り、負けることを恐れずに、それに対して意義を見いだしている訳です。
真の勝ちはどこにあるのか。
それをじっくりと見ていきたいと思います。