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第11話「給食のシシャモ」

翌日の学校。


朝のホームルームが終わって、1限目の授業時間が過ぎていく。


支倉ハイムは、模試が終わって一息ついたものの、受験勉強の手を一切緩めずに熱心に取り組むのだった。


穂谷野は、数学の授業を受けているハイムの後ろ姿を、自分の席から、決して遠くない距離から見ていた。昨日模試の帰りに寄った駅前のカレー屋で男子達の輪の中で話していた。ハイムは秘かに男子の人気者で「穂谷野は打ち解けているんだから告白したら良いんじゃないか」と、その場の勢いで急かされてしまった。


熊谷は、本気かどうかわからなかったがハイムに接近しようとしていて、少し嫌な言い回しで「俺が告白します」と言った。前田よしとも、磯貝も、諸々を冗談で言っていたが、穂谷野は真剣に悩んでしまった。


まず一つは、穂谷野なりに、ハイムを好きだが、手に入れたいとまで思う気持ちはどこか不誠実な期待に思われる事だった。いまこうして授業を受けている時にも、先生の話を真剣に聴いてノートを取る姿勢を崩さず、自分の学業成績の事だけ考えている事のほうがよっぽど誠実な、ハイムへの想い、その昇華の方向性だと思えていた。


穂谷野は、もしも不意に振り返ったハイムと目が合ったらいけないと思い、下を向いた。自分の教科書とノートを見つめた。学校の授業では、数学はまだ二次関数の応用問題を解いている。こんな難しい問題を解ける女の子を好きになってしまって。


もう一つは、熊谷はイケメンだから強引に口説くような真似をするかもしれない事だ。よしとや磯貝も一定の好奇の目をハイムに向けているようだった。穂谷野は守りたかった。もちろんお門違いかもしれない。熊谷も悪意と呼べるもでも何でもないが、ハイムに指一本触れて欲しくないとまで思えてくるのだった。冗談半分なんだろうか。本気だったらどうしようか。


この日は2限目、3限目と時間が過ぎ、4限目は体育だった。穂谷野はこの日の授業中は悩んでいた。体育の授業が何事もなく終わって給食の時間になった。給食では向かい合わせに座るハイムと穂谷野。穂谷野はここで一つの決心をした。


穂谷野にとって当たり前のような幸福な時間が巡って来る。配膳を終えて着席したハイムが嬉しそうに自分の給食を眺めていた。いつもの光景だ。好きな女の子と向かい合わせ。


穂谷野は、


「支倉さん」


と呼んだ。もしも嫌われてしまったら、もしかすると日常の何気ない会話を失ってしまうかもしれない。失いたくない気持ちと葛藤しながら、悩んだ末に穂谷野は決意した事があった。


ハイムは、


「何?穂谷野君!」


と言うと、この日のメインディッシュであるシシャモの唐揚げを指さして、


「穂谷野君はシシャモは好き?」


と言う。


穂谷野は、ホッとして、


「好きだよ」


と言った。穂谷野はこの何気ない会話で充満する空気を大切にしたい。ハイムが自分を、まるで友達のような距離に置いているように話す仕草にホッとした。そして、もしかしたら自分が嫌われるかもしれないが、ハイムを狙う熊谷の存在は伝えるべきだと思った。穂谷野は模試の帰りにあのような話題で盛り上がって一抹の罪悪感もあった。


校内放送の音と周囲の会話に紛れて、穂谷野は、


「支倉さん。熊谷君が支倉さんに興味があるみたいだよ…」


と言った。こんな話は聞きたくないだろうな、もしかすると自分が嫌われるだろうなと思いながら、それでも伝えた。


ハイムは、ギョッとして、


「興味?興味って何?」


と聞いた。


「まだ好きじゃないのに付き合いたいんだって…」


「え~?」


ハイムは、明らかに拒絶の表情を浮かべながら、


「ヤダヤダ!なんでそんな…!」


と言う。


穂谷野は、


「そうだよね!嫌だよね!」


と言って嬉しそうにした。


ハイムは真顔で穂谷野の顔をジッと見ると、


「穂谷野君。ちょっと…」


と言って、穂谷野を手招きしながら廊下に出て行った。穂谷野も言われるがままに廊下に出る。


廊下の窓から見える雲。ヒタヒタと目立たない足音の足取りに招かれて廊下に出た穂谷野。罪のない青空は、校内放送の音を小さくしたような廊下の背景にピッタリだった。


ハイムは、廊下に出ると、


「穂谷野君はなんでそんな事を言うの?」


と率直に聞いた。


穂谷野は、


「え?」


と言った。


驚いたというか、ハイムからの反応として全く予想していなかった。ただ嫌われるような話題かもしれないという認識が前もってあったものだから、


「気持ち悪かったかな」


と思った。


ハイムは、眉をひそめて穂谷野をジトッと睨むと、


「熊谷君はリレーの選手に穂谷野君を選んだり、体育では皆のリーダーだったりしているんだよ!私は苦手だけど…」


と言う。ハイムは不機嫌な表情で、しかし本音や本心をどこか隠しているような様子だった。穂谷野は、ハイムが「そんな話を急にもちかけて貴方こそ私をどう思っているんだ?」と言いたいのか、言いたくないのか全くわからなかった。


穂谷野は、


「支倉さんの安全安心な受験勉強を応援しているから…」


と言った。


ハイムは、ムスッとして教室に戻って行くと、


ガタンッ


と自分の席に座ってシシャモの唐揚げを睨みつけていた。


穂谷野が自分の席に座ると、ハイムは穂谷野に人差し指を立てて、


「1」


の合図を送った。


穂谷野も、指が数字の「1」を意味していると直感で分かったが、何が「1」なのだろうかと悩んで…




スッと穂谷野はシシャモの唐揚げを指差した。


シシャモの唐揚げを一本譲って機嫌を直して欲しいのかなと思って。


不安げな表情で訝し気な顔のハイムを見た。




ハイムは笑って、自分の箸で穂谷野のシシャモの唐揚げを一本攫った。


「忘れてあげます!」


穂谷野はその笑顔に安堵したのも束の間、中途半端に自分の気持ちが伝わったのではないかとゾワッとした不安に襲われるのだった。ハイムが自分をどう思っているのか、まるでオセロゲームのようにパタパタと白黒が裏返る。




「穂谷野君は食いしん坊のクラスメイトで、そもそも意地汚い所があると思って一定の距離を取っている。それでも談笑するだけの教養を私が持ち合わせているだけの話だ」




オセロの次は社会科で習ったルイ16世の処刑のような気持ちになった。




「…そんな…僕を知って貰いたい」




と独りで自分勝手にそんな願望を抱いてしまった。その不安定な心が言葉を生み出した。


穂谷野は、


「支倉さん。僕を…!し…知ってください…!」


と言った。


これを唐突と言えば、今まで唐突だと感じたものが唐突で無くなるような唐突さで言ってしまった。自分がハイムに好意を寄せている事が微妙な形で伝達されてしまった気がして焦った。


穂谷野は大きな声かなと思ったが、ハイムは少し困った様子で、


「…うん」


と言うと、俯いてしまった。


穂谷野も続きの言葉を言うことが出来なかった。




給食が終わると、いつものように北条セナがハイムの所へやって来た。


「ハイム!図書室へ行こう!社会をやろう!」


そう言ってハイムを図書室へと連れ去っていく。ハイムも嬉しそうにセナに連れ去られていった。


9月ももうじき終わる。


蝉の鳴き声もとっくに諦めたような暖気と寒気が入れ替わる季節の変わり目。


渡り廊下でハイムは、


「セナ。穂谷野君が私の事、好きになっちゃったみたい…」


と言った。


セナは少し悩んでから、


「思わせぶりはよくないよ!」


と言った。セナなりに頭を使って言ったつもりだ。「ハイムのほうから好きじゃないなら日頃の接し方はやり過ぎだ」と言いたいのだ。ハイムは、


「穂谷野君。真面目だし優しいから…」


と言うと、右手を親指と人差し指で1cmくらいの隙間を作って、


「これくらい好き」


と言った。


セナは、


「前田より?」


とよしとの名を出して「どっちが好きか」なんて事を聞いて来た。


ハイムは右手を引っ込めると、


「受験勉強しなきゃな~!」


と言った。


セナはハイムの気持ちがわかりかねたが、


「『受験勉強しなきゃな』って穂谷野君にわかって貰えたらいいね!」


と言った。


渡り廊下を歩く二人。


ハイムは急にキュッと足を止めると、


「セナは先に行ってて!」


と言って、教室に引き返した。セナは言われるがままに図書室に向かい、ハイムは教室に戻って来た。


ハイムが教室の出入り口から顔を出して、教室にいる穂谷野を見つけるとジッと見て、穂谷野が振り向くのを待った。


穂谷野がハイムを見つけて、


「あれ?」


と思うと、ハイムはまた右手の親指と人差し指で1cmの隙間を作って、穂谷野に見せた。遠目から穂谷野は、一歩二歩、ハイムに歩み寄って、


「支倉さん。どうしたの?」


と聞いた。


ハイムは、


「穂谷野君も勉強する?」


と言った。


穂谷野は、


「え?いいの?」


と言い、


「でもどうして?」


と不思議そうにした。


ハイムは、


「私からも!分けてあげます!」


と言って、穂谷野を図書室に連れて行った。




渡り廊下をシャキシャキと歩くハイムの後ろ姿。


突然の事で戸惑う穂谷野は気の利いた事が言えなかった。


今度はハイムが唐突に、


「穂谷野君の気持ちには全部答えられないけれど!」


と言った。


穂谷野は、


「う、うん。好き…だよ…」


と言えた。


ハイムは、両手をパァにして穂谷野に突き立てて見せると、


「気持ちでお願いします!」


と言って、少し腰の低い姿勢を取ったのだった。




給食の時間のルイ16世の処刑の言葉がまた蘇って来た。


「穂谷野君は食いしん坊のクラスメイトで、そもそも意地汚い所があると思って一定の距離を取っている。それでも談笑するだけの教養を私が持ち合わせているだけの話だ」




穂谷野は「構わない」と断頭台の刑吏に言える気がして、


「ありがとう!」


と言った。


ハイムはやっとニッコリ笑って、


「よかった!穂谷野君は穂谷野君だね!これからも穂谷野君だね!」


と言って、タタタタと渡り廊下を駆けだした。


図書室でセナは不本意だったが、穂谷野も「絶対邪魔はしない」と言うから了承した。担任の先生からは勉強は同レベルの者だけ巻き込むようにと言われていた。ただセナはどちらかと言うと「ハイムから見たら自分とは穂谷野と同じような存在なのか」と思ったのだった。そう思って勉強に奮起した。 

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