「心の中? それは瑞貴ちゃんのことをもっと知るという意味??」
彼女はゆっくりと聞いてきた。
「いや、そういうことじゃない。えーっと、それは……」
さっき覚悟を決めたはずなのに、僕はまだはっきりと言い出すことができなかった。
本当に自分が嫌になる。
他人のことなら冷静に考えられるのに、僕は自分のこととなると急にダメになる。
彼女の顔を見ると、決して急かしたりせず僕の言葉をじっと待ってくれているのがわかった。
僕は、深呼吸をした。
心を落ち着かせるには、深呼吸がいいとよく言われるけど、本当にこの僕の悩みに聞くのだろうか。
「それは、僕の心の中には、『小さな僕』がいるということを言いたい。変なこと言ってるのはわかってるよ。でも本当にいる」
「うん、小さい瑞貴ちゃんがいるのね。そして、その小さな瑞貴ちゃんのことで、悩んでいるのね」
突然の変な話なのに、彼女は変な顔もせず聞いてくれて、僕の言いたいことまで察してくれた。
「えっ、『そんなのいない!』と否定しないの?」
僕は自分で話しておきながら、彼女の反応に聞き返さずにはいられなかった。
普通に考えても、心の中に小さな自分がいるなんて話はおかしな話だし、それを確かめるすべもないのだから。
「私は、瑞貴ちゃんを信じてるから、瑞貴ちゃんの言葉を否定はしないよ」
彼女は、はっきりとそう言った。
「その『小さな僕』が、僕のすること全てを否定してくる」
僕は頑張って、思いを言葉にしていく。
「それは、辛いね」
彼女は、心配そうな顔をしていた。
「うん、辛い。でももう『小さな僕』に負けるのは嫌だと思った。花音ちゃんが頑張るのを見ていて、僕もちゃんと『小さな僕』と向き合いたいから」
彼女はしっかり頷きながら聞いてくれている。
どうしてこんなにも僕のことを信じてくれるのか、僕にはわからなかった。
花音ちゃんのことを信じることはできても、僕は僕自身を信じることができないから。
「僕は、自分に自信がない」
「うん」
彼女のことだから、僕のことはすでにわかっていただろう。
それでも僕の言葉をしっかり聞いてくれている。
僕はさらに言葉にしなきゃと思っている。それは、彼女が感じている以上に僕の自信のなさが深刻だからだ。
「僕はとにかくとことん自分に自信がない。きっと花音ちゃんが感じた以上に自信がない。自分を肯定したことなんてこれまでの人生で、一度もない。自分で自分を褒めたこともない。それは心の中に『小さい僕』が現れる前からそうだった」
「そうだったのだね」
「そして、『小さな僕』がいつ間にか心の中に生まれていた。『小さな僕』は、僕の自信のなさそのものなのかもしれない。『小さい僕』は、僕の言葉や行動などあらゆるものを否定する。『そんなことできるはずない』や『相手はきっとお前のことを悪く思っている』と、僕を攻撃してくる。僕は様々な言葉を『小さな僕』から言われ続けてきた。だから、次第に思っていることがあっても、言えなくなってきた」
僕は、思っていることがあってもグッと堪える理由を、しっかりと彼女に話した。
「グッと堪えることが多いのには、そんな理由があったのね」
「そう。決して僕が花音ちゃんを信じられないとかではない。『信じる』と『肯定』は僕の場合は直結しないのだよ。それは、きっと『小さい僕』が心の中にいるからだ。『小さい僕』に勝てない僕が悪い」
僕は心の中の闇が膨らんできているのを感じながらも話すことをやめなかった。
ここで止まったら、いつもと同じだから。
「瑞貴ちゃんは、悪くないよ。そんなに自分を責めなくていいのだよ」
彼女はぎゅっと抱きしめてくれた。
でも、僕は彼女を抱きしめ返すことができなかった。
「僕は悪くないか。そんなに思えたら、どんなに楽だろうね」
僕の口から、そんな言葉がこぼれた。
でも、言ってすぐに後悔した。
この言葉は、僕を励ましてくれている彼女を否定しているようなものだから。
「そうだよね。簡単じゃないから、瑞貴ちゃんはずっと苦しんでるこだもんね。私の言葉で、気を悪くしたならごめんね」
僕がひどいことを言ったのに、彼女が謝ってくれた。
何か違和感を感じた。
「僕が今勇気を出して、花音ちゃんに心の中にいる『小さな僕』のことを話したのには、理由が二つある。まず、もう『小さい僕』に負けたくないと思ったからだよ。そして、二つ目は僕にもどうしても否定されたくないことが一つだけできたからだ」
「瑞貴ちゃんは、小さな瑞貴ちゃんと向き合おうと思ったのだね。それだけで十分すごいことだよ」
彼女は僕のことを褒めてくれた。
僕は褒められても、どうしてもその言葉を素直に受け入れることができない。
自分自身が褒められるほどの人ではないと思っているからだ。
それでも、彼女はずっと言葉をかけ続けてくれる。
「二つ目の理由のどうしても否定されたくないこととは、花音ちゃんへの愛情だよ」
僕はやはり怖くなって、逃げたくなった。
苦しい。
でも、その時、彼女が差し出してくれている手が見えた。
僕はその手を掴もうと思った。
「おかしなことを言ってるのは、自分でもわかってる。『私への気持ちはその程度なの?』と感じるのもわかる。でも、僕は、『小さい僕』が怖い」
僕は素直に自分の気持ちを告白した。
「おかしいなんて、私は言わないよ。わざわざ私に気持ちを伝えてくれてありがとう」
いつも彼女は、前向きだ。
それは、正直僕にとったらまぶしすぎる時もある。
「瑞貴ちゃんに一つえてほしいことがあるんだけど。もし小さい瑞貴ちゃんに、否定されるとどうなるの?」
「僕の中で、そのことは一瞬にして『関心のないこと』に変わってしまう。否定することで、僕は逃げ場所を作ってるんだろうね。本当に僕はどうしようもないぐらい弱いよね」
自分のことをこれまで何度嫌いになったことだろう。
本当に数えきれないぐらいの数だ。いつからか数えること自体、嫌になった。
「瑞貴ちゃんは弱くなんてないよ。大丈夫だよ。だって瑞貴ちゃんは、今まで戦ってきたんだから」
「戦ってきた?」
僕は彼女の口から出た言葉に驚いた。
僕は、戦っている意識は全くなかったから。
「そう、戦ってきた。いっぱいいっぱい大変なことや辛いことと正面から戦って、瑞貴ちゃんは、たった一人で自分を守ってきたのだよ。私がもっと早くに気づけばよかったよね。本当に今まで頑張ってきたね。これからは私も一緒に戦わせてくれないかな?」
「えっ、そんなことまで花音ちゃんに頼めないよ」
僕はこの問題は一人でなんとかしなきゃと思い、覚悟を決めた。
それに僕は『小さな僕』が厄介なことも面倒なことも一番わかっている。だからこそ、『小さな僕』の問題を、彼女を任せてはダメだと感じている。
「大丈夫だよ。私が、瑞貴ちゃんをいつだって肯定してあげるんだから。小さな瑞貴ちゃんの声に負けないぐらい何度だって肯定するから」
「それだけで、本当にうまくいくかなあ」
弱音がボロボロと落ちていく。
それに、僕は彼女の負担にはなりたくなかった。
こんな情けない僕で、彼女に嫌われないか僕は怖くなってきた。
「大丈夫だよ。一度私を頼ってみてよ。私は瑞貴ちゃんに頼られたいと前に言ったよね?」
「うん、言っていたね」
それは『きゅんとさせて』と言った理由の二つ目ののものだ。
でも、これは彼女の求めている頼られたいことに該当するのだろうか。
ただの甘えではないだろうか。
僕はまだ完全に納得ができなかった。
「もう瑞貴ちゃんは、一人で頑張らなくていいのだよ。私もそばにいるんだから。二人で一緒に頑張ろうよ。それに、どんな瑞貴ちゃんでも、私は嫌いにならないから。大丈夫だよ」
「ありがとう」
僕は、やっと素直に彼女の言葉を受け入れることができた。
この短い時間の中で、僕は彼女に『大丈夫だよ』と何度言ってもらえただろうかと気づいた。
最初はその言葉も、僕には響かなかった。『小さな僕』にすぐに否定されたから。
でも、彼女が諦めず何度何度も言ってくれたから、今僕の心の奥にまでその言葉は届いた。
一人じゃないことがこんなにも安心するんだと初めて知った。
彼女となら、『小さな僕』にも勝てる気がした。
こうして、僕たちは夫婦に関する話し合いを終えたのだった。