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二十一章 「話し合い②〜彼女の不安は?〜」

「瑞貴ちゃんって、たまに鋭いよね」

 彼女は乾いた笑顔を浮かべていた。

「瑞貴ちゃんの言う通りで、私は夫婦にまつわるあることで、ずっと不安を抱えているよ」

 彼女の声のトーンは落ちていった。

 僕は予想が当たって複雑な気持ちだった。

 彼女と『イベント事』の日を一緒にしてきて、違和感を感じる時が時々あったから。

 それは何かわからないけど、重く深い感じがしていた。

「私は、私たちの『未来』についての不安なのだよ」

 彼女は、とても曖昧な言葉を使っている。

 相当言いにくいことなんだろうと心配が募る。

「未来について?」

「そうだよ」

「それは、さっきずっと一緒にいようと話し合ったことでは、補えないほどの問題なの?」

 僕は確認するかのように、ゆっくりと声をかける。

「そうね。これは、そういう次元の問題じゃない」

 彼女はいつもと違い、仮面を被ったように硬い表情をしている

 そこからは感情が読みとれない。

「そうなのだね」

 僕は決して答えを急がず、彼女のペースに合わせようと思った。

「瑞貴ちゃん、親になる準備をする日の『イベント事』の日のこと覚えてる?」

 彼女は突然そんな話を持もちだしてきた。

「うん、もちろん」 

 僕は突然その話をされたことに、できるだけ驚きを見せずにそう答えた。

 その『イベント事』の日の時は、僕たちは子どもができてからではなく、その前にもっとお互いを知り、育児についての方向性なども固めておこうという話をした。

「瑞貴ちゃんは、親になりたいよね?」

 彼女は、まだ表情のないままだ。

 こんな時どう答えるのが、正しいのだろう。

 正直なことだけが全て正しいことではないと僕はなんとなく知っている。

 彼女が求めている答えは、どっちだろう。

 僕は答えに迷った。

「うーん、二人とも本当に子どもほしいと思った時に、親になれるといいよね」

 僕は結局、曖昧にぼかすことしかできなかった。

 自分が情けない。

「そんな空気を読んだ言葉が聞きたいんじゃない!」

 彼女の言葉も、強い声も、その場を凍りつかせるには十分すぎるほどのものだった。

 それから、彼女は一層切ない表情になった。

 僕は彼女にそんな表情をさせたくない。

「もしも、それが永遠に叶わないとしても、瑞貴ちゃんは本当に私とずっと一緒にいてくれる?」

 彼女は、目をうるわせながら真っ直ぐに僕の目を見つめてきた。

「もちろんそばにいるよ」

 僕ははっきりと、そう言った。

 子どもがほしくて、彼女と恋したわけでも、結婚したわけでもない。

 彼女の素敵なところに惹かれて、僕は彼女のそばにいようと誓ったのだから。

「どうして、そんなことが簡単に言えるの? その気持ち、ずっと変わらないと言い切れる? 瑞貴ちゃんは、子どもがほしいんだよね。親になりたいんだよね。だって前に確かにそう言っていたよ。それが私といたらできないかもしれないのだよ? そんな未来でいいと、未来の瑞貴ちゃんも納得できる? あとになって、無駄な時間だったなと後悔しない?」

 彼女は珍しく、声を荒げた。少し混乱もしているようだ。こんな彼女を見るのは初めてだった。

 僕は、彼女を抱きしめた。

「今まで、辛い思い一人で抱えていたね。大変だったよね」

 まだ彼女の不安自体が何かわからないけど、それでも僕は彼女の気持ちに寄り添いたかった。

 彼女がいつも僕にしてくれていたように、今度は僕が彼女を支える。

 たとえなかなか届かなくても、僕がそばにいるよと伝え続ける。

 本当に不安だった思う。

 僕に相談することができないぐらい、心がいっぱいいっぱいだったのだから。

「私の気持ちなんて今はいいのよ! 私は、瑞貴ちゃんの本当の気持ちが知りたいのよ。瑞貴ちゃんは、子どもがほしいの? ほしくないの??」

「それは、僕は、花音ちゃんと同じ気持ちだよ」

「同じ気持ち?」

 彼女は、よくわからないという顔をしていた。

「前にその『イベント事』の日に言ってくれたよね? 『私が愛したのは瑞貴ちゃんだから』って。それは僕も同じ気持ちで、僕の中で優先すべきことは花音ちゃんと僕が幸せでいられることだよ。今は花音ちゃんが苦しんでる。花音ちゃんがそのまま苦しむなら、僕は子どもをほしいとは思わないよ。それよりも花音ちゃんと幸せになる道を僕は選ぶよ」

「本当に、瑞貴ちゃんはそれでいいの?」

 彼女は安心したのか、少し落ち着いた感じになっていった。

「うん。それよりも、花音ちゃんを苦しめてる病気は何なの?」

 僕は彼女を救いたいという一心だった。

「そもそも病気ではないんだよ。私は『不妊症』なのよ」

「不妊症?」

「笑っちゃうよね。大病どころか病気ですらないんだから」

 彼女は少しだけ笑っていた。それは自分を自虐しているのだとすぐにわかった。

「いや、そういう意味で言ったのじゃないよ! 単純に不妊症のことを知らなったから聞き返したんだよ。それに辛さに、病気は関係ないよ。本人が辛いなら、それはもうすでに辛いことなのだよ」

 僕は彼女に誤解を与えたとすぐに訂正した。

 それに夫婦において、子どもの関する問題は重要だと前に彼女が教えてくれた。

 僕自身も、今では十分にその意味はわかるし、しっかり話し合いお互いの意思を確認する必要があると思っている。

「不妊症とは、避妊をせずに夫婦生活を普通に営みながら、一年経っても子どもができなければ、そう定義させるものよ。特別な理由が見つからないことの方が多い。私たちはもう一年以上一緒にいる。私は産婦人科に行った時に、不妊症だと言われた。だからこのまま私と暮らしていても、一生子どもができないかもしれないよ」

「わざわざ不妊症について詳しく教えてくれてありがとう。なるほどね。突然告げられて花音ちゃんも驚いたよね」

 僕は、彼女と同じ気持ちをになりたかった。

「えっ、うん」

「ちなみに、治療法は、あるの?」

「あるけど、確実に効くというものはまだない。それにお金も時間もかかるし、メンタルに負担も大きい」

 彼女は体を震わせていた。想像するだけで怖くなるほどのものだということは、僕にもすぐにわかった。

 僕は「大丈夫だよ」と言葉に思いを乗せた。

「花音ちゃんは、どうしたい? まずは今の花音ちゃんの気持ちを聞かせて」

「私の気持ちは、子どもはいつか授かりたいけど、正直その時治療に耐えられるかは自信ないよ。治療は痛いのも多いし、ダメだった時が積み重なっていくと相当メンタルにくるらしいから」

「そうなんだね。花音ちゃんが今そう思うなら、今はその時まで二人で何ができるか考えていかない?」

「二人で考える? 人は完全に同じ気持ちにはなれないのだよ。特にこれは特殊な問題だし。だって瑞貴ちゃんは女性じゃないから、子供がなかなかできなくて色々と辛い気持ちになるなんてわからないでしょ?」

 彼女は、僕が同じ気持ちになりたいと思っているのをバッサリと言葉で切った。

 でも、僕は今回だけはどうしてもその勢いに負けるわけにはいかなかった。

「確かにそれはわからないよ。でも、できるだけ同じ気持ちに近づくことはできると僕は信じてる。僕たちには『言葉』があるよね? 『言葉』の大切さは花音ちゃんが『イベント事』の日を通して、僕に伝えてくれたよね。花音ちゃんの『辛い』を僕に『言葉』として伝えてよ。それは何度伝えてくれてもいい。全て僕が受け止めるから。もちろん、僕も不妊症についてしっかり調べるよ。でも、花音ちゃんの気持ちを聞くことで、同じにはなれなくても、限りなく近づくことはできるから」

「どうしてそこまでしてくれるの? 瑞貴ちゃんにとっては、それらはめんどくさいことで、わざわざしなくてもいいことじゃない」

「どうしてって、僕は花音ちゃんの一番の理解者になりたいから」

 彼女は、何も言わずに涙を流した。

 今まで我慢していた彼女の気持ちがそこに現れていた。

 僕がそれ少しでも受けとれただろうか。

「時間をかけて、話し合いを重ねて、どうしていくか二人で決めていこうよ。すぐに決めなくてもいいから。それにやってみて途中で無理だと思ったらやめてもいい。それを『無駄』なこととは、僕は思わないから。花音ちゃんと過ごす時間はたとえどんな時間だったとしても、無駄だったと感じることは僕はないから。それに夫婦において、子どもを作ることだけが幸せのすべてじゃない。僕たちに合った夫婦の形を見つけていこうよ」

「そうだよね。私が言い出したことなのに、私一番にそれを見失ってたね。ごめんね。まだまだ私も、瑞貴ちゃんのことわかってなかった」

 彼女は、いつもの表情に戻っていた。

 不安がすぐに解決したわけではないけど、僕は彼女のそんな表情を見れて少しだけ安心した。

「いいのだよ。理解することは時間がかかることだと花音ちゃんも言ってたよね。僕は何が起こってもずっと花音ちゃんのそばにいるから。これからいくらでもわかっていくことは、お互いにできるのだから」

「ありがとう」

 彼女の不安を聞いて、僕はやっと自分自身と向き合う覚悟を決めた。

 だから、こう言ったのだった。

「花音ちゃん、僕の心の中をのぞいてみない?」


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