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十二章 「八月五日 料理の日」

 八月四日。

 夕食の時に、いつものように楽しく会話していると、彼女はさらっと「明日は『イベント事』の日だから」と話してきた。

 普通に返事を返したけれど、「えっ、事前告知しちゃうの?」と僕は心の中で驚いた。

 「突然だから、この『イベント事』の日はサプライズ感があってよい」と言っていたのは、もちろん彼女だ。

 それなのに、今回はどうしたのだろう。

「明日は、二人にとって大切な料理の日よ」

「料理の日。そんな日あったかな?」

 僕は目の前にあるカレンダーをじっと見た。

 僕は記念日はかなり意識するようになってきた。でも彼女の言う日を聞いたことなかったからだ。

 そのような祭日は当たり前だけどなく、カレンダーの明日の余白部分までじっくり見ても、料理の日と小さく書かれていることもなかった。

「カレンダーを見ても無駄よ。だって私が今作ったオリジナルの日なんだから」

 彼女は楽しそうにしている。

「オリジナル? そんなのもありなの??」

 まさかの答えに、戸惑った。

 それがいいのなら、『イベント事』の日は彼女の気分次第でいくらでも作れることになるからだ。

 『合算』だけでなくそこまでありだと、もはやいつ『イベント事』の日なのか予測することは不可能だろう。

「もちろんありよ。そもそも、八月五日は語呂合わせでみんな親孝行の日とされてるのよ。瑞貴ちゃんは知ってた?」

「へぇー、そうなのだね。それは知らなかったよ」

「でしょ。結構みんな知らないだけで、本当は色々な日があるのよ。だから、私たちだけがオリジナルの日を作ってはいけないなんておかしいよね?」

「まあ理屈は、おかしくないけど」

 僕が否定するのが苦手というのもあるけど、彼女の考えはいつも完全におかしいとは言えない。

「ちなみに、明日はミートボールを一から作るから」

「えっ、そこまで教えちゃっていいの?」

 料理の日で、作る料理まで教えたら、それはもう『イベント事』の日について全て言ってるのと同じではないだろうか。

 そんな状態で明日どんな風に『イベント事』の日として盛り上がれるのか不思議だった。

「いいのいいの。ミートボール、瑞貴ちゃんは作れないよね?」

「うん、さすがにそれは作れないよ」

 たぶん、レシピサイトを見れば作れるけど、本当に作ったことはないから、この言い方でいいだろうと思った。

「それはよかった。ただ一つだけこの『イベント事』の日をする前に、条件があるよ」

「条件?」

 僕は身構えた。

 僕は、言葉には敏感な方だ。

 『条件』という言葉は、圧を感じてあまり好きじゃない。

「うん、瑞貴ちゃんは、明日の『イベント事』の日が始まるまで、ミートボールの作り方をネットで検索することを禁止します」

「えっ? それだけ??」

「『それだけ』じゃなくて、それが大事なの。守れる?」

「守れるよ」

 僕はホッとした。

 彼女が言った条件が厳しいものでなかったから。

「よかった。くれぐれもその条件だけは、しっかり守ってね。明日楽しみにしてるよ」

 そう言って、彼女はこの話をここで終えて、また別の話をしだしたのだった。


 八月五日。

 僕は前日に条件をしっかり守った。

 僕はミートボールの作り方はわからないけど、できるだけ彼女に『迷惑』をかけたくないなと思った。

 僕だってある程度は料理知識がある。ハンバーグなら僕は作れるから、だいたいそれと似ているだろうと予想していた。

 そして、スマホをエプロンのポケットに入れて、いつでも調べられるように準備をしておいた。

 ちなみに、エプロンも最近おそろいのものを買って、今それを二人でつけている。

 おそろいのエプロンを買った時、僕は「いつもどうして料理が既に終わっているのに、エプロン姿で玄関まできてくれるの?」と聞いてみた。

 僕は前よりは、彼女に聞きたいことを聞きやすくなってきている。

 「それは………」と彼女は言ってから、次の言葉がなかなか出てこなかった。

「ん? それは??」と僕が普通に聞き返すと、「それは、瑞貴ちゃんに少しでもかわいく見られたいから」と彼女は耳までまっ赤にしていた。

 その時、彼女は何でピュアなんだろうと僕は喜びを超えて感動すらした。

 エプロンの姿の謎がこんなにも素敵なものだったなら、彼女の謎はもっとたくさんあってもいいと思った。

 それを一つずつ解き明かしていくのは楽しそうだと思った。

 ちなみに、おそろいのエプロンはシンプルなデザインながら、ペンが差し込むところがあったり、スマホが楽々入るポケット二つもあったりと機能的でとても便利なものだ。

「じゃあ一緒に楽しくミートボールを今から作ろー」と彼女は元気よく言った。

 それとともに「わからないことがあったらどんどん私に聞いてね」と彼女は優しい言葉をかけてくれた。

 でも、その優しさに甘えるのは、なんだか申し訳ないなと僕は思った。

 「材料はこちらでーす」と彼女はホワイトボードをどこからともなく出してきた。

 そんなものは、前まで家になかった。

 これも彼女がこの日のために買ってきたのだろう。

 彼女ならそれぐらいする普通にする。

 そこには、こう書かれていた。


豚ひき肉 200g

パン粉 大さじ2 

牛乳 大さじ3

塩こしょう 少々

水 100cc

ケチャップ 70cc

ソース 大さじ1

しょうゆ 小さじ1


「まずは、ボウルを用意して、そこにホワイトボードに書かれた量のパン粉と牛乳を入れます」

 彼女は某有名料理番組のような話し方で、話し始めた。

 もちろん、料理上手な彼女はミートボールの作り方を、既に知っているのだろう。

 しかし、今回彼女は料理を教えてくれる役にわざわざなってくれているのだろう。

 僕は、彼女の『イベント事』の日に対する熱い思いを感じた。

「うん。えーっと、これはハンバーグの時と同じ感じでやればいいんだよね。うん、できたよ」

 僕は、彼女にわざわざどんな感じか詳しく聞かなかった。

 それは、今日は大切な『イベント事』の日なのに、そんなことに、時間を割くのは悪いと思ったからだ。

「うん。次に豚ひき肉を入れて、塩と胡椒を振ってください」

 あれ、なんだか少し彼女のテンションがさっきより低くなってる気がする。

 たぶん気のせいだろうと僕はそのことを深く考えなかった。

 だから僕は料理だけに集中することにした。

 豚ひき肉は、確か冷蔵庫のここにあったかなと、僕は自分で探して入れた。

「それでは、それを混ぜて二人でコネコネしましよう」

 一緒にコネコネしながらも、彼女は僕に話しかけてきた。

「あっ、何度も言うけど、わからないことがあったら、いつでも、どんな小さなことでも、聞いていいんだからね」

「ありがとう。でも大丈夫。花音ちゃん説明上手いし、自分でも少しはわかるから」

 コネコネしている間も、僕は料理をできるだけ早く作ろうと集中して、あまり自分から会話などはしなかった。

 早く作りたかったのは、きっと作ってからがこの『イベント事』の日の始まりだと思ったからだ。

 僕はだんだんワクワクしてきていた。

「そっか。じゃあ、次の工程にすすむよ」

 ここで僕の初めから感じていた違和感が、何かわかった。

 今日は『イベント事』の日なのに、彼女は全く甘えてきていない。

 むしろ、普段の彼女よりもテンションが低めだ。

 それはもしかしてかなりまずいことではないだろうかと僕は焦り始めた。

 しかし、結局どうすることもできなかった。

 その後も、彼女のテンションが上がることはなかったし、甘えてもこなかった。

 僕は「これは、尚更料理を早く作らなきゃ」と思い、わからないことがあるとスマホで調べて、彼女に頼らずに急いで作っていった。

 そして、なんとか料理は完成した。 

 いつものなら、ここから彼女がなぜ今日が『イベント事』の日になるか説明をしてくれる。

 でも、肝心の彼女はさっきよりもさらにぶすっとしている。

 それでも僕はいつものように、きゅんとさせる言葉を一応考えておいた。

 少しの沈黙があった後で、彼女は「これで今日の『イベント事』の日は終わりだよ」と言った。

 僕の頭の中に、たくさんのはてなマークが浮かんできた。

 えっ、始まりじゃなくて終わりなの?

 そもそもなんで今日はそんな態度なの?

 もしかして、僕が何か気に触ることした?

 結局、その理由は僕にはわからないままだった。


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