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十一章 「七月二十八日 花火大会」

 僕は彼女と一緒にお互いに両親に挨拶にしに行った時のことを思い出すことで、あることに気づいた。

 彼女は、あの時僕を試した。

 直接言うこともできただろうに、あえてその方法をとった。

 彼女は不安だったのに、ただひたすら待っていてくれた。

 それは、僕を信頼してくれているからできることだろう。

 もしそうなら、僕は今回も彼女のその思いに応えたい。

 さらには、無理やり言わされた言葉ではなく、僕の本心からの言葉だからこそ、彼女は安心できるのではないだろうか。

 きっとなんで『きゅんとさせて』と言い出したのか聞くと、優しい彼女は答えてくれるだろう。

 でも、求められるままの言葉を言うことが正しいのだろうか。いや、彼女が求めているものは、本当にそのようなものだろうか。

 結婚の報告の話を思い出すことで、僕がこの『イベント事』の日を通して、自分で何かを見つけ出し、彼女を安心させないといけないと改めて思ったのだった。


 七月二十八日。

 僕たちは、隅田川に花火を見にきていた。

 なぜ来ているかは、少しだけ時間を遡る必要がある。

 七月に入り、夏の暑さもピークに達してるときのことだ。

 写真を撮るのが好きな彼女なら、花火も写真に撮りたいと思うかもと僕は考えた。最近の僕は、彼女にもっと喜んでもらいたいと思うようになってきている。

  だから「近々花火でも見にいかない?」と僕は彼女に話しかけた。

 「行きたい行きたい!」と彼女からかなりのハイテンションで返事が返ってきた。

 「行くならやっぱ日本一のところがいい」と彼女は早口で続けて言ってきた。

 僕はきっとその言葉にも、何か意味があるんだろうと思った。

 『言葉』について、僕は今までその言葉を言う理由を深く考えることはなかった。

 でも少しずつ、考えられるようになってきた。これも彼女が『イベント事』の日を作ってくれたおかげだろう。

 だから「いいよ、そこに行こう」と言って、今に至る。

 僕たちは浴衣を着て、花火大会に来た。

 僕は浴衣を着るのは初めてだった。

 彼女が浴衣を人に着させることも自分で着ることもできるから、準備は全て彼女に任せた。

 僕は普段は自分のことは自分でしている。だから、準備を完全に任せることはないので、なんだか不思議な感じだった。少し落ち着かない気分だ。

 でも、それをしていた時の彼女がなぜか生き生きとしていたから、こんなこともいいかなと思えた。

 浴衣の柄は違うけど、色は同じ紺にした。

 僕のはシンプルで柄無し。彼女のは花火のように、きれいな花模様がたくさん描かれているものだ。

 これは十分ペアルックと言えるだろう。

 彼女と一緒ということが、とても嬉しかった。

 最近の僕は、『なんでもペアルックにしたい』と思うようになってきていた。

 自分で言うのは恥ずかしいけど、これは劇的な変化だ。

 ペアルックすること自体には抵抗は特になかった。ただあえてペアルックにする必要性はあるかなと前までは思っていた。

 でも実際にしてみると、ペアルックをするだけで、なぜか幸せな気分になった。彼女が前より笑うようになった。

 そして、ペアルックもいいかなって思えてから、どんどん僕はペアルックにハマっていった。

 これも、『イベント事』の日をしていくうちに、変わってきた気持ちだ。

 昔の僕が聞いたら、きっと驚くだろう。

 今の時間は十六時。

 花火自体は十八時ぐらいに始まる。 

 僕たちが早く来たのは、屋台を楽しむためだ。

 花火大会の主役の花火だけでなく、屋台にもワクワクする。どんな屋台があるのかなと考えただけでテンションが上がる。

 そして、これほど大きな花火大会なら、屋台の数も相当ある。

 僕たちは、この日のためにどの屋台がどこに配置されているかも、ネットで事前にチェックしてきた。

 しかし、早めに来たつもりだったのに、もう会場は人であふれかえっていた。

 隅田川の花火大会は、毎年100万人ぐらいの人がやってきて、2200発の花火が打ち上げられる大規模な花火大会だ。

 日本一と呼ばれるだけあるなと僕は素直に驚いた。

 しかも、花火は二ヶ所で同時に打ち上げられる。来年来ても違う花火が観れる花火大会はとても珍しいと思う。

 人が多いので、僕たちははぐれないように手をしっかり繋いでいた。彼女の手から、ゆっくりとドキドキが伝わってくる。

 彼女が目的の屋台につくと、「ねぇ、一緒に食べようよ」などとはしゃぐから、僕はほぼ引っ張られている状態だった。

 リンゴ飴をどう食べようか悩んでいる彼女、ヨーヨー釣りを勝負して負けて本気でへこむ彼女、かき氷を美味しそうに食べる彼女。

 どの彼女も素敵で、僕はきゅんとした。

 僕はいつの間にかスマホで、その姿を撮っていた。

 「なに、急に撮ってるのよー」と笑う彼女も、またかわいかった。

 そんな彼女を見れただけで、花火がまだ始まってもいないのに、僕は今日は来て本当によかったなあと感じたのだった。

 十八時になり、花火が始まった。

 僕たちは、あらかじめ調べておいた穴場スポットに座っている。

 一発目の花火が空に華麗に花を咲かせてた。

 その時「今日は『イベント事』の日だね」と僕たちは同時に言った。

 まさかタイミングまでまるっきり被るとは思ってなくて、僕たちはお互いに笑い合った。

 なんて幸せな時間だろう。こんな時間を今まで僕は大切にしてこれなかったことを申し訳なく思った。だって、彼女に寂しい思いをさせていたことになるから。

 彼女は浴衣の袖に自分の手を入れて、「本当にきれいだね」と僕の肩に寄りかかってきた。

 そして、その体勢のまま、「こんな話聞いたことある?」と彼女は話し始めた。

「どんな話?」

 普通に返事したけど、僕の胸は、花火の音に負けないぐらい大きくドキドキしていた。

「花火を見た後で、すぐに頭に浮かんだ人が今一番思っている人だって話」

「うーん、聞いたことある気がするかも」

「私はそれ、あながち間違っていないと思う。花火は美しくて儚くて、人を感動させる。その感動の中にいる時、頭に浮かんだ人は、その感動という思いに負けないぐらい強く思っている人だと思うから。私は瑞貴ちゃんのことを誰よりも思っている。そんな瑞貴ちゃんと一緒に花火を見て、感動体験を共にできたらなんて素敵なんだろうと思った。私は瑞貴ちゃんと同じ気持ちになりたい。そして、もしも、それをするなら日本一の花火大会を見て、最大の感動体験を一緒に味わいたかった」

「だから日本一の花火大会に行きたいと言ったんだね」

 僕は彼女がなぜ日本一の花火大会に行きたいかわかってよかったと思った。しかも、その理由が、僕のことを思ってくれているものだから、心が温かくなった。

「さすが、瑞貴ちゃん。やっぱりだんだんわかってきたね!」

 彼女は僕の変化に、喜んでいるように見えた。

「いや、やっと花音ちゃんことを、少しだけわかってきただけだよ」

 その瞬間花火が大きく打ち上がり、花火が僕の言葉をかき消した。

「えっ、今なんて言ったの?」

「ううん、大したことではないよ」

 もう一度言うのは、なんだか恥ずかしかったから僕はそう答えた。

「えー、気になる!」

「そんなことより、こんなにきれいなものを見ている時は、きゅんとした言葉を聞きたくならない?」

 かなり強引に、僕は話題を変えた。強引なところまで似てくるとはすごいなと思った。

「えっ、うん。それはそうだけど。でも、さっきのやっぱ気になるー」

 彼女は珍しく悩んでいる様子だった。

「そんな都合よく二つ願いは叶わないよ。あっ、せっかく考えてきたきゅんとする言葉が忘れそうだなあ」

 僕がこんな風にわざわざ意地悪するのにはちゃんと理由がある。

 それは彼女に嫌な感情をもったからではなく、彼女をもっと知りたいと思ったからだ。

 正直、意地悪な行動をあえてするのは心が痛い。

 でも、違う行動をすることで、彼女の新しい一面がわかるかもしれないから。

「うんうん。私全然気にならない。いやぁー、本当は全く気になんてしていなかったよ。あれは、きっと、お口さんが勝手に動いたんだよ」

 彼女は、わかりやすく慌て出した。

 いつも隙のない完璧な彼女だ。そんな彼女の慌てている姿を見るのは、珍しくてとても新鮮だった。

「何、その言い方。おもしろい」

 僕は、お腹を抱えて盛大に笑った。

 彼女も僕と同じように慌てることがあるんだと、当たり前のことだけどわかってホッとした。

 彼女を前よりもぐっと近い存在に感じるようになった。

「そんなに笑わなくていいのに〜」

 彼女は、顔を赤くしていた。少しむすっともしてる。

「ごめんごめん。それで、きゅんとする言葉だったね」

「うん、待ってました!」

 僕の言葉を聞くなり、彼女の機嫌はすぐに直ったようだ。

 彼女も意外と単純なところもあるのかもしれない。

「じゃあ言うね。花火は消えてしまうけど、僕の花音ちゃんを思う気持ちは決して消えることはないから。それは花火ほど美しくないかもしれない。でも、僕は一瞬の美しさより、『永遠の時間』を花音ちゃんと過ごしたいよ」

「詩的で、ロマンチックで、私のことも考えてくれていて、もはや100点満点だよ」

「なんとか『駄作』だった時期を、僕は乗り越えられたみたいだね」

 僕は自虐的に笑いをとってみた。

 自分のことを下げて話すなんて今までしたことない。

 これも今回新たに試してみたことだ。

「あの時はごめんね。それから、」と言いながら、彼女の顔は近づいてきた。

 そして、彼女の唇が、僕の唇に重なった。

 彼女はしばらくしてそっと唇を離し、「それから、愛してるよ」と言った。

 とても優しいキスだった。

 その瞬間、花火が空一面にたくさんの花を咲かせたのだった。



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