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七章 「四月一日 エイプリルフール」

 僕は彼女とそんな風に出会ったんだったなと改めて思い出した。忘れたことは一度もない。ただこうやって改めて意識的に思い出すことで新たな発見があるかと思った。

 あの時は、彼女のことを全く知らなかった。それでも恋をした。

 『イベント事』の日が始まる前の僕も、彼女のことをあまり知らなかった。

 でも、これから先もずっと一緒にいるのなら、相手のことをもっと積極的に知る必要があるとわかった。

 今は付き合いたての頃より、彼女のことをどれだけ知れているのだろうか。

 僕は最近彼女のために変わりたいと思うようになってきていた。

 そんなことを考えながら、その日は早めに眠りについた。


 四月一日。

 僕は『イベント事』の日について、わかってきたことをまとめてみることにした。

 僕は少しずつだけど、どんな日が彼女にとって『イベント事』の日になるのか、わかってきつつあった。

 『イベント事』の日はまず、比較的みんなに知られている記念日で、なおかつみんなが楽しい気持ちになれる日が多い。

 その日にうまく理由をつけて、『イベント事』の日にする傾向がよくある。

 『合算』という荒技などをしてくるぐらいだから、今後もまだまだ完全に読めないことは確かだけど、少しだけなら予測はできる。

 今日はエイプリルフールだ。きっと彼女は甘えてくるに違いないと、僕は確信していた。

 『イベント事』の日の法則性が少しずつわかってきても、僕はなぜその日が『イベント事』の日になるのか彼女の言葉で聞きたかった。

 それは、なぜ彼女が突然『きゅんとさせて』と言い始めたのか知るためだ。

 彼女の話から彼女の考え方を知り、それを手がかりに彼女の抱えている問題を見つけたい。

 そう思いながら、僕は今キッチンでケトルでお湯を沸かしている。家ではそれほど本格的なコーヒーは作れないけど、スーパーで売ってる即席のコーヒーも種類がたくさんあり楽しめる。

 僕は一日に数回コーヒーを飲む。

 普段は何をするのも彼女と一緒に行動しているけど、このコーヒーの時間だけは一人でゆっくりと味わっている。

 でも、ふとわざわざ一人の時間をもらう必要性があるのかと疑問にも思った。別に二人で温かいものを一緒に飲んでもいいのだから。

 今は夜ごはんを食べた後で、一日の疲れを落としているところだ。

 すると、突然足音が聞こえてきて、後ろからいきなり彼女に抱きつかれた。

「今日は『イベント事』の日だよん」

 女性なら誰しも一度は憧れるバックハグ。

 彼女はもしかしたら「女性が憧れるなら、男性も憧れるはず!」と思ったのかもしれない。

 彼女の思考回路も、少しずつわかってきた。

 でも、残念ながら、彼女のバックハグはなんかずれていてきゅんとしなかった。

 そんな心の声を感じとったかのように、彼女は抱きつく手にさらに力を入れてきて、「聞こえてる?」と言ってきた。

 今日は『イベント事』の日だとなんとなくわかっていたけど、やはりこんなにも甘えられるのはまだ慣れない。

 どうしていいかわからない。

 甘えられること自体は、照れるけど嬉しいし確かにドキドキする。

 でも、普段の彼女から甘えモードの彼女の振り幅があまりにも大きすぎて、気持ちがまだ追いつかない。

 本当に彼女が甘え出すスイッチは、どこにあるのだろう。

 もしも部屋のあちこちに落ちているなら、今度僕が部屋掃除した時に一斉に拾って、タンスの中にまとめて片付けておこうと思った。

 まあそもそも僕にそれが見つけられるかすらわからないんだけどね。

「正確には『今日も』だよね。昨日もそうだったよね?『イベント事』の日ってそんなに続けてあっていいものなの?」

 僕は勇気を出して、つっこんだ。

 僕はある理由から、自分の意見はあまり言わないようにしている。

 昨日は花見という『イベント事』の日だった。

 あの日は、確かに二人で心を通わせることができたと僕も感じた。

 その余韻が冷めないうちに、「また『イベント事』の日なの?」と思った。

 もちろん、彼女の行動を悪く言いたいわけじゃない。ただ、彼女には余韻に浸るということをしないのだろうかと思った。

「もぅ、当たり前じゃない。嬉しいことはいくらあってもいいのだよ。瑞貴ちゃんは、嬉しいことや楽しいことをしちゃダメって言われたことある? 嬉しいことや幸せなことは、多い方が素敵じゃない?」

 彼女の言ってることは、いつも通り間違ってはいない。

 でも、僕は『嬉しいこと』について、そんな風に考えたことがなかった。

 考え方や価値観に違いがあるのは当たり前のことで、それを否定はしないし、受け入れたいと僕は思っている。

 そして、彼女の言葉の中で、なぜか『幸せ』という言葉が、僕には引っかかった。

 彼女が突然『きゅんとさせて』と言ったことと、『幸せ』はもしかしたら関係しているのかもしれないと思った。

 これは偶然の賜物だけど、彼女をきゅんとさせると僕はきゅんとすることがあった。その時僕の心が温かくなった。

 これは『幸せ』と呼べるのではないだろうか。

 でも、彼女にとって、どんなことが幸せなんだろう。

 もちろん、僕は彼女のために、彼女を第一に今まで行動してきた。

 彼女の幸せのために僕なりに一生懸命してきたつもりだ。

 でも、それがもし彼女描く幸せとは、方向性が違っていたとしたら?

 それは、僕の行動が無意味だったということになる。

 そして、もし本当にそうなら早急に彼女の幸せを知らなければいけないこととなる。

「そうかもしれないね。花音ちゃんには今日が、僕たちの『イベント事』の日になる理由があるんだよね?」

 僕は頭によぎったネガティブな考えを一旦取り除いて、彼女の話に集中することにした。僕が悩んでいることで、彼女を不安にさせるようでは本末転倒だから。

「それはもちろん。エイプリルフールは、嘘をただつく日じゃないからだよ」

「どういうこと?」

 僕は自然と質問していた。

「そうね、実践してみるのがわかりやすいかな」と楽しそうに考えだした。

「私、実は瑞貴ちゃんと血の繋がった双子なの」

「嘘だね。だって花音ちゃんは大雑把すぎるから、僕と双子なんてまずありえないよ」

 そもそも今から嘘をつくと宣言してから、嘘を言うのは不思議だ。だって嘘だって100%わかるのだから。

 だからなのか、僕はいつもより思ったことを言うことができた。

「あはは、いいね。そう、嘘だよ」

「じゃあ、次ね。実は私は某国のスパイで、スパイの仕事として瑞貴ちゃんと結婚したのよ」

「いやいや、それは嘘というレベルを超えてるよ。花音ちゃんにスパイの仕事をするのは、『不可能』だよ。だって花音ちゃんはポーカーフェイスができないもん」

「うんうん、最高だよ。もちろんこれも大嘘ね。で、なんとなくわかった?」

 彼女は大きな声で笑っていた。

「花音ちゃんが嘘をつくのに向いてないことはすぐにわかったけど、そこに別の意味があるのか。うーん、わからなかったよ。教えてくれる?」

 僕は正直にそう聞いてみた。

 確かに彼女の嘘は、悪意もなく平和的だった。

 でも、嘘をつくことに、別の意味があるのとはどういうことだろうか。

「うん。私は今必死で瑞貴ちゃんが驚きそうな嘘を即興で考えた。瑞貴ちゃんは、私を楽しませるために言葉を選んで、それに返事をくれた。それって嘘を間に通しているだけで、相手のことを思っている立派な愛と言えない? 本当に興味がないなら、嘘すらつかないよ。相手も適当に答えるよ。でも瑞貴ちゃんは、私の嘘に正面から向き合ってくれた。私はくだらない冗談を二人でいつまでも言い合える関係に瑞貴ちゃんとなりたい。その思いをエイプリルフールは思い出させてくれる。エイプリルフールは、愛のある立派な『イベント事』の日だよ」

 この話を聞いて、疑問に思っていたことがわかった。

 彼女はやはり僕を楽しい気分にさせるために、いつも色々な方法で驚かしているようだ。

「なるほど。それはわかるかも。僕も花音ちゃんと何歳になってもくだらない冗談を言い合いたいよ」

「そんなのもいいけど、早くいつものアレください。アレがなくなると、すぐ手が震えてくるの」

 彼女の声がワントーン、よくわからないけどツートーン? 上がった。

 アレとはやはりアレのことだよね?

 そして、中毒者みたいな言い方しちゃダメ! と思った。

 まあ、それをいつのまにか当たり前のように、毎回考えてるようになってきた僕もだいぶ感覚が麻痺してきるけど。

「うん、わかったよ。今回は、こんなのはどうかな?

『君となら

話が尽きる

ことはない。

だってそこには

愛があるから』」

「おぉー、短歌ね!それも今話してたことだよね。そう言うのをさらっと言える人は、かっこいいしきゅんとしちゃう。瑞貴ちゃんにこんな才能があったなんて知らなかったよ」

「ありがとう。趣味程度のものだよ」

 実は僕は文章を書くのが好きだった。

 だからこういう短歌などもよく作っているから、すぐに浮かぶ。

 彼女に言っていなかったのは、単純に恥ずかしかったからだ。

 それに出し方によっては、黒歴史になりかねなかったし、彼女が悪い意味でとらなくてよかったと少し安心した。

「趣味程度じゃなくて、十分すごいよ! 今回もきゅんとさせてくれてありがとう。私は本当に幸せ者だよ」

 彼女はそう言って、抱きしめついてきた。

 「なんで喜ぶと、抱きしめる力が強くなるかな」と今回も思ったけど、それはまた口には出さなかった。

「僕の言葉で幸せに感じてくれたなら、それは僕も嬉しいよ」

「短歌、また聞かせてね」

「うっ、うん、少し恥ずかしいけどいいよ」

「やったー、楽しみ」

 彼女が何を幸せと感じるかはまだ全然わかっていない。でも、小さなことだけど、今幸せと感じてくれているのは確かにわかった。

 そして、彼女のこの笑顔が、嘘じゃないともわかったのだった。


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