二月十四日。
バレンタインデーを楽しみに思う日が来るなんて、今までの僕からしたら考えられないことだ。
かっこいいわけでもない僕は誰からバレンタインデーのプレゼントをもらうこともほとんどなかったし、仮にもらえたとしてもその気持ちにどう応えていいかわからないからだ。
でも、今日は珍しく楽しみに思っている。
これはもしかしたら彼女が『イベント事』の日を作ったことに関係があるのだろうか。
そもそも僕たちは交際期間が短かった。具体的には、六月から十一月の間恋人同士だった。だから付き合っていた時に、バレンタインデーの日が当然ながらくることはなく、今回が初めて二人で迎えるバレンタインデーとなるのだ。
きっとこれも『初めて』効果だと自分を納得させる。
「ただいま」と家に帰ってきてから、僕は「今日はバレンタインデーだね」と彼女が言ってくれるのを少し期待していた。
別に僕から言ってもおかしくないんだけど、僕から言うとプレゼントの催促をしているみたいにとられる可能性もある。
彼女はいつも通り「おかえり」と出迎えてくれた。
僕はそわそわしてる気持ちをなんとか隠しつつ、そのまま部屋に入っていった。
その後、食事の時は、いつも通り楽しく話をしたけど、彼女の口から「今日はバレンタインデーだね」という言葉は出てこなかった。
晩ごはんが食べ終わると、彼女は「ちょっとお手洗いに行ってくるね」と席を外した。
彼女が見えなくなってから、僕はガクッと肩を落とした。バレンタインデーは彼女にとってそれほど大切な日じゃないと感じたからだ。
僕は、落ち込むことには慣れているじゃないかと自分に言い聞かせる。
でも涙まで出そうになってきていて、僕は自分自身に驚いた。
一人勝手にへこんでいると、彼女がリボンでラッピングされた大きな箱を僕の目の前にだして「ハッピーバレンタイン、愛してるよ」と突然言ってきた。
僕はまさかのことに、言葉が出なかった。
「あはは、なになに、驚きすぎて声が出なかった? 一回サプライズをやってみたかったのよ。そんな反応されると、やった甲斐があるよ。そもそも瑞貴ちゃんとの大切な『イベント事』の日を、私が忘れるわけないでしょ」
一方、彼女は楽しそうにお腹を抱えて笑っている。
「えっ!? サプライズだったのね。ホッとしたよ」
「ホッとした?」
彼女は僕の言葉を聞いて、目を大きく開いた。
「いや、すごく個人的なことなんだけど。一人少し舞い上がってるのかなと勝手にへこんだり、何か最近嫌われることをしたかなと不安に思いだしてたからさ」
彼女に嫌われたらと考えると、また心が苦しくなった。
少し怒られたり嫌われても、関係性は簡単には崩れないというけど、僕はほんの少しでも彼女に嫌われたくないなとその時思った。
それほどまでに、僕は彼女のことを愛している。
「嫌うわけないじゃない。ほら、早く開けてみて」
彼女は僕よりも笑顔で楽しそうだ。
彼女の他の人も温かい気持ちにするこの笑顔が、僕は大好きだ。
「ありがとう、花音ちゃん」
箱を開けると、僕の大好きなチョコのブラウニーがたくさん入っていた。しかも一つ一つのサイズも小さくてかわいらしい。
僕がチョコが好きだと一度ぐらいしか言ったことなかったのに、それを覚えてくれていたことがすごく嬉しかった。
しばらく幸せの余韻に浸った後、彼女を再び見ると、目の前でずっと小さく手を上げていた。
「花音さん。どうしたの?」
僕はあえて小学校の先生のように、振る舞った。
「うん、先生。花音、話したいことがあるの」
彼女も僕のボケにのっかってきてくれた。
その時、いつも僕がボケると彼女はそれに付き合ってくれていることに気づいた。
それってもしかして、当たり前じゃなく、貴重なことなんじゃないだろうか。
最近僕のためにしてくれている彼女の行動に少しだけ気づけるようになってきた。
でもきっとまだまだ、彼女のことをわかれていないんだろうなとも思った。
「先生にはなんでも言っていいよ。どうしたのかな?」
その言葉を聞いたとたんに、彼女は急に小学生役をやめて甘えモードの彼女になった。
「『なんでも』いいんだよね? じゃあ、今日もきゅんとさせてくれるよね?」
そう言って、彼女は僕のことをゆっくりと見つめてきた。
ここで「それはできない」というほど、僕はひどいやつじゃない。
むしろ、何その視線。
「甘え方のバリュエーションが豊かだね」と素直に感心した。
目もしきりにぱちぱちさせているし、なんだか全体的に艶があり、大人っぽい。
確かに彼女は年齢の割には芯が通ってるし、しっかりもしている。けれど、彼女の方がたいぶ年下だから、彼女に大人っぽさを感じたことは今までなかった。
どんな話題の出来事よりも僕は今びっくりしてるよ。
むしろ、そんな視線で見つめられると、僕はなんでもおっけいしちゃいそうだよ。
「うっ、うん」
「やったー」
「ところで、一応聞くけど、今回は僕たちにとってどんな『イベント事』の日なの? 確かに今日はバレンタインデーだけど」
僕はまたしても、今日が二人の『イベント事』の日ということにしっくりきてない。
僕はプレゼントをもらえて嬉しかったけど、彼女目線で考えると、いいことがなさそうだからだ。
「今日は『愛の記念日』よ」
彼女は「それ以上は、言わなくてもわかるでしょ」という目で見てくるけど、残念ながら僕には今回も全くもってわからない。
「愛の記念日??」
「そうよ。まず、今日から我が家ではバレンタインデーとホワイトデーは合算して、二月十四日に祝うこととしまーす」
彼女はそれが当たり前のような顔をしている。
「『合算』とはまた、無理矢理な手を使うね」
少しだけ彼女の甘えモードのテンションに慣れてきた僕は、軽くツッコミを入れた。
「そう? だって渡す相手が違うだけで、二つの日のすることは同じじゃない?」
「まあそれはそうだけど。花音ちゃん側としては、お返しを待つワクワク感はなくていいの?」
僕は彼女のことも考えて発言した。いつも以上に彼女のことを考えることで、彼女のことを知れると思ったから。
「いいのいいの。私、瑞貴ちゃんからのお返しに一カ月も待てないもん。すぐにお返しがほしくなるもん」
僕の思いやりを、彼女は斜め上の方から飛び越えていった。
そして、彼女は小さな子どものようにほっぺたをぷーっとふくらませた。
大人がこれを笑わずに全力できるのだから、「もう立派な女優だね」と僕は思った。
一方で、そんな姿も「かわいいな」と思った僕が確かにいるのがなんだか悔しい。
「一ヶ月待てないのは分かったけど、どうしてバレンタインデーとホワイトデーが僕たちの『イベント事』の日になるの?」
彼女の前回の話に比べたら、今回のは少し説得力に欠けるなと感じた。
「だ、か、ら、そんなのわかるでしょ〜。バレンタインデーには、悲しい歴史があったんだけど、それは今回は省略ね。とにかくバレンタインデーは、今では世界でカップルの愛の誓いの日とされているのよ」
「えっ、そんな大事ところ省略するの?」と僕はつい笑ってしまった。
「うん。私たちには、そんなに重要じゃないからね」
彼女は、かなり大雑把のようだ。
そのまま彼女は何も気にすることまたしゃべり始めた。
「とにかく、バレンタインデーは、カップルが愛の誓いをする日なのよ。それってなんで『カップル限定』なの? 『既婚者』は愛の誓いをしたらダメなの? こんなにも瑞貴ちゃんを愛しているのに、その日を『イベント事』の日にしちゃダメなの? てか、既婚者も愛の誓いしちゃってもいいよね??」
「うっ、うん」
彼女の勢いは、確かにいつものようにすごかった。でも今回はそれに負けたと言うよりは、堂々と「愛してる」と言われるのが恥ずかしくて異議を唱えるのをやめた。
きっと今回の彼女は、僕が納得するまで愛の言葉をずっと言うだろうから。
「前置きが長くなったけど、本題である私をきゅんとさせてくれる?」
あの『イベント事』の日の説明を前置きと、簡単に言えてしまうところが、今の彼女の本当にすごいところだ。
もはや尊敬を抱くよ。
だって今さっきまで、あんなに愛について熱弁してたのに、それは彼女にとっては前置き程度だと言っているのだから。彼女が本気で愛について語り出したらすごいことになりそうと思った。
同時に、彼女の僕を好きという気持ちはかなり大きいものだと気づけて、嬉しくなった。
「うーん、『まずはプレゼントありがとう。そして、僕の好きなものをドンピシャでくれるなんて、驚いたよ。サプライズされたのも人生で『初めて』だよ。こんなことされると今よりも、もっと好きになるよ』とかはどうかな?」
普段愛の言葉なんて言い慣れてないから、やっぱり言ってからすぐに恥ずかしくなった。
恥ずかしがらずに言える彼女のメンタルはきっと鋼のように強いのだろう。
「うんうん、『ださく』、いや、前のに比べたら瑞貴ちゃんも、のってきたね」
「僕自身は、何に『のってる』のか全くわかってないんだけどね。てか、また一回目のことディスてるよね。もうはっきりと『駄作』って言っちゃてるし」
「あれ、最後の方の言葉がよく聞こえなかった。なんでかな? まあいいよねー」
なんて都合のいい耳だろう。
そして、彼女は前回より話を流すのがうまくなってきている気がしてならない。
「今回の言葉は、本当にきゅんきゅんした。私の気持ちも伝わってるのが分かったし。本当にありがとう」
彼女は急に、丁寧にお礼を言ってくれた。
ただそれだけなのに、僕はそれがすごく嬉しかった。
きゅんとさせるとこんな気持ちになれるなら、きゅんとさせるのも悪くないかもしれない。
「ねぇ、このプレゼント、今から一緒に食べない二人で食べる方が絶対おいしいよ」
そう言って、彼女はさっと箱からチョコを一つとっていった。
「一緒に食べるのはもちろんいいけど、その一個は、さすがにとるの早すぎない?」と僕は笑いながら、彼女を追いかけた。
「だって嬉しいんだもん」という彼女の弾んだ声がずっと部屋に響いていた。