二月に入ってから、僕は今日を一番楽しみにしていた。
僕たちは交際期間が短かった。具体的には、六月から十一月の間恋人同士だった。だから付き合っていた時に、バレンタインデーの日が当然だけどくることはなく、今回が初めて二人で迎えるバレンタインデーとなる。
「ただいま」と言った後、「今日はバレンタインデーだね」と彼女が言ってくれるのを少し期待していた。
別に僕から言ってもおかしくないのだけど、僕から言うとプレゼントの催促をしているみたいにとられる可能性もあるから。
残念ながら、彼女は「おかえり」と言っただけだった。
僕はそわそわしてる気持ちを隠して、そのまま部屋に入っていった。
その後、晩ごはんの時も彼女の口から「今日はバレンタインデーだね」という言葉は出てこなかった。
こんなに言われないから、今日はお祝いされないと僕は諦めた。
晩ごはんが食べ終わると、彼女は「ちょっとお手洗いに行ってくるね」と言った。
彼女が完全に見えなくなってから、僕はガクッと肩を落とした。
一方で、落ち込むことに慣れているじゃないかと自分に言い聞かせた。
涙が出てきた。
そんな時リボンでラッピングされた大きな箱を僕の目の前にだして「ハッピーバレンタイン、愛しているよ」と言いながら彼女は突然現れた。
僕はまさかのことに、言葉が出なかった。
「あはは、驚きすぎて声が出なかった? 一回サプライズをやってみたかったのよ。そんな反応されると、やった甲斐があるよ。そもそも瑞貴ちゃんとの大切な『イベント事』の日を、私が忘れるわけないでしょ」
彼女は楽しそうにお腹を抱えて笑っている。
「えっ!? サプライズだったのね。ホッとしたよ」
「ホッとした?」
彼女の目つきは心配したものに急に変わった。
「いや、二人で迎える初めてのバレンタインデーを楽しみにしていたから」
「そうだったのね。瑞貴も楽しみにしてくれていたのね」
彼女は優しく頭をなでてくれた。
「大丈夫だからさ。瑞貴のタイミングでいいから、開けてみて」
彼女の他の人を温かい気持ちにする優しさが、僕は大好きだ。
「ありがとう、花音ちゃん」
箱を開けると、僕の大好きなチョコブラウニーがたくさん入っていた。しかも一つ一つのサイズも小さくてかわいらしい。
僕がチョコが好きだと一度ぐらいしか言ったことなかったのに、それを覚えてくれていたことがすごく嬉しかった。
しばらく幸せの余韻に浸った後、彼女を再び見ると、目の前でずっと小さく手を上げていた。
「花音さん。どうしたの?」
僕はあえて小学校の先生のように、振る舞った。
「うん、先生。花音、話したいことがあるの」
彼女も僕のボケにのっかってきてくれた。
その時、いつも僕がボケると彼女はそれに付き合ってくれていることに気づいた。
それってもしかして、当たり前じゃなく、貴重なことなんじゃないだろうか。
最近僕のためにしてくれている彼女の行動に少しだけ気づけるようになってきた。
「先生にはなんでも言っていいよ。どうしたのかな?」
その言葉を聞いたとたんに、彼女は急に小学生役をやめて甘えモードになった。
「『なんでも』いいんだよね? じゃあ、今日もきゅんとさせてくれるよね?」
彼女は僕のことをゆっくりと見つめてきた。
ここで「それはできない」というほど、僕はひどいやつじゃない。
むしろ、何その視線。
「甘え方のバリュエーションが豊かだね」と素直に感心した。
目もしきりにぱちぱちさせているし、なんだか全体的に艶があり、大人っぽい。
彼女は年齢の割には芯が通ってるし、しっかりもしている。でも彼女の方がたいぶ年下だから、彼女に大人っぽさを感じたことは今までなかった。
どんな話題の出来事よりも僕は今びっくりしてる。
てか、あの視線はなんでもおっけいしちゃいそうなぐらい破壊力がエグかった。
「うっ、うん」
「やったー」
「ところで、一応聞くけど、今回は僕たちにとってどんな『イベント事』の日なの?」
僕はプレゼントをもらえて嬉しかったけど、彼女目線で考えると、いいことがなさそうだからだ。
「今日は『愛の記念日』よ」
彼女は「それ以上は、言わなくてもわかるでしょ」という目で視線を送ってくるけど、残念ながら僕には今回も全くわからない。
「愛の記念日??」
「そうよ。まず、今日から我が家ではバレンタインデーとホワイトデーは合算して、二月十四日に祝うこととしまーす」
彼女はそれが当たり前のような顔をしている。
「『合算』とはまた、無理矢理な手を使うね」
少しだけ彼女の甘えモードのテンションに慣れてきた僕は、軽くツッコミを入れた。でもツッコミを入れながら、なんだかもやっとしたものが心に残った。
「そう? だって渡す相手が違うだけで、二つの日のすることは同じじゃない?」
「まあそれはそうだけど。花音ちゃん側としては、お返しを待つワクワク感はなくていいの?」
僕は彼女のことも考えて発言した。いつも以上に彼女のことを考えることで、彼女のことを知れるかもしれないから。
「いいのよ。私、瑞貴ちゃんからのお返しに一カ月も待てないもん。すぐにお返しがほしくなるもん」
彼女は斜め上の方から飛び越えてきた。
そして、彼女は小さな子どものようにほっぺたをぷーっとふくらませた。
大人がこれを笑わずに全力できるのだから、もう立派な女優だ。
それでも尚安定のかわいさだから、余計に悔しくなる。
「一ヶ月待てないのはわかったけど、どうしてバレンタインデーとホワイトデーが僕たちの『イベント事』の日になるの?」
彼女の前回の話に比べたら、今回のは少し説得力に欠ける。
「だ、か、ら、そんなのわかるでしょ〜。バレンタインデーには、悲しい歴史があったのだけど、それは今回は省略ね。とにかくバレンタインデーは、今では世界でカップルの愛の誓いの日とされている」
「えっ、そんな大事ところ省略するの?」と僕はつい笑ってしまった。
「うん。私たちには、そんなに重要じゃないからね」
彼女は、かなり大雑把のようだ。
そのまま彼女は何も気にすることまたしゃべり始めた。
「とにかく、バレンタインデーは、カップルが愛の誓いをする日なのよ。それってなんで『カップル限定』なの? 『既婚者』は愛の誓いをしたらダメなの? こんなにも瑞貴ちゃんを愛しているのに、その日を『イベント事』の日にしちゃダメなの? ほら、瑞貴ちゃんも一緒に叫んでみようよ。既婚者は愛の誓いをしちゃってダメなのですかー!?」
「うっ、うん」
彼女の勢いは、いつものようにすごかった。でも今回はそれに負けたというよりは、堂々と「愛している」と言われるのが恥ずかしくて異議を唱えるのをやめた。もちろん一緒に叫ぶなんてとてもできない。
きっと今回の彼女は、僕が納得するまで愛の言葉をずっと言うから。
「前置きが長くなったけど、本題である私をきゅんとさせてくれる?」
あの『イベント事』の日の説明を前置きと、簡単に言えてしまうところが、甘えモードの彼女の本当にすごいところだ。
もはや尊敬を抱く。
もし彼女が本気で愛について語り出したらすごいことになりそうだ。
「うーん、『まずはプレゼントありがとう。そして、僕の好きなものをドンピシャでくれるなんて、驚いたよ。サプライズされたのも人生で『初めて』だよ。こんなことされると今よりも、もっと好きになるよ」
普段愛の言葉なんて言い慣れてないから、言ってからすぐに顔が真っ赤になった。
彼女のメンタルはやはり鋼なのだろう。
「うんうん、『ださく』、いや、前のに比べたら瑞貴ちゃんも、のってきたね」
「僕自身は、何に『のってる』のか全くわかってないのだけどね。てか、また一回目のことをディスてるよね。もうはっきりと『駄作』って言っちゃてるし」
「あれ、最後の方の言葉がよく聞こえなかった。なんでかな? まあいいよねー」
なんて都合のいい耳だろう。
そして、彼女は前回より話を流すのがうまくなってきている。
「今回の言葉は、本当にきゅんきゅんした。私の気持ちがちゃんと伝わっているのがわかった。ありがとう」
彼女は急に、丁寧にお礼を言ってくれた。
きゅんとさせるとこんな気持ちになれるなら、きゅんとさせるのも悪くないかもしれない。
「ねぇ、このプレゼント、今から一緒に食べない? 二人で食べる方が絶対おいしいよ」
そう言って、彼女はさっと箱からチョコを一個とった。
「一緒に食べるのはもちろんいいけど、その一個は、さすがにとるの早すぎない?」と僕は笑った。
「だって嬉しいのだもん」という彼女の弾んだ声がずっと部屋に響いていた。