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三章 「一月十一日 成人の日」

 一月十一日。

 それは、また突然始まった。

 僕が仕事から家に帰ってくると、彼女はいつもにこにこ笑顔を浮かべながら「おかえり」と玄関まで走ってきてくれる。

 彼女の見た目は、きれい系というよりも、かわいい系だ。そんな彼女がニコニコで迎えてくれるのだから、男である僕はやはり嬉しくなる。

 「そんなに毎回急いで来なくても、僕はどっかに行ったりしないよ」と思うけど、僕がくるのを楽しみに待っていると思うと、そこもまたかわいいなあと思う。

 彼女は今日もフリルのついたピンクのエプロンをつけている。

 晩ごはんは僕が帰ってくる時間に合わせて、全て作り終えてるようにしてくれている。

 料理はすでに終わってるのに、いつもエプロンをつけたまま迎えてくれる。

 それがなぜかは今まで考えたことなかったし、今考えても正直わからなかった。

 でも、それを今後知っていきたいと思った。

 それから、すぐに一緒にご飯を食べるのがいつもの日常だった。

 でも今日はそれからが、いつもと違った。

「お疲れ様。ねぇ、今日は『イベント事』の日だね」

 彼女は猫撫で声で、上目遣いで見上げてきた。

 元々彼女の声は高い方だけど、きゃぴきゃぴした感じはない。

 前回と同じように、もちろん、彼女のこのような声を一度も聞いたことない。

 一体どこからそんな声をだせるのかと僕は驚いた。女性って、本当にすごい。

 そして、彼女は155センチと元から僕より、かなり背が低い。だからわざわざ屈まなくても、普段から彼女は上目遣い気味で僕を見ている。

 それなのに、今回の上目遣いは、動画サイトで練習したのかと思うぐらいに完璧だ。

 僕の中でドキドキという感情が、驚きを超えてきた。

 彼女はそれから何も言わず、絶妙な距離感でじっと見つめてくる。

 彼女のなぜか少し潤んだ大きな目ときれいな涙袋が僕の見える世界の中心となる。

「えーっと、花音ちゃん?」

 僕はドキドキに耐えられなくなって、声を出した。

「なに、どうかした? 素敵な瑞貴ちゃん??」

 彼女は猫撫で声と上目遣いをしっかりキープしつつ、返事してくれた。

 僕はこんなにドキドキしてるのに、彼女は恥ずかしがる仕草を全く見せない。どんな心境で、これができているのか素直に聞きたいと思う。

 彼女ってもしかしてメンタルがめっちゃ強い?

 でも、それを聞くことは、やめておいた方がいいとなぜか体全身訴えかけてきているからやめておくことにした。

「あっ、うん。今日は何かの記念日だったかな」

 僕は少しとぼけてみた。

 それに、正直今までそんなに記念日を意識したことはなかった。

 僕は「彼女といられるなら、それだけでいい」と思っている。

「もう、とぼけちゃって。本当はわかってるくせにぃ〜。一月十一日は、成人の日でしょ」

「いやいや、僕は何もとぼけてないから! それよりも、花音ちゃんこそどうしたの? 猫撫で声と上目遣いもマスターして、さらには、いつも使わない言葉遣いだし。僕は短期間で人はこんなにも変われるのかと絶賛驚いてる最中なんですけど」という言葉をまた一気に心の中にグッと押し戻して、僕はとりあえず彼女の話を聞いてみることにした。

 話を聞いたら、僕も納得がいく可能性も0ではないから。

「成人の日?」

「そう、成人の日。私たちの『イベント事』の日だよね」

「えっ、ちょっと待って。もしかして前に花音ちゃんが言った『イベント事』の日って、僕たちが全く関係ないことも含まれてる系?」

「まあ、わからないけど。たぶんそっち系かな」

 彼女は急に目を逸らし、曖昧にぼかした。

 ちょっと待って。

 たった今、ミッションのレベルが恐ろしいスピードで上がったんだけど。

 だって、そうなら彼女に作った『イベント事』の日というものを、僕が予想することは困難だから。

 事前準備すらさせてくれないようだ。

「でもさ、それはさすがに無理がない? 成人の日が僕たちの『イベント事』の日なんておかしいよ? だってさ、」

「えっ、成人の日は、両親や周りの大人に保護されてきた子どもの頃から自立して、大人の社会へ仲間入りすることを自覚するためにやるものだよ」

 彼女は僕が話し終わる前に、思いっきり声をかぶせてきた。

 あれ、なんか今回の彼女は強引だぞ?

 人の話は、最後まで聞くことと学校で教わったよね?

 でも、悔しいけど、甘えモードの彼女は、口が恐ろしく達者なのだ。僕が何か言っても勝てる気がしないから、その言葉は言わないことにした。

「うっ、うん。わざわざ教えてくれてありがとう。で、それだけ? それのどこが僕たちの『イベント事』の日になるの?」

 言いたいことをほとんど言えなくても、抵抗する力は僕にも残っているととりあえず意思表示をした。

「本当は言わせたいだけでしょ〜。私たちがしっかりとした大人になったから結婚できたんじゃない。子どものままじゃできなかった。だから大人になる日も、私たちにとってちゃんと大切な『イベント事』の日の一つだよ」

 僕の意思表示なんて、簡単に打ち砕かれた。

 彼女の目はキラキラとと輝き、私は何も間違っていないオーラを全身から出している。

 そこまで自信満々になれる方法を、僕にも是非とも教えてほしいね。

「うーん、なるほど。一応ちゃんと筋は通ってるね」

 残念ながら? 彼女の言ってることは、かなり強引だけど、完全に間違ってるとまでは言えない。

 大人になり自分の意思で、僕は彼女と結婚とするいう選択を選んだ。そして、法律に基づいて結婚が認められた。

 でも、彼女の言っていることは間違っていないのに、この敗北感はなんだろう。

 こんな感情初めてだよ。

 付き合っていた頃、彼女が「なんでも瑞貴ちゃんの初めてになりたいな」って言っていたことを今思い出した。

 よかったね。花音ちゃんはたった今僕の『初めて』を手に入れたよ。

「だ・か・ら、はやくぅ〜。きゅんとさせて」

 彼女はさらに、きゃぴきゃぴした声を出してきた。

 もう一層のこと、いったいどこまできゃぴきゃぴした声になるか、試してみたくなった。

 まあなっただけで、絶対に試さないけど。

 そして、心なしか彼女が体を振っていることは、見て見ぬふりをした。

 それに触れるのは、落とし穴が目の前にあるのを知っててそのまま道を歩くのと同じだから。

「そうか。そういうシステムだったのを忘れてたよ。そうだなー。『二十歳の花音ちゃんにも、会ってみたかったなあ』とかは?」

 僕は「成人式」と聞いてぱっと浮かんだ言葉を、ただそのまま伝えた。

 特別きゅんとさせることを意識して言葉を選んだわけではない。

「あぁ、私のことをもっと知りたい感じがあって、『あんな、いや前より』、ずっといい! 素敵な言葉ありがとう」

 そう言って、思いっきり抱きついてきた。

 えっ、いつもより力がかなり強いんですけど?

 なんで??

 てか、結構痛い。

 彼女にそんな力あったなんて、僕は『初めて』知ったよ。

 彼女は喜んでる様子だけど、本当に僕の言葉は正解だったのだろうかとわからなくなってきた。

 とりあえず「痛い」ぐらいはさすがに訴えてもいいと思い、声をかけた。

「花音ちゃん、ちょっといいかな?」

「どうしたの、かっこいい瑞貴ちゃん?」

 その言葉と曇りない目を見て、僕は言おうとした言葉を言うのを即座に諦めた。

 うんうん、そうだよね、僕の方がおかしいよね。花音ちゃんは何も間違えてないよ。

「いや、やっぱなんでもない。うん、まだ慣れてないから下手だろうけど、前よりよかったならホッとしたよ。うんうん、前よりもね。ん? 今さらっと、前のがダメだったとディスったよね? しかも『あんな』とか言ってるし」

「あれ、なんのことかなー」

 彼女はあっさり手を離し、どこかに走って行った。

 走る姿までかわいい。

 どうやら彼女は徹底しているらしい。

「ちょっと待ってよー」

 うん、逃げるのがうまいことも『初めて』知ったよ。

 あれ、僕の方が『初めて』を味わってない?

 そして、僕は彼女に『初めて』の体験をすすんでさせてあげていただろうかと疑問に思った。

 しばらくして、彼女はあるものを持って戻ってきた。

「もう諦めた? で、それは?」

「これはね、私の成人式の時に、前撮りした写真。見たい??」

 彼女は僕をまっすぐ見つめ、意地悪そうな笑顔を浮かべてきた。

「えっ、うん、今あるの!? 見れるなら、もちろん見たいよ! でもなんか、ずるくない?」

 それは僕が先ほど見たいと言ったものだった。そんなに考えずに言った言葉とはいえ、本当に見られるなら僕だってぜひ見たい。

 でも彼女は、僕がどんなことを言うまで予想がついていたということだろうか。

 一体どうやったら、そんなことができるのだろうか。

 彼女の謎な部分が、また増えた。

「ずるくないない。それなら早速今から一緒に見ようよ」

「うんうん!」

 あれ、なんでだろう。

 僕まで、きゅんとしてきた。

 これは「雰囲気」とかいうやつに、流されただけだよね?

 結局、今回も彼女に完全に振り回され、『イベント事』の日は、終わったのだった。



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