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2weeks, あるいはひまわりと太陽~学校に送られる官製暗殺者たち
江戸川ばた散歩
ミステリーサスペンス
2024年10月29日
公開日
22,901文字
連載中
適性に応じ、転校を強いられ寮生活を送ることが通常になっている教育制度下の日本。
とある中等学校に教育実習生としてきた主人公は、一つの事件に関わることによって、制度の闇を知ることになる。

プロローグ 夜中の校舎になんて来るもんじゃない!

 そもそも、自分がここに居ることがおかしいのだ。


 そう彼女は思った。

 普通の生徒は、夜の校舎に用は無い。しかもゴールデンウイークの、最後の日だ。

 だから遊ぼう、と携帯で呼び出されたのは確かだ。最後の夜だから、心ゆくまで、と。誰も居ない校舎で遊ぼう、と。

 ただそれが誰からなのか、彼女はその時、確認しなかった。そんなことを急に言い出す友達は、彼女には幾らでも居たのだ。

 だが彼女は確認すべきだったのだ。しかしもはや遅い。

 メールには、「図書室で待っているから」とあった。

 図書室。それは彼女にとって、学校で最も縁の無い場所だった。


日名ひなさん?」


 声が聞こえた。男の声だ。


「そう。誰?」

「来てくれて、ありがとう」


 楽しそうな低い声が、広い部屋の中に響いた。聞き覚えのある声の様な気がする。だが思い出せない。逆光で、顔も判らない。


「誰?!」


 返事は無い。


「からかってるんなら、あたし、帰るわ!」


 簡潔に判断を下すと、彼女は戻ろうとした。が。

 ぐい、と後ろから、スカートのサスペンダを互い違いに引っ張られた。喉に食い込み、息が苦しくなる。

 やめて、ともがくと、目の前で、きりきりという音がした。目を寄せた視界に入ったのは、分厚い刃のカッターだった。そして。


 ―――女の手、だった。


 男の動いた様子は無い。もう一人、女が居たのだ。


「夜遅くごめんね。ゲームをしようと思ってね」


 男が近づく気配がした。


「げ、ゲーム……?」


 彼女の声は震えた。


「そう。ただし、君が楽しめるかは、君の努力次第だけどね」


 背後の女はぴくりとも動かない。


「今から君を解き放つ。一分後に、後ろの彼女が君を追いかける。逃げ切って、この校舎の外に出ることができれば君の勝ち。できなかったら君の負け」

「負け…… って」


 その時、鼻の頭に、つ、と痛みが走った。


「切れ味がぁ、わるい」


 気怠そうな女の声が耳に飛び込む。何処かで聞いたことがある。何処かで……


「今すぐじゃあ、ダメなのぉ?」

「それじゃ、お前が面白く無いんだろう?」


「たぁしかにぃ」


 ぱ、と女は彼女を離した。男はポケットから携帯を出す。ぽ、と緑色の光が、その口元の笑みを浮かび上がらせた。


「では、よぉい」


 どん。


 調理室に逃げ込んだ彼女は、教卓の調理台の下に入り込んだ。

 足音は、一度強く響いたが、次第にその場から遠ざかって行く。

 大丈夫、こっちには来ない様だ。向こうの、普通教室の棟へと走って行ったんだわ―――

 彼女は端末を開く。液晶画面は、穴蔵の様な机の下で強い光を放った。今のうちに、誰か、助けを。

 ぴ、と画面に映った一つの名前を選択する。

 その時、かたん、と音がした。彼女は顔を上げる。


「見ぃつけた」


 端末の光が、くい、と上がる唇を闇に映し出す。のぞき込む顔が、間近にあった。

 背中の半分はあるだろう、重そうな髪をざんばらに乱して、女は至近距離から笑いかける。

 ひいっ、と彼女は尻餅をついたまま、机の下から飛び退いた。はずみでぱちん、と携帯の画面が閉じる。


「やぁだ。そんなに嫌わなくてもいいじゃあなぁい?」


 女はゆっくりと彼女に近づく。両手にはいつの間にか、鋭く、刃渡りの長い包丁が握られていた。

 背中が一気に冷たくなる。彼女は窓へと飛びすがった。

 手はひたすら鍵を探る。―――あった! がちゃ、とレバーを押し上げる。そのまま窓をぐい、と開けようとした時―――

 彼女は自分の頭が、アジアンタムの葉に埋まっているのを感じた。かしゃん、と軽い音が床に響いた。

 女は空けた左手と、身体全体で、彼女を植物の中へ押し倒していた。その力が強まる。ぺき、と奇妙な音が響いた。


「あああああああ」

「うるさぁい」


 女はそれまで首の付け根を掴んでいた左手を、彼女の口へ突っ込んだ。だらだらとよだれが流れるが、止めることもできない。


「あ・わわ・わ」


 彼女は大きく目を開いた。間近で見たその顔。

 自分はその顔を知っている! だけど何で! 

 思い切りもがく。

 逃げれば。逃げることさえできれば。こいつが誰か判るから。そうすれば。


「うるさい、って言ってるじゃないのぉ」


 さっ、と女の包丁が右に動く。

 彼女の目は大きく見開かれた。喉から血が吹き出す。ひゅうひゅう、とそこから音が漏れる。痛みにだらり、と両腕から力が抜ける。

 女は包丁を投げる。ステンレスの調理台が音を立てた。

 そしてそのまま軽々と、彼女を教卓の調理台の上に転がし、どん、と台の上に飛び乗った。

 馬乗りに押さえ込まれ、両手を左手でまとめ上げられた彼女は、打ち上げられた魚のように、ぴくぴくと身体を跳ねさせる。


「ねぇゾーキン、たくさん用意してよ」

「判ってる」


 男の声も聞こえた。

 そうだ、と痛みの中で、その時ようやく、彼女はその声の主を思い出した。クラスは違う。だけど知ってるはずだ。だって……


「いくら暖かくなったからって、夜にこんな薄着、女の子が良くないねぇ」


 さらり、と女は言った。

 そして包丁を持ちかえ、刃の先端を彼女の胸の真ん中に突き立て、思い切り力を込めた。


「!!!!!」


 彼女の身体は、大きくのけぞった。山吹色のシャツに真っ赤な染みがじわじわと広がった。

 女は一度勢い良く包丁を抜くと、二度三度とその付近を突き刺す。抜くたびに血が吹き出す。そしてまた刺すごとに、新たな血がにじみ出す。

 何度も何度も、それを女は繰り返した。

 やがて彼女の動きと呼吸は、完全に停止した。


「何してんのぉ」


 床で雑巾をかける男に、女は問いかけた。


「少し、飛んでた」

「ふぅん」

「喉の時のだ」

「仕方ないじゃなぁい。あんなとこに居るからさぁ」


 女は生徒用のステンレス台から飛び降りた。

 教卓の台には未だ遺体が乗せられ、それを取り囲む様に、幾枚もの雑巾が置かれていた。


「細かいよね、あんたいつも。そんなこと、後でいいじゃん」

「そういう訳には行かないだろう」


 ふうん、と女は首を傾げる。


「でもあんたは、あたしには早く消えてもらいたいんでしょ」


 男は遺体の足が投げ出されたシンクで雑巾を洗う。水は、シンクに流れた血も一緒に押し流して行った。


「だったら、早く、来てよ」


 女は男の背中に腕を回す。

 まだ点々と血が飛んでいる白い手が、男の首をゆるやかに愛撫する。ぴったりとしたTシャツからはちきれそうな胸が、彼の背中にぎゅっと張り付いた。


「ねぇ」


 ぐい、と女は男の首を自分の方へ向けさせ、有無を言わせずにキスを突きつけた。

 ことん、と男は赤い小さなびんを、台の上に置いた。


「ん……」


 熱い息と共に、男は女の唇に深く口づける。

 それはひどく長いキスだった。もつれ合い絡み合い、いつ終わるとも判らないものだった。

 だがふと、ごくん、と女の喉が鳴った。

 男はそれが合図の様に、女から唇を離した。

 女の腕から、次第に力が抜けて行く。

 やがて、女の目から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。


「……お帰り」


 男は女の頬を撫でた。

 女はしばらく周囲を眺めると、やがて男に強くすがりつき、激しく泣きじゃくった。

 男はくり返しくり返し女の髪を撫でる。それは、それまで交わしていた長く、濃い時間の中で、決して女には与えなかった優しいものだった。


「それに」


 男は女の瞼にキスを落としながらつぶやく。


「これで、最後だ……」

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