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馬を入手し、現地に向かった。ある程度は警戒されるだろうと予想していたのだが、案外、すんなりと陣にまで辿り着くことができた。大柄な守衛に用件を告げるとその人物は奥へと消え、戻ってくると「お会いになるそうだ」とのこと。刀を預け、さらにボディチェックを受け、白い布で覆われた空間に足を踏み入れた。
陣の中では男と女が一人ずつ、椅子に腰掛けていた。男は銀色の薄い鎧をまとっていて、女は白いヴェール姿。美男に美女だなと思う。両者とも、二十二、三といったところではないか。そのへんの年齢だろう。
男も女も立ち上がった。柔和な笑みを浮かべて左手を差し出してきたのは男のほうだった。引き締まった身体つきはいかにも丈夫そうに映る。
「ブラッド・スクイード――少佐で、一応、伯爵です。第三騎士団の
謙虚かつ気持ちのいい口調に好感を持ち、握手に応じた。
男らしい、骨ばった手の甲の持ち主だった。
「少佐か。立派なものだ。まだ若いんだろう?」
「二十三になりました」
「ほら見ろ、若い」
男――ブラッドは「ははっ」と明るく笑い。
「どうしてわたしを通したのかね?」
「聖女アップトンに会いたいと言うニンゲンは、たいてい、困っています」
この男もまた、優しい人物であるようだ。
ブラッドの後ろに控えていたヴェールの女とも手を握り合った。
「はじめまして。リリィ・アップトンといいます」
女性らしい、冷たく、小さな右手だった。
「怪我をされているのですね?」
「わかるかね?」
「はい。血の匂いがしますから」
こちらへ。
白い布の衝立の向こうへと促された。
聖女――リリィと二人きり。
布が敷かれた地面に腰を下ろし、早速、右の脇腹の傷を晒した。
「ひどい……。大きな傷ですね」
「そうか? 大きいかね?」
「出血の状態からして、常人なら動けないと思います」
「まあ、常人ではないのでな」デモンは軽い調子で笑った。「べつに医者が匙を投げたというわけではないんだよ。縫ってもらっただけではあるが、適切な処置だろう。――が」
「血が止まらない?」
「ああ。次から次へと染み出てくる」
フツウの傷ではありませんね。
リリィはそう言い。
「ああ、フツウじゃなさそうだ」
「どういう状況で負われた傷なんですか……って、今、それは重要ではありませんね」
「治せるか?」
「時間はかかりそうですけれど、たぶん。今までできなかったことはありませんから」
「それは心強い」
リリィが患部に左手を近づけた。
その手が淡く白い光を帯びた。
温かな、包まれるような感覚。
早速、痛みが和らいだ。
「これは、魔法か?」
「そうかもしれませんし、違うのかもしれません」
曖昧な回答にもなるだろう。
他に例がないはずだから。
伝令!
伝令!!
大きな声が鳴り響いた。
なんでも敵軍が迫りつつあるらしい。
ここは前線だ。
押し込まれれば、そういうことにもなるだろう。
「リリィッ」
ブラッドが顔を覗かせた。
シャツの前を開けているデモンを見るなり、彼は「し、失礼」と顔を背けた。
「リリィ、今回はヤバそうだ。護衛をつける。きみは退いてくれ」
「スクイード卿、私はここで待ちます。いつも申し上げているとおりです」
「しかし――」
「私を求める方の痛みを一刻も早く取り除いてさしあげることが、私の役目です」
ブラッドは吐息をつくと、「まったく仕方のない女性だよ、きみは」と言い、苦笑のような表情を浮かべた。
「だったらなおのこと、敵の侵入をゆるすわけにはいかないな」
「がんばってくださいね?」リリィはデモンの治療の手を止めることなく言う。「でも、その、どうかあなたは、怪我をなさらないで……」
リリィの頭を左手でぽんぽんと叩いたブラッドは、「俺は不死身の男だ」とうそぶいた。その割には隻腕――右腕がなかったりするのだが。
治療の最中ではあるものの、デモンはよっこらせと腰を上げた。シャツのボタンを留めつつ「手伝おう」と言った。リリィは「えっ」と声を上げ、ブラッドはにわかに眉を寄せた。
「与えられるばかりでは気持ちが悪いんでな。見返りくらいはと考える次第だ」
「ダメですっ。大けがなんですよ?」
「かもしれんが、動けるんだからな」
「だったら、せめて治してから――」
「時間がかかるんだろう?」
「そうですけど……」
只者じゃないのはわかるが――。
ブラッドはそんなふうに言って。
「デモンさん、あなたはいったい何者なんだ?」
「ゴミはゴミ箱にという」
「まさか、“掃除人”……?」
「わたしを敵に回す者は、どいつもこいつも“ダスト”だよ」
普段どおり、邪に笑ったデモンである。
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「魔神の丘」はだだっぴろい原っぱ――高原だった。久しぶりの「ちゃんとした戦争」だ。どちらも陣立てはあってしかるべきだが、目下、混戦である。赤いのが味方で青いのが敵。識別しやすいのは助かるが、入り乱れていることからデカい魔法は使えない。面倒なことではある。――が、もはやちまちま斬ってまわるしかない。
ブラッドは大したものだ。決してゴツいタイプではないのだが剛力だ。左手一本で軽々と長槍を振るう。押し返せるだろう。ただ、喉元にまでは至らないだろう。敵も弱くないのだろう。だからこその一進一退なのだろう、ゆえにはっきりと決着がつかないまま長らく戦闘状態にあるのだろう。
調子が悪いな――と思う。
少し動いただけで息が切れる現象を、いよいよ突きつけられた。
うーん、仮にこのままほうっておくと、わたしはほんとうに死んでしまうのか?
ともあれ、それはそれで面白いなと笑いが込み上げてくる次第である。
全部全員ぶっ殺してやるからひっきりなしに突っかかってこい。
いつだってそういう気概なのである。
腹がぼてっとした、大小様々の緑色の醜悪な生き物が出張っていることに気づく。
かろうじてヒトみたいなかたちをしている彼らはゴブリンだ。
ニンゲンからすれば臭いだけの存在で、だから多くの場合、ゴミ――“ダスト”認定される。
デモンはらしくもなく疲れた息をくり返しながらも、馬の背を蹴り、高く舞い上がった。全部殺すのは得意だし、だから加減をするのは不得手なのだが、それでも金色の矢が降り注ぐような魔法でもって、敵を漏れなく滅ぼした。思いのほか身体がキツい。が、なんとか馬上に戻った。今のデモン・イーブルはよほど情けない姿なのか、慌てた様子でブラッド・スクイード卿が馬を走らせ近づいてきた。「デモンッ!」と名を呼ばれた。邪悪に笑うだけにとどめたかったのだが、情けないことに、デモンは馬から滑るようにして落ちてしまったのだった。