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回復魔法などという反則技を使える人物がほんとうにいるのであれば、すぐに情報は得られるだろう――そう思考した。先達ての、農業ごときを営む農家のじいさまが知っているくらいだ。特別、その存在が秘匿されていることはないのだろう。それとも、秘密にしようにもどこからか漏れてしまったということか。そのへんはまぁ、ああ、どうだっていいな――。
宿のベッドに腰掛け、ジャケットを脱ぎ、黒シャツの前を開けた。よくないな、ああ、よくない。包帯にどす黒い血が滲んでいる。オミは少し不安そうに「だいじょうぶかい?」と訊ねてきた。
「頭はシャキッとしているんだよ。しかし、物理的に血が足りなくなってしまったら動けなくなるだろうし、最悪、死んでしまうんだろうな」
「悲しいなぁ。そうなっちゃったら、ぼくは誰とおしゃべりすればいいんだろう……」
「身勝手なんだな、おまえは。わたしよりも自分本位か」
「そのへん、敵わないよ」オミは「カァ」と鳴き。「早速、街に出よう。手掛りが必要なんだ」
「そうだな」
部屋の音がコンコンコンとノックされた。
デモンはシャツのボタンを留めつつ、「かまわんぞ」と迎え入れる意向を示した。
入ってきたのは、宿の主人だった。
透明の、ガラスのポットが乗ったトレイを両手で持っている。
「水をお持ちしました。いかがですか?」
「いただこう」
主人はにこりと笑むと、部屋に入ってきた。丸いテーブルの上にポットをおき、「ごゆっくりなさってください」と言い、頭を下げた。立ち去ろうとする。デモンは「ちょっと待て」と呼び止めた。「はい?」と応え、彼女のほうを向いた彼である。
「この国、この首都には、どんな傷をも治す魔法使いがいると聞いた。ほんとうなのか?」
「聖女アップトンのことですね」主人は言う。「その場面を目にしたことはありませんが、きっと事実です」
「なぜ、そう?」
「嘘をつく理由が見当たらないからです」
「国民という国民を勇気づけたいからとか、そういうことなら考えられる。西の隣国との戦に余裕があるのであれば、話は違ってくるが」と、デモン。「それはそうと、聖女とされる以上、宗教なのかね?」
「ザメル教といいます。優しく大らかで、入信者は少なくありません。客観性をもって正しいことのみを許容する考え方なので、心のよりどころとするニンゲンは多いんです」
だとしてもくだらんなとその宗教そのものを馬鹿にしそうになったが、勘弁してやった。
あえて火種を生む必要もないだろう。
デモンは早々に本題として「どこに行けば会えるのかね?」と訊いた。
「面会が叶うのであれば、アップトン家だと思います。ですが、聖女様は実質、軍人ですから」
「なるほど。前線に駆り出されているというわけだ」
「ご不幸なことではありますが」
「能力をフルに発揮できる場所だというだけだ。その扱いは必然と言える」
「後ほど、フロントにお寄りください。住所のメモをお渡しします」
「ああ、助かるよ」
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郊外にあるアップトン家の屋敷は慎ましやかなものだった。ゆえに、「屋敷」という呼称はあまり正しくないのかもしれない。宿の主人いわく、貴族とのことだったが、まあ、連中にだっていろいろあるだろう。守衛もおらず、だから玄関まで進み、ドアノッカーを使った。つくづく平和な国なのだろう。やがて女性の「はーい」というのんきな声が聞こえてきて、そのうち、ドアが押し開けられた。手伝いとおぼしき中年くらいの太った女が首を傾け、訝しむようにして「どなたでしょう?」と訊ねてきた。
「デモン・イーブルという。客じゃない。興味深い噂を耳にしてな。訪ねさせてもらった」
「噂、でございますか?」女は訝しむようなところを見せた。「そのようにおっしゃるということは……」
「ああ。旅のニンゲンだ」
「お嬢様に御用なのですね?」
「そう言っている」
少々、お待ちください。
そう言うと、女はドアの向こうへと消えた。
警戒させてしまったかな?
そんなふうに思った、後悔はしていないし反省もしない。
やがてドアが、また開いた。
「旦那様の許可を得に参ったのでございます」
「結果は?」
「お越しになられたということはお困りなのだろうから、と」
「それで正しい。助かる」
「お嬢様は今日も戦場でございます」
女は少し、目を伏せた。
主人の娘が戦っているのだから、心配でないわけがない。
「いつ、戻るんだ?」
「わかりません。最近はずっと、そんな感じです」
「裏を返せば、現場に出向けば会えるということだな?」
「えっ」女は驚いたようだった。「き、危険です。女性が一人で行くような場所ではありません」
「待っているだけなどとは、性に合わんのでな」
どこに行けばいい?
率直に、そう訊ねた。
目下の戦地は「魔神の丘」というらしい。
制した側が、俄然有利なのだという。
ままある条件、事案だ。