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老人が御者の馬車。赤に緑に黄色。いろいろな色の野菜や果物が積まれた荷台にて左の膝を立てて座っている。行き先について詳しいところは訊いていないが、西に向かっている旨くらいは知っている。右の脇腹がじくじく痛む。先日、「公国」にての負傷の箇所だ。魔法によるその細い矢は内臓を避ける格好で貫通していたし、だから大したことはないはず――なのに、どうしても出血が止まらない。隣から顔を覗き込んできた破天荒なハシボソガラス――オミの奴に「顔色がすぐれないね」などと生意気をほざかれてしまった。「目の下にクマができているよ?」ということらしい。たしかに体調はよろしくない。良く眠れてもいない。このままだとやがては失血死という冴えない最期を迎えてしまうかもしれない。それはとことんヤだなぁと思いつつも、それならそれで仕方ないかとも考える。ヒトの命は、それほどまでに弱くて軽く、脆くも儚い。
うとうとしたところで、オミが「寝ちゃダメなんだ。寝たらきっと死んでしまうんだっ」などと語尾上げで物騒なことを大げさに言った。それでも眠い。あくびが出た。なんだかんだ言っても、まだ結構健康らしいと知る。弱くとも儚くとも、ニンゲン、案外しぶといのだ。
「おい、じいさまよ」ここにきて、デモンは御者の男性に声をかけた。「この馬車は、いったい、どこに向かっているのかね?」
「おやおや、そんなことはどうでもよかったんじゃないのかい?」
「教えてもらえないなら、それでもいい」
「そんな意地悪はしないさ。ゲフェンだよ。聖国ゲフェンだ」
デモンは「知らん国だ」と正直に言い。
しかしそもさまざま疎いしなと彼女自身、自覚している次第だ。
「奇跡の国、そんなふうに呼ばれているよ」
「奇跡の国?」釈然とせず、また胡散臭くて生臭い二つ名だと感じた、しかし気にはなったので、「どうして奇跡なんだ?」と訊ねた。
老人は「とある聖女がいるがゆえの呼び名なんだ」と述べ――。
「詳しいところを速やかに教えろと言っている」
「やれやれ、怖いお嬢さんだ、おぉ、恐ろしい」おどけるように、老人は言う。「詳しいところはよくは知らんし、その道に縁遠いわしにはよくわからんのだが、くだんの聖女様は回復魔法を操るそうだ」
回復魔法? デモンは笑った。しばしば耳にする「噂話」、あるいは「おとぎ話」である。通説のとおり、存在するはずがない。なぜなら、デモン・イーブルをもってしても扱えないのだから。
「冗談だと思っているだろう?」老人は「無理ないさ」と続け。「でも、事実らしいんだよ。ゲフェンきっての希望とすら言われてる」
少し、興味が湧いてきた。
「どんな傷でも治すのか?」
「言ったろう? 詳しいことはわからないさ」
会ってみる価値はあるのかもしれない。
なにせこの傷をこのまま抱えたままでは、このままおっちんでしまいかねないのだから。
「じいさまよ、仮におまえが言っていることがほんとうなら、僥倖だし、わたしは命を拾うことになるかもしれん」
「つくづく横柄な物言いだ。でも、いい出会いがあるといいな」
「だな」
藁にも縋る思いとまでは言わない。
けれど、このまま世から消えてしまうことは、なによりカッコ悪いなとは考えていた――。