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21-3.

*****


 自由枠みたいなものがあり、嘆願や進言があるというのであれば、列に加わっていいらしい。列――城の前に並べという話である。その旨、耳にしたので朝早くから訪れた。水筒を持参してきて正解だった。なにせ長蛇だからだ。デモンは奥ゆかしいニンゲンなので、横着をしてというか腕力に物を言わせて割り込んでやろうとは思わなかった。――が、めんどくさくなったら途中で帰ってやろうとは考えた。一日は二十四時間しかない。食事の回数に限界があるように、過ごせる時間にも制限がある。粘り強く待った。五時間は並んだ。さすがに怒りにも似た感情に駆られたが「王がお会いになられる」と色よい回答を賜ることができたものだから留飲を下げた。そう。デモン・イーブルは優しいのだ。


 左右から衛兵に挟み込まれたまま螺旋状の階段をのぼってやがては王の間、絨毯の類いは敷かれておらず、石造りの白い通路を歩んで、衛兵に強く促されたものだから――そうでなくともそうするつもりだったのだが――王を前にし片膝をついて礼を尽くした。


 ガレス・ピンガー公王だとは知っていた。すっかり禿げ上がった頭。たるんだ目じりには黄ばんだ目やにが見える。青い瞳には濁りが見え――。かつてこの地にはびこった巨悪を退治した英雄らしい。八十歳にして絶対的な権力者。新たな王を立てようとしないのは地位にしがみつきたいがゆえか。望むのは腹上死なのだろう。卑猥でねちっこい視線を向けてくることからそう言える。保身に長け、革新的ではない。事実として民からの支持を得ているのか、そのへん、じつに怪しいところだ。


「女ぁ、わしに抱かれてみんかね? おまえの身体つきは、じつにわし好みだ」


 デモンは呆れつつも相手をしてやる。すっくと立ちあがり、「イカせてくれるのですか?」と卑猥なことを丁寧な口調で平然と問うた。公王は「けけけっ」と下品に笑った。それからすぐのことだった。見た目の醜悪さに似つかわしくない優雅とも言える所作で、右の人差し指を向けてきた。はっとなって、デモンはその場から飛びのいた。魔法だ。黄色味を帯びた光線だ。元居た地面がじわりと赤く焼かれた。現象自体はどうでもいい。ただ、攻撃の意志が垣間見えた瞬間にはドキリとなった。そうか。物理的に強者らしい。巨悪を退治――伊達ではないようだ。


 人は見かけによらないとの知見は得られた。


 デモンは訊いた。「用は済みました。もう帰っても?」と――。


「わしはおまえを性の相手としか見ておらん。まかりならんというのであれば、帰れ」


 そのセリフに思うところはなかったのだが、デモンは王に右手の人差し指と中指を向けた。斬撃の魔法を放ったというわけだ。――勘がいい。公王陛下は紫色のバリアをぶぅんと身のすぐそばに張って、見えないそれを遮ってみせた。分が悪いとは言わない。ただ、ちょっと面白くないなと考え、デモンは踵を返した。帰路につくのである。


「女ぁ、やらんのか?」

「後日、会いましょう。わたしの気分が乗ればという話ではありますが」


 うまそうな物は後にとっておくに限る――のかもしれない。



*****


 先日の酒場を訪れた、「ハザマ」だ。注文を聞きにきた美少女グロリアに、「今夜はお一人なんですね」と微笑みかけられた。優しい表情だ。愛らしくもある。


「ああ、そうだったな。昨日、ここに案内してくれた男……名前はなんだったか」

「ほんとうに忘れちゃったんですかぁ?」

「男の名前を覚えるのは苦手なんだ」

「わー、ひどーい。ホープさんですよ、ホープさんですよぅ」

「そんなんだった気もするな。そんなことより」

「なんですか?」


 公女シーマは、ここをよく訪れるのか?

 デモンはあらためて、そう訊ねた。


「しばしばと言ったところでしょうか」

「大衆的な公女?」

「えっと」

「違うのか?」


 えっと……。

 顎を引くようにして目線を下げたかと思うと、「大衆的ではないです」との答えが返ってきた。


「えらくはっきり言うんだな」

「はっきり言ってますか?」

「言っているぞ」

「そうかなぁ」


 店内はじつに賑やかで、聞き耳を立てているニンゲンなんてのもいないだろう。


「シーマ様のその、二つ名のようなものなんですけれど、ご存じないですか?」

「知らんな」


 グロリアは丸いトレイを胸に抱いたまま前傾姿勢になり、デモンの耳元で「そう」ささやいた。


「ギロチン公女、か」物騒だなと思う。「実際に、そうなのか?」

「はい」上半身を縦に戻したグロリアである。「逆らう者には容赦しないんです」

「口振りからすると――」

「そのとおりです。恐怖政治だと述べるヒトもいます」


 デモンはビールジョッキを傾けると、二度三度とうなずいた。


「どうりでな。そうか。あの自信の源は断頭台だったのか」

「サディスティックに見えましたか?」

「いや、そういうのとは、少し違う」

「というと?」

「快楽的なわけでもなければ義務感を帯びているだけでもない。ただ、勤勉なんだろうさ」

「うーん、よくわかりません」

「そう切り返せるおまえは正しく、また、可愛らしい」


 デモンは朗らかに笑った。

 のち、「ウイスキーをもらおう」と言った。


 グロリアがまた耳に口を近づけてきて。


「じつはウチのウイスキーは混ぜ物なんです。ほんの少しだけ、別の強いアルコールが入っているんです」


 そんな気はしていた。気づかないニンゲンのほうがずっと多いだろう。それくらい、絶妙な配分であるように感じられたのだ。


「気遣いなんだろう?」

「ボスはそう言います。みんなが安く酔えるように、って」

「しかし、間違っても、公女には振る舞わんことだ」

「わかってますよぅ」


 フォークを使ってローストビーフを束ですくい、大きく口を開けてかぶりつく。

 グロリアは「わぁ、豪快」と言うところころ笑ってみせた。



*****


 翌日、オミの奴を左肩に乗せて朝の散歩をしている最中に、絡まれたのである。絡んできたのは公女シーマ・ピンガーだった。共の者すら連れてもおらず、だから不審に思い、だからそのへん、「茶髪のオールバック女子はどうした?」と訊ねた次第だ。「なぜ、おまえがここに、しかも一人でいる?」と問いかけたのだ。


「ニコはいない。私一人だ」


 そうか。

 あの側近らしい女はニコというのか――と思う。


 デモンは驕ることもなく偉ぶることもなく、ただの一個の疑問として、「わたしを探していたことはもはや知れたが、それでなんの用かね?」と素直に訊いた。


「デモン・イーブル、おまえは大した賞金首だそうじゃないか」

「賞金首?」


 賞金をかけられる理由――心当たりがありすぎて見当がつかないから特定もできない。するつもりもないが。


「それで? だとしても、一国の公女様ともあろう御方にとってはわたしなどどうでもいいに違いないだろう?」

「最近、人生に飽いているのでね」

「面白そうな事柄には首を突っ込みたいと?」

「そういうことだ……っ!」


 薙刀片手に突っ込んできた。馬上からその長い得物を一振り。デモンは余裕のスウェーバックでそれをかわした。なんとも物騒なことだ、ほんとうに、朝っぱらから。


 馬を翻し、シーマがこちらに向き直った。「我が国をも混乱に陥れようというのだろう?」などと口を利かれた。心外だな、そんなつもりはないのだが――とか、のたまったところでさほど効果はないような気がしたから、とりあえず、大笑いしてやった。ほんとうに、馬鹿みたいに笑い飛ばしてやったのち、「だからといって、軽々しくわたしに手を出すべきではないぞ、シーマ嬢!」と言葉を飛ばした。


「飽いていた……飽いているんだよ! デモン・イーブル!!」シーマは身勝手なことをほざく。「あちこちとの複雑な人間関係によって私はがんじがらめになっている。いつかはこんなふうになんのしがらみもない闘争に身を委ねたいと考えていた。それが今だっ!!」


 戦う相手が得られなくてイライラする御仁にはそれなりに出くわしてきた。

 シーマ・ピンガー公女も右に倣えというわけだ。


 シーマが馬を駆り、突っ込んできた。途中で馬上から飛び上がり――デモンは突っ込んでくる馬をひらりとかわし、それから降ってきたシーマの剣を刀で受けた。「デモン・イーブルぅぅぅっ!!」と憎々しげな低い声を放ち、いざ真っ二つにせんと振り下ろすことをやめない。一本気で惚れ惚れする動きだ。しかし、それゆえに勝ち目がない――否、そも、とかくデモンは誰が相手でも負けやしないのだが。


 右手一本でそのつるぎを防ぎつつ、一方でデモンは左手の人差し指と中指を立て、それをシーマに向けた。刀一本で相手をしてやっても良かったのだが、言ってみれば、なんだかダルかったので、斬撃の魔法を放ったのである。いかにも効果的でその一撃はシーマの無防備な右の脇腹をえぐるようにして傷つけた。致命傷の一歩手前――と言ったところだろう。動かなければ助かるだろうし、へたに動けば死ぬだろう。


「もうやめないかね、シーマ嬢」

「おまえはそこまで強いのに、なんの思考も思想も……っ」

「煩わしいものは野良犬に食わせてしまったよ。不要ゆえにだ。おまえだって、躊躇なく殺せる」


 シーマは両手を左右に広げると、天を仰いだ。


「デモン・イーブル、森羅万象、古今東西、この世で最も尊い概念とは?」

「命だよ」言って、デモンはくははと笑った。「シーマ嬢、これからおまえは、それを失うことになる。だからこそ、ここはいっそ、退かんかね?」

「一国の公女が! おまえごときに!!」

「だったら、死ぬがいい」


 両手で握った剣を提げ、シーマは醜く特攻してきた。魔法で焼いてやってもよかった。切り刻んでやってもよかった。しかしそうしないあたり、デモン・イーブルは優しいのだろう。剣を振り下ろされるより速く、さっぱり首を刎ねてやった。切り落とされたその首は――シーマは笑い、しゃべった。「ザコめが。せいぜい苦しんで死ぬといい」、ザコだと? いったい、どの口がそれを言うのか――。


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