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まるで群青色の空。小柄なハシボソガラスのオミのことを――不本意ながらも当該相棒のことを左肩に乗せ、公国に入った。その肩書のとおり小さな国だと聞いている。身分証を見せるとすんなり入国できた。ずさんとまでは言わないが比較的オープンらしいとは言える。街中をすいすい進み、夕食時、いい匂いを漂わせるレストランに入る。香辛料が効いた具だくさんのスープとかなり硬いらしいまさにハードなパンがテーブルに並んだ。赤いスープはおいしい。パンだって自家製だろう。どちらも機嫌良くいただくことができた。食後のコーヒーだってなかなかのものだった。器を下げにきた若い女に「うまかった。ありがとう」と本音の感想を告げる。緑のエプロンをつけた彼女は「おそまつさまでした」と言うと、いたずらっぽく笑ってみせた。会計でチップをはずんでやった。着替え等が入ったバッグを手に店を出た。まったくもって、ご機嫌だ。さすが、賑わっていただけはある。客商売をするニンゲンには、あの愛想の良さと値段のリーズナブルさを見習ってもらいたいとすら思った。大げさな話でもなんでもなく――。
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空は晴れていた。朝っぱらから少し暑い。まばゆい日差しを目の当たりにし、白い石畳の道がいっそう映える――。小奇麗な街だ。嘘偽りなくそう思う。インフラがきちんと整備されているのは富の象徴だと言って差し支えがない。実際、豊かさが感じられる造りだ。病んだ国とは思えない。治安の良さも窺える。子どもがあまり見当たらないのは揃ってしっかり学校に行っているからだろう、そう考えられる。すみずみまで法治が行き届いているさまには気品すら感じた。
――と、後ろから唐突に「おい」と口を利かれた。厳しく太い響き。なんだか嫌な予感がしたが、そちらを向かないわけにもいかないだろうとやむなく振り返り、正対する。軽装の鎧姿であり、なんともいかめしいツラをした大男が計四人の連れを伴い、いた。ぱっと思い当たった。公僕だ、恐らく警察のニンゲンだろう。デモン・イーブルとしてはまるでそういうつもりはないのだが、白亜の空間にあって黒ずくめのニンゲンはいかにも不審者に見え――なくもないだろう。やはり心外でしかないのだが。
「止まれ」
「もはや止まっている。職質か?」
「いいや、違う、ボディチェックだ」
いきなり突っ込んだその物言いに対して、デモンはすぐさま「断る」と告げた。
大男は眉を寄せて「はぁ?」と心底意外そうな顔をした。
「どうして見ず知らずの男に身体に触られなければいけないんだ? 無礼にもほどがあるぞ」
「だからそれは――」
「御免被る。そしてわたしは何もするつもりはない。よって不穏分子ではない」
「怪しいと言っている。そもそも帯刀している」
「だったら国に入れる時点で取り締まれ」
「我が国は自由を重んじている」
「話にならんな」
デモンは踵を返した。無視して進もうとする。そしたら、今度は正面から馬に乗った人物――黒い髪が長い、恐らく女だろう――が迫っててきて。共であろう若い女は茶色い髪をきちっと後ろに流していて。黒髪は三十後半、茶髪は二十なかばといったところではないか。ともに威厳が感じられる。只者ではないのだろう、たとえば、高貴な地位にある武人とか。
いよいよ近づいてきたところで、二人は馬を止めた。「どうした?」と女のほうが訊いた。すると警察官であろうかの大男が「はっ、シーマ様、それが、この妙な女がまるで国の法に従わず」などと答えた。妙な女? ひどい言われようではないか。この国――公国において悪さを働いたためしなどないというのに。
「女、何者だ、おまえは」
女――シーマというらしい――の口調は、なんとも横柄なものだった。そも、おまえだって女だろうがと思う。ニンゲンとして以前に性別として対等だと申し上げたい次第だ。上も下もない。ニンゲン同士だということもある。
「わたしはデモン・イーブルだ」はっきり教えてやった。「女、おまえこそ何者だ」
「どこの馬の骨ともわからん奴に名乗る名などない」
デモンはついに顔をしかめた。
ほんとうに偉そうな女である、年増のばばあのくせに。
「他国のニンゲンか?」
「ああ。しがない旅人だよ」
「郷に入っては郷に従えというぞ?」
「それでもおまえにもおまえたちにも用はない」
「貴様、死にたいのか? だったらそう述べるがいい」
シーマに付き従うオールバックの女が、「姫様、たしかに女性の言うとおりです。彼女はまだ、何もしていないのでしょうから」と進言した。従者のほうがまだ話はわかるらしい。苦々しげな歪んだ笑みを見せたシーマは「ふん」と鼻を鳴らすと、馬を翻した。従者の女とともに去った。デモンは警察官に「どうするね?」と訊いた。すると、しぶしぶといった口振りながらも「行っていい」と返してきた。もとより呼び止められる筋合いなどないのだから、当然の措置と言える。
気分を害した。ゆえに街歩きの続行はせず、宿への帰り道をたどった。こういうときは気が済むまで不貞寝をするに限る。上空をくるくる旋回、舞っていたオミの奴はデモンの肩に舞い下りると、「大男のほうはともかく、馬上の黒髪の女性まで無礼だったね。なんだったんだろう」と首を傾げた。
「男はどうあれ死ねばいい。先頭の女については、公女か何かだろう。そんな雰囲気があった」
「まあ、同感かな。こんなところにどうして現れたのか、それはわからないけれど」
「偶然だろうさ。パトロールでもしていたのではないかね」
「暇なんだね」
「それだけ無難と言える。まさに平和な国の証左だよ」
そうかもね。そう言うと、オミは機嫌が良さそうに「カァ」と鳴いた。耳元で鳴くのはやめろと怒鳴りつけてやりたかった。じつにやかましいからだ。