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20-6.

*****


 その日の夜、デモンは酒場のテラス席にいた。丸テーブルの向こうの椅子には白いジャケットスタイルのラムサス・フォン・ユピテル王子の姿がある。この場所で落ち合うには互いに対してアポが必要だったわけだが、そのへん、どうやったかはどうでもよく――。


「それで、話とは何かね?」ビールを一口飲んだデモンはこらえる必要もないのでげっぷをした。

「兄上が帝国の担当者と会ったと耳にしました」らしくもなく、ラムサスはイライラしたようにして訊ねてきた。


 そんなラムサスの妙な勢いに目をぱちくりさせつつ――デモンの右手はなんとなく、ミックスナッツの皿をつつくオミの頭を撫でている。


「あれは事務レベルの会談であって、ゆえに大っぴらにはなっていないはずだ。フェアではあったかもしれないが、けっしてオープンではなかった」

「俺にだって、伝手くらいはあるんですよ」

「だから、何をイラついている?」

「外交の議題です、課題です。見当がつく。だったら、妹のことに話を持っていくことだって」

「そういうことなら、最大限、努力はしたぞ?」

「兄上が、ですか?」

「いいや、わたしが、だ」


 それじゃあ意味がないじゃないですか……。

 ラムサスは、今度は振り絞るようにして痛々しげに――。


「おまえの想像通りだよ、ラムサス。ノチェセル殿下は、ドロシーだったか? ――を取引材料として考えてすらいないらしい」

「取引材料?」呟くように言うと、ラムサスは両手でバンッとテーブルを叩き、勢いよく立ち上がった。「ドロシーを道具みたいに言うな!!」――舞台俳優みたいによく通る良い声である。


 ギャンギャンやかましくなりそうな感じなので、デモンは両手で耳を塞いでから――。


「座れ、王子様、目立っているぞ。わたしは目立ちたくない」


 まだ何か言いたそうにしてみせたが、睨んでやるとしぶしぶといった感じながらも着席してくれた。しかしなお、「くそっ、くそっ、くそっ」と悔しげに物を吐く。無理もない。「当該少女」を溺愛しているくらいは初めて話を聞かされたときから知れている。


「いっそ、諦めてしまえばどうだ? 痛みを伴うには違いないが、そうするほうがずいぶんと建設的であるように思うぞ?」

「それができたら、どれだけいいか……」

「未来のために生きたいんだろう? そう聞かされた覚えがある」

「妹があっての話だと言ったはずだ」

「だったら――」

「だったら、もう進むしかない」


 決意に満ちた言葉だった。


「やるのか?」

「ああ、やる、やってみせるさ、なんとでもなる。どうせ遅かれ早かれだった」

「仲間は? いるのか?」

「この首都でレジスタンスを見つけるのは容易じゃない」

「裏を返せば、国自体にはいなくもない、と?」

「突破口くらいは開けるはずだ」


 もはや聞かされずともわかる。


「陰気な家族だ」デモンはくつくつ笑う。「しかし、親父殿は認めてくれるのかねぇ」

「認めさせる」との宣言は力強い。「認めなければ、奴をも殺す。俺が王になる」

「助けてくれとは?」

「この期に及んでそれは言わない。もとより一人でだってやり遂げるつもりだった」


 気に入ったぞ。

 デモン自身、そう口に出すことはしなかったが。



*****


 夜、ノチェセルとともに、天井が高い白の一室においてディナーを楽しんでいた。いつもいつも豪華な食事にありつけることについて「悪いのではないか」と思ったり思わなかったりするのだが、もちろん、そんな些末なことを口にしたりしない。


 食後のコーヒーをゆったりと喉の奥へと流し込み、ラムサスの魂胆と言動について、ちょっかいをかけるようにしてちょうど話し終えたところである。なかばおちょくってやったつもりなのだが、ノチェセルは特段、興味のあるところは見せなかった。「そういうこともあるだろうし、私が知るラムサスなら、そう動いたところで何もおかしくはない」とのことだった。なんとものんきなものである。「でも、私は彼にチェスで負けたことはなくてね」――なんのつもりで言い放ったセリフなのか。


「そうか。弟――ラムサスは、それほどまでに私のことを恨んでいるのか」

「いや、奴さんはおまえの立場は理解しているよ。そのうえで、ゆるせないという話だ」

「だからこそ、それは心苦しい」

「だがそれが、事実なんだよ」


 外がわっとなった。たぶんだ、たぶん、早速というかたまりかねたように、暗い夜にありながら、ラムサスが突入、割り入ってきたのだろう、来たのだ、彼は。


「そうか。ほんとうにもう、やるつもりなんだね」ノチェセルが言う。「だったら受けて立たないとね。それが兄の役割、本懐というものだ」


 ほざくな。

 デモンは厳しくそう言い、それから「これからどうするんだ?」と問うた。


「胸を貸す、そこには蓋然性がある。必然性においてはもってのほかだ。誰かがラムサスの怒りを受け止めてやらなければ」

「そんなふうに考えるなら、そんなふうにならないよう、立ち回るべきだったはずだ」

「それについては今、言っても――」

「そうだよ、もう遅い。わたしはわたしの心が打ち震えるよう、振る舞うことにする」

「無責任だね、だなぁ」

「黙れ、若造。しかしそこにあるのが真実だ」


 そう言ったのもつかぬ間のこと。

 いよいよ爆発音が近づいてきた。


「待ったなし、か。そのようだね」

「そうらしいな、なんだかわからんが、この国は危機に陥っているらしい。たったの一人、どうでもいいような第十王子のせいで」

「闘争し、駆逐してみせよう」

「いい返事だな、胸を張れ。ああ、取引だ。わたしはおまえのために懸命に闘ってやる」


 たぶんだがな。

 そんな言葉は飲み込んだ。



*****


 ノチェセルは自らの弟君であるラムサスの相手を引き受けるべく出陣した。テラスを越え、たぶん相手側のテリトリーにであろう――に、踏み込んだのである。やるではないか。行動してこそ男なのだ。その信念はデモンの中で揺るがないし、そうであるからこそそこには真実性を見るしかないし、またそうあることが正しいのだと言い張るより他にない。


 今夜の食事も優雅に終えたデモン・イーブル様が宮殿の外に完全に出ると、そこで待ち受けていたのは予想通り、ほんとうに予想通り、栗色の髪にグリーンアイが映える、ベラ・ワグナー嬢だった。あたりはがやがやがちゃがちゃとうるさい。名の知れたユピテル王国において未曽有の混乱と言えるのではないか。とにかくしっちゃかめっちゃかにひっかきまわされている。そうある時点でラムサス、そうだラムサス殿下だ――は、よくやっているとは言えまいか。


 もはや屍の群れが築かれつつある疑わしきを罰したゆえの現象がそこにはあって、それを良しとして、ベラは地域の、もっと言えば国の統治を図る手助けをするのだろう。悪いことではない。むしろ正直すぎてイケている。


「殿下からすると、あなたは畏怖の概念らしいわ」ベラが言う。「でも、それがわかっていて、飼いならせるという話だった。でも、それはかなわなかった」

「そんなことはないぞ」とデモンは否定した。「少なくとも、わたしは彼を敬っている」

「ほんとうに?」

「嘘をつく理由がないだろう?」


 まあいい。

 そう呟いてから、デモンは「状況を整理しよう」と言った。


「望むところだ」とベラは構えるようにして応え。

「ともかく話に付き合ってもらおうか」デモンは考えを口にする。「そもだ、ご主人様はどうした? やはり、そういうことなのか?」


 すると「ノチェセル様はラムサス殿下と交戦中だろう」との答えがあり。「であれば」とデモンは切り出した。「であれば、わたしはおまえと闘うことにしよう」と謳った。


「勝てるとでも?」

「思いとかはどうだっていい。楽しみ合うことは不可能かね? そうあることは不服かね?」


 殺す。

 物騒にもそう言うと――そういうことらしい。


 やろう――と、先方に――ベラに対して、デモンは告げた。


 宙にぷかぷか浮いている。極力周囲には迷惑をかけたくないということである。そのような意志は確かに窺える――ような気がした。相手が只者には見えないものだから、かと言って焦ったわけではないのだけれど、デモン・イーブルはまず突っかかった。距離感、しょっぱな、そのへんをはかりたかった。結果的になんの成果も得られなかったが、それはそれで良いものだと考えたし、感じた。ほんとうにそれはそれでほんとうに良かったのだ。


 第二王子のノチェセルの居城、そのすぐそばにてぷかぷか浮きつつ、ベラと向かい合っているわけだが――。


「ところでだ、ベラ嬢、ノチェセル殿下はラムサスに勝てるのかね?」

「なぜ、そう?」

「覚悟ある者のほうが強い。経験則だ」

「何を馬鹿な……ノチェセル様が負けるはずがない」

「もとより彼を出陣させてしまったことに非がある」

「きっさまぁぁっ!!」

「ハハッ、いいぞ、かかってこい! わたしを楽しませてみせろ!!」


 剣を抜きつつ突っ込んできた。大したことはない。抜群の腕力を誇るデモン・イーブルに対しては無意味と言える特攻だ。離れ合ったところで魔法――斬撃の魔法を容赦なく放った。途端、ベラの身体がずたずたに切り裂かれる。それでも臆するようなところは見せず、左手を前にすると渦巻く炎を向けてきた。当たるわけがないし、それは先方も重々承知であるらしく、だからなおいっそう、後退した。彼我の距離は二十メートルほど。


「やめないかね、ベラ嬢。若い身空の女を殺したいなどとは、じつは考えていないのだよ」

「その驕りが敗北を叫ぶ!」


 デモンはくつくつと喉を鳴らし、それから「戦略規模の魔法使いだったか。どこかで耳にした。おまえがそうである理由を現実を、ぜひとも見せてもらいたいな」と告げた。するとベラ嬢は顔を歪めるようにして笑んだ。「後悔するぞ」と言った。「私だって殿下と早いところ合流しなければならない。おまえと遊んでいる場合ではないんだ」と真剣なまなざしで言った。


 わたしに敵うとは思えんがな。


 そう言ってからまもなくのこと。伸ばした右手の人差し指を、高々と、ベラは掲げた。――とんでもないことが起きた。この価値観の狭い世界においてその存在をどれだけのニンゲンが知っているかはわからないのだが――ベラ嬢が導きだしたのは間違いなく隕石だ。それも巨大な。ああ、そうか、確かに戦略的な人物、兵器だ。野蛮な女だ。しかしデモンはほくそ笑む。これほどまでに興味深い対象、敵は、生まれて初めてかもしれない。だったら斬ってやろう。降してやろう。負けたら負けでそれはとても美しい、負けるつもりなど微塵もないが。


 結果、居合でもって隕石を横薙ぎに真っ二つにしてやったことは言うまでもない――。



*****


 「現場」である街中を訪れると、すでにノチェセルがうつ伏せのラムサスの背を右足で踏みつけていた。まあ、想定通りの結果ではある。思った通りの結論でもある。ノチェセルだって、恐らく戦略規模の魔法使いだ。そんな空気を漂わせているし、そんな雰囲気は幾度となく嗅ぎ取ってきた。ノチェセルは「つまらないね、ラムサス、残念だ」と唱えた。右足によりいっそうの力を込めたように見えた。「ぐっ」と苦しげな声を上げたラムサス。無念だろう、悔しいだろう、しかしこれが、この光景こそが現実だ。否定のしようがない。


 デモンはノチェセルの背後に近づいた。それから「もう勝負はついているだろう」と物申し、さらにそれから「踏んづけるのはやめてやったらどうだ?」と兄弟に対する愚行を止めようとした。


「そんなことより、質問だ、デモン」

「なんだろうか」

「ベラはどうしたのかな?」

「ああ、彼女は死んだよ」

「きみが殺したのかい?」

「そうだ。ベラは殺す気まんまんだったからな」

「そうか……」


 デモンはくははははと嘲笑し、それから「不満かね、ノチェセル」と問うた。「まさか彼女を殺すとはね。驚いているよ」とノチェセルは応えた。「ああ、そうか。彼女は死んでしまったのか。最強に近い魔法使いだっただろうに」と続けた。デモンは両腕を横に広げると、また「くははははっ」と笑った。「残念だったな、殿下。しかし、悪いのはベラのほうだ。愚かしいことに、このわたしに突っかかってきたんだからな」となおも笑ってやった。


「どうあれ、決着はもはやついたと言っていい」ノチェセルは言う。「クーデターとも言っていい行動を起こした首謀者は、今、私の足元で屈服しているんだからね」

「兄上、俺は決して屈しませんよ。命ある限り、あなたに抗いつづけてやります」

「おやおや、ラムサス、偉そうな口が利けたものだね。きみの目的はなんだい? やはりドロシーのことなのかい?」

「そうあることの何が悪い!!」

「物は大局的に見るべきだ。しかし、取り戻せるチャンスがあれば、私だって――」


 ラムサスは「嘘をつくな!!」と怒鳴った。するとノチェセルは「うるさいな」と静かに言った。デモンは顎に右手をやり、どうしようかと考えた。


 刹那ののちのことだった。


 デモンは背後から、かの第二王子を抜き払った刀でぶすりと刺し、まっすぐに貫いたのである。

 ノチェセルはゆっくり振り返ると、明確に血を吐いてみせた。


「デモン・イーブル、きみは私を生かすのではなく、最初から殺そうと――」


 ノチェセルのどうでもいい言葉を受け、デモンは大笑いした。彼の驚いた表情を見て、「そうだそうだ、それだ、ノチェセル殿下、わたしはおまえのそんな顔が見たかったんだ」と大笑いした。


「私を殺したんだ。追われるぞ」

「凡庸な物言いだ。取るに足らんとはこのことだ」

「きみは……」

「死んでしまえ。どれほど尊いニンゲンが失われようと、人々はそう遠くない未来に、そんなもの、忘れてしまう」


 そのうち、ゆらゆらと少々頼りない動作でラムサスは立ち上がった。口の端の血を拭いうと、しっかりとした目でデモンを見つめてきた。


「礼を述べる必要があるだろうか」

「それはあたりまえだろう?」

「対等に渡り合うことすらできなかった」

「そのへん、見当はついていた。ノチェセルは優れた王子であり、優秀な魔法使いでもあった」


 情けないですよ。

 ラムサスは肩を落とした。


「勝てると思っていたんですからね」

「結果的に、勝っただろうが」

「まぁ、そうですね」ラムサスは苦笑のような表情を浮かべた。「どうされますか? 兄上を討ったのがあなただとは、現状、俺しか知らない」

「だったら、もう少しのあいだ、とどまらせてもらいたいな」

「なぜです?」

「決まっている。この国の行く末、そのとっかかりくらいは見たいからさ」


 ラムサスは「わかりました」と言うと、「あなたの安全は、俺が保証しましょう」と繋げ、「あまりあてにしてもらえないかもしれませんが」と続け、どことなく仕方なさそうに目を細めてみせた。



*****


 一月後――まあその間、いろいろあったと言っていいのだが、ラムサスが宰相に成り上がった。齢十六にして――いや、十七だったか? そのへんよく覚えていないが、とにかく大したものである。王のすぐ下の立場というわけだ。このぶんだと、彼が妹を――ドロシーを奪い返す日も来るのかもしれない。ただ、そうあればいいとは考えない。どこぞの誰ぞの話など、正直言って、どうでもいい。



*****


 気まぐれに、ギルバート学園を訪れた。訪ねた先はラムサスであるわけだが、残念無念、彼は不在だという。なにせ宰相閣下だ。忙しいのだろう。代わりに生徒会室に通してくれたのは、フィオナ・フェルトだった。記憶違いがなければラムサスの上級生で生徒会長だったはず――だ。フィオナはデモンを生徒会室に通し終えると振り返り、「やっほー」といかにも気安く手を振ってみせた。感づいてはいたが、とにかく気さくな少女らしい、少女と呼ぶには身体つきがえらく凹凸に溢れているが――まあその点はこの際良しとしよう。


 フィオナはデモンの正面の椅子に座った、デモンにしたってすでに回転式のソファに背を預けている。紅茶くらい出せと言いたいところだったが、一から火を起こせといっても手間と時間がかかる。魔法を使えればまた違うのかもしれない。しかし、使えない可能性だってある。統計的に述べればその無能である可能性のほうが高いだろう――となる。


 デモンはふんぞり返ると、「やはり、ラムサスの奴は学校はサボっているのか」と茶化すように言い。するとフィオナは「やっぱり何かご存じなんですね?」と訊いてきて。よくわからんが勘のいい少女なのかもしれないと考える。


「驚きました。いきなり宰相閣下ですから」

「奴さんが望むところは? 知っているのか?」

「それはもちろん」

「ほぅ。もちろんなのか」


 フィオナは長いまつげを俯け、その暗い顔には拍車がかかって――。


「ラムサス宰相は――ううん、ラムは、とても優しい男のコなんです」

「それは違いないだろうな。妹への愛情は異常と言えなくもないが」

「でも、私は彼が好きです、好きなの……」


 唐突に、左の目から頬にかけて、フィオナは涙を伝わせた。そんな彼女を目の当たりにしても、思いやりに満ちた言葉を向けようだなんて思わなかった。ただ、事実と思考だけは示そうと考えた。可能性がないわけではない。だから、「奴の妹が、奴がドロシーを取り戻すことができれば心に余裕ができるだろう。そのとき、おまえはただ、そばにいてやればいい」とだけ残した。フィオナはしくしく泣くとやがて立ち上がり、「やるぞーっ!!」と両手を突き上げた。えらく大げさな様だったが、抱く気持ちくらいは、理解できた。一瞬で前向きになれる、ある意味、逸材らしい。


 さて、オミの奴を拾って出立するとしよう。かのカラス殿もいい加減、この国の風景には飽きていることだろうから。


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