*****
ギルバート学園を訪れた。自身がいかにも怪しげな人物であることをデモンは自覚していて、ゆえに守衛の老人に呼び止められるのにも納得がいく次第ではあるが、目当ての人物に話を通してもらうことはできた。事を依頼してから十分と経たず、老人は忙しなくぱたぱた駆けて戻ってきた。両膝にそれぞれ手をついて荒い息を整えたのちに顔を上げ、「お、お通りください」と苦しげに言った。老人にしんどい思いをさせるくらいなら本人が出向いてこいと言いたかったのだが言わなかった。比較的、どうでもよいことだからだ。
*****
男子はいずれもグレーの詰襟で、当然とも言わんばかりに女子は深緑色のブレザーだった、いずれもスカートが短いのはご愛嬌と言ったところ。ひときわ明るい校内はまるで白亜の城で、高価? 高級? 違う、なんというかこう、高尚さに溢れた空間だった。白いものだから、デモン・イーブルの深淵なる黒さは余計に目立ったらしい。とにかく目を集めた。いよいよ迎えがあってしかるべきだろうと考えたのだが、今さらそれを言い出したところでしょうがないので、一通り校舎の内を観察したのち、四階に向かった。生徒会室があるらしく「そこを訪れろ」というらしく――。
大きな両開きの扉――豪奢さと年季を感じさせるドアの前には確かに目的の人物が立っていた。長身の体躯は今日も細い。男にしては長い黒髪に紫色の瞳の彼は間違いなく、ラムサス・フォン・ユピテルである。「ようこそ。歓迎しますよ」などと目を細めてみせる、唇を細くしてみせる。歓迎するならやはり迎えにくらいには出てこいと思った話だが。
*****
中へと通された。このご時世、生徒会室とは「それなりに」自由である空間であるはずだ。事実――いや、事実などどうでもよいのだが、デモンはとにかく椅子に腰かけた。すぐ左隣にはラムサスの姿がある。居心地が悪い……などということはなかった。美男がそばにいて気を悪くする女などいないという証左だろうか、どうでもいいなそんなこと――と、思うところはとっととうっちゃることに決めた。
「それでイーブルさん、本日はいったいどのようなご用向きでしょうか?」
「イーブルさん、か。やけに鼻につく物言いだ」デモンは皮肉るように顔を歪めた、醜い笑みであることだろう。「まあいい。わたしはいよいよ面白い立場にある、とだけは謳っておこうか」
「兄上、ノチェセル殿下とのあいだで板挟みになっている、と?」
「このたび、王にも干渉できるようになった――のかもしれない」
「それはめでたい」
「ぬかせ、若造」
デモンはラムサスのことをとても高く評価している。
ほんとうに賢いニンゲンは、そこにいるだけで尊いものだ。
「じつのところ、どう振る舞うべきか、迷っているんだよ」
――などという本音の質問をデモン・イーブルにさせるあたり、彼女自身、ほんとうにラムサスのことを買っているのだ――ろう。
「兄上につくか、あるいは俺につくか、ということですか?」
「平べったく言うなら、その見解に終始する」
「それはあなたの自由でしょう?」
「おや、おまえにとって、わたしは必要がない、と?」
「違いますよ。仮にそうあってくれれば僥倖だという話です」
「平べったくない言い方だな」
「あなたは平べったいが好きなんですね」
美に富んだこの青年のことを、稀有な存在と認めながら――。
「チェスでもやって、ケリをつければいいのにな」
「チェスですか?」
「同じステージで力比べをすればいいと言っている」
「それと現状とは、さほど差異がないでしょう?」
「違いない」
デモンは少年の頭の回転の速さに舌を巻いた。
「今一度問いたい。どうして俺のことを訪ねてこられたんですか?」
「だから、どう動くことに妙味があるのか……その点を見極めようとしているからだよ」その物言いに嘘はない。「第二王子は有名人だろう。しかし、そんな兄上に楯突こうとする第十王子の真意は誰も知らんだろう。そして、そこに国のパワーバランスを動かしかねない万一があることも」
「俺は買っていただいているんですね」王族らしく、美しい笑みを浮かべたラムサスである。「しかし、確かにそのとおりです。望む帰結ではありませんが、俺は自分が動かせる国を手にしたい」
それが傲慢だというんだよ。そんなふうにのたまおうとも考えたのだが、デモンはそれをしなかった。あまり気の利いた文言には思えなかったからだ。
「デモンさん、問いたい」
「なんだ?」
「すべてを投げ打って、すべてを置き去りにして、俺は明日を欲している。間違いだろうか?」
「無駄な問い掛けだな。黙っていても、明日は来る」
「そういう話はしていないのですが」
「わかっているさ。ヒトはそこに希望というヤツを見るのだろうな」その言葉にも、嘘偽りはなく。「だが、そのへん、わたしはどうだっていい」
このタイミングで、デモンは初めてラムサスと目を合わせた。
「面白くなればそれでいい。いけないかね?」
「いけないとは言いませんが」ラムサスはふふと小さく笑った。「いささか俗物的ではありませんか?」
「それは先日もどこかで言われたな。俗物的、まさにそうだ」デモンは気持ちが良くなってラムサスにピッと右手の人差し指を向けた。「俗物俗物俗物――そのとおりだよ。いけないかね?」
「ですから、いけないとは」ラムサスはかぶりを振ってみせた。「ああ、忘れそうになった。ほんとうに、あなたの目的は?」
「知らんよ。もはや忘れてしまった」
二人して笑い合った。
「すべてを正常な状態に戻したいだけなんですよ」
それが、それだけがリアルなのだろう。
「妹君は酷い目に遭っていることだろうな。年端がゆかずとも、犯されるくらいはするだろう」
「そんなことはしない……というあたりまえの協定くらいはあってしかるべきなのですが」苦笑じみた表情を浮かべた、ラムサス。「やっぱりそうでしょうか」
「いや、意地悪を申し上げてみただけだよ」デモンは肩をすくめてみせた。「なにせ相手はくだんの『帝国』だ。人治ではなく、法治国家だろう」
「謳っているだけなのでは? 主張しているだけなのでは?」
「そうは考えないほうがいいと言っている。たとえ事実がどうあろうとも」
優しいんですねと、ラムサスは頬を緩めてみせ――。
出入り口の戸――両開きのそれの片方が開いたのはそのときだった。金髪の、細身でありながらグラマラスさを感じさせる女子生徒が入ってきたのである。
「あれぇ、ラムサス、入ってくるなって話だったけど、じつは美女とあいびきだったってことかしら?」
あいびきとは、なんとも古めかしい語句を用いる女子だなと、否が応でも感じさせられた。
「嫌だな、会長。仕事の相手ですよ」
「仕事? 仕事ってなぁに?」
「こちらの話です」
そう言うと、ラムサスは席を立った。
そのタイミングでデモンも椅子から腰を上げた。
彼女は「じゃあな」とだけ彼に告げ帰路につく。
途中、会長、生徒会長なのだろう――とすれ違う際、耳元に唇を寄せ、「奴さんからは目を離さないほうがいい」と告げた。
えっ。
――と、驚いたふうな彼女に、デモンは笑みを見せてみた。