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ゲラが死に、その跡目は大方の予想のとおりドレルが継ぐことになったらしい。茶色のポニーテールが愛らしい爽やかな小僧っ子だったなと思い出す。しかし、ゲラからすればなにゆえ孫に次を譲ったのか。孫がいるということは、息子、あるいは娘がいるということだ。なのに、なぜ? 踏み込むだけの価値はないのかもしれないが、今、サカイの探偵事務所において彼と向かい合っていることもあり、その旨、直接、訊ねてみた。
「私の他に、いなかったのだ」と、ドレルは答えた。
そうなのだろうか。
たったそれだけの理由なのだろうか。
違うだろうと思い、改めて、今度は「何か他の関係性があったのではないのかね?」と真意を問い質した。
「真を説くニンゲンに魅せられた。それだけではいけないか?」
「てめぇのじじいに何を見たのかということではある」
「暴言を」
「じじいの上で腰を振るくらいはできただろう?」
「……なんだと?」
「関係性はおろか性別すら無関係に、愛し合っていたんだろう?」
ドレルの上目遣い。
睨みつけるように――。
「なんだっていい」とドレルは言い。「私は私だ。おじいさまの考えに背くニンゲンには地獄を見せてやる」
「そんな物言いをするから、狭量なニンゲンだと陰口を叩かれるんだ」
「誰がそんなことを言ったのだ?」
「このわたしだよ」
デモンはにやりと笑った。
するとドレルはふっと笑み。
「私が専念するだけで家は安泰だ。私はそれでよしとしたい」
「フィクサー、その役割は下りても良いと?」
「そういうことだ」
だったら――。
デモンは顔を歪めるようにいやらしく笑んだ。
「以降はサカイにやらせるのか?」
頷くようにまぶたを下ろした、ドレル。
「彼が望むなら、せいぜいやってみればいい。しかし、私のおじいさまが残した思想、理念は、そちらの彼――サカイごときの存在、人間性で、揺らぐはずがない」
「ソウシは? 彼のことはどうする?」
「取るに足らない。目当ての人物を失った以上、路頭に迷うだけではないのか?」
「たしかに、ゲラがいなくなったことは痛手だろうな。生きる意味すら見失う可能性もある」
ドレルの言っていること――その筋は通っている。
あとはサカイとソウシがどう考え、どう振る舞うかというだけか……。
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――かと言って、ソウシはただの警察官だ、一兵卒だ。多くのニンゲンを扱える立場にはない。周囲のニンゲンがいくらか絶たれた身とはいえ、何を成すにも不自由な感は否めない。警察署。空いている取調室の中において、椅子に座った両者――デモンとソウシは、向き合っていた。
決めどきだと思うんだ。
そんなふうに、ソウシは切り出した。
「わたしなんかは、べつにほうっておけばいいと思うがね」デモンは言う。「わたしなりに、この国の事情を知るにいたった。素人目の意見かもしれんが、そう簡単には、何も変わらんぞ」
「だけど、動かないと、何も動かせないから」
「それはそのとおりだが」
じつはね、デモンさん。
あらためてといった感もありありと、ソウシが切り出した。
「俺の親父って、それはサカイさんらしいんだよ」
「……は?」呆気にとられてしまった。「どういうことだ?」
「言葉どおりの意味」困ったような笑みを浮かべた、ソウシ。「よくよく調べてみたらって話。俺とサカイさんが揉めることなんてあっちゃまずいっていう証左というか、事実だよね。親子喧嘩ほど醜いものはないよ」
「ふぅん」と即時納得のデモン。「そのへんはともかく、これからサカイはどう動くんだ?」
「得たいものが得られたんだから、もう動かないんじゃないのかな」
もっともな言い分である――ように聞こえる。
「といっても犯罪者だ。ほうっておくわけにもいくまい?」
「だけど、ひょっとしたら、サカイさんはしょっぴいていいニンゲンじゃないのかもしれない。国を導く逸材なのかもしれない」
「問いたい。おまえの国は、ここは、それほどまでに脆弱なのか?」
「そうじゃないとは言い切れないんだよぅ」
わざとらしく悪戯っぽく、ソウシは頭を抱えてみせた。
「率直に問おう。わたしはサカイを
「そうしてもらえるとメチャクチャ助かるんだけど、でも、やっぱり、これは俺の問題だから」
「だったら、静観させてもらうとしようかね」
「中肉中背の中年男。まるきり冴えないルックスのくせに、じつは一国をひっくり返すだけの力を持ってる。世の中、何がどう転ぶかわからないよねぇ」
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三者三様の思惑が行き交う中、デモンはサカイとともにいることを選んだ。サカイはヒトを使ってドレルを殺した。ソウシのことも間もなく型にはめにかかるのだという。サカイは「ソウシくんと俺はいい勝負だと思うんですよ」と言い、「デモンさん、だから彼と向き合う折には力を貸してもらえますかね?」と続けた。何も返事をしてやらなかった。「ただ、おまえの動きは面白いよ」とだけ伝え示しておいた。
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夜、サカイの探偵事務所を訊ねた。一室に入る。ソファに座っているサカイの正面の席についた。オイルランプが醸し出すオレンジ色の淡い光が彼の老いた顔をじわりと照らし出している――邪な表情と言えた。
「さぁて、行きましょうか」
「わたしは行きたくないな」
「それはまた、どうしてです?」
「野郎同士の削り合いを、女が面白がると思うかね?」
「しかし、デモンさん、あなたはそこに興味を見たからこそ――」
「ああ、そうだな。第三者的な立場をいよいよ貫いてやろう。武器は? 持たないのか?」
そのように問うたところ、「向こうも持ってこないでしょうから」との返答があった。
「サカイ、ソウシはほんとうにおまえの息子なのか?」
「ええ、まあ。あいつの母親とは、言わないでいようという約束だったんですが」
「威張れたことではないというわけだ」
「そのようで」サカイはクックと喉を鳴らした。「奴さんの前に、俺はラスボスとして立ちはだかってやるんです。それがたぶんあるべき姿だし、その役目を全うできれば、じつは狂おしいほどまでに苦痛だった俺の苦悩が取り除かれるだろう、ってね」
わかった。
デモンはソファから腰を上げた。
「蟻のごとく忠実で愚かな男どもの終焉――このわたしが見届けてやろう」
にこりと笑ったサカイは、きついアルコールのショットグラスを一気にあおった。「ここに戻ることは、もうないだろうな」と呟いた。とどのつまりそこにあるのは祈りなのか願いなのか。
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闇に満ち満ちた街の路地裏で、サカイとソウシが殴り合っている。その様子を、デモンは優しい心持ちで見ていた。母性なるものを覚えた。阿呆な男どものいさかいを眺める際、女は懐が深くなるらしい。互いが自由に生きた結果として、今、彼らは殴り合っているわけだ。ほんとうに、馬鹿な話だ。ほんとうに馬鹿な……。
彼らは国を導き築き、あるいはひっくり返すだけの力を持った男性だ。そうするために、あるいはそうあるために、彼らは生きてきたはずだ。だが、ソウシは眼前に存在するものに対して積極的だし、サカイはサカイで欲望に忠実だ。
だからこそ、彼らは――。
身体をひっくり返されたのはサカイのほうだった。マウントをとったソウシが拳を振るい振るい、いちいち振り抜く。ソウシが荒い息とともに立ち上がったとき、サカイは動かなかった。死んだわけではない。動こうとしなかったというだけのこと。サカイが薄く、それでいて相手を嘲り倒すように笑う。「何がおかしい!!」とソウシが怒鳴った。「おまえが俺を殺さないあたりに途方もない優しさを見てね」というのがサカイの言葉。
「サカイさん、あんたは、この国のシステムそのものになりたかったんじゃないのかよ」
「ソウシさん、それはあんたの言うとおりだよ」
「だったら、どうして俺なんかにやられてそんなところで寝てるんだよ!」
「子を殺すことをためらう、それってそんなにおかしなことですかぁ?」茶化すような口調だった。「国を操作したいと夢想したことは事実だが、それって自らの子を殺してでも試行することなのかな?」
「こんなときに、父親づらを……っ」
「しょっぴいてくれ。俺はもう、疲れたんだ。必死すぎる自分に……」
ジ・エンドだった。
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三日ほど滞在し、その間、ソウシとよく話した。彼は良くしゃべった。しゃべらずにはいられなかったのだろう。激動――とでも評すべき出来事が立て続けに起きたのだ。「サカイさん、いつかシャバに帰ってくるかもしれないから、そうなったら、また話をしたいなって」――それもアリだろう。
首都――街の端っこから国をあとにしようとした折も、ソウシが見送ってくれた。赤いネクタイではあるものの黒い背広。黒であることを良しとしているであろうあたりにはつくづくシンパシーを覚える。
馬車――キャビンに乗り込もうとした段になって、後ろから声をかけられた。「必ず、また会おうよ、デモンさん。俺、絶対にあなたのこと、忘れたりしないから」とのこと。
「わたしは忘れてしまうかもしれない」
「ひどいなぁ」
「冗談だよ、覚えておく」
そんな自信、微塵もないのだが――。
今日の青空も抜けるように高い。