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19-2.

*****


 デモン、デモン。呼びかけるようなそんな声で目が覚めた。オミの奴が黒い翼をぺしぺしと頬にぶつけてくれていたらしい。無礼な奴だ。たかがハシボソガラスの分際で軽々しく人間様に触れるなと物申したい。だからデモンは起き上がりつつ彼の身体を叩き落とし――しかし今一度ベッドにぴょんと飛び乗るあたり、メンタルが強靭なカラスと言える。


「お客さまなんだ」と、オミは言った。


 慎ましやかにコンコンコンと戸をノックする音が確かに聞こえる。


 根の深い眠気ゆえにむにゃむにゃ言ってしまうデモン。それでもベッドから下り客を迎えようと言うのだから自らは尊いなと思う次第だ。手放しに賞賛したいくらいである。


 開けるぞと断ってから二秒、戸を開けると、そこには先日の若者――ソウシの姿があった。今日もかちっと黒スーツ。赤いネクタイは多少ゆるめだが、しゃんとしては見える。


「なんだ、若造。わたしに何か用か?」

「若造って、あなた、俺よりぜんぜん年下でしょぉ?」

「そのへんはどうだっていい。なんの用事だと訊いた」

「ちょっと遅いけど、朝ごはん、ぜひとも奢らせてくれない?」


 デモンの眉間にはにわかに皺が寄る。


「なんのつもりなんだ?」

「どうにも美人さんには弱くって」

「ほかの美人をあたれ」

「美人の中でもあなたは特別だもん」

「そんなの決まっているが」デモンはあくびをした。「まあいい。パンケーキがいい。甘い甘いはちみつをどえらくどっぷりぶっかけたやつだ」

「ビンゴ、いいよぉ。おいしい店を知ってるんだぁ」


 このタイミングで、デモンは「はて?」と首をかしげた。「おまえ、どうしてここがわかったんだ?」と訊ねた。ようやく脳が覚醒しつつあるのかもしれない。


「言ったよ? 俺、公安のニンゲンなんだって」


 ソウシは青年――あるいは少年然とした愛らしい笑みを、あらためて浮かべたのだった。



*****


 デモンはパンケーキを大きめに切り分けると、それを勢い良く口へと放り込んだ。バターとはちみつがたっぷりと染み込んだそれは香りと反発がしなやかに良く、かなり美味だと言えた。口をもぐもぐ動かし飲み込むとコーヒーを一口、湿度の低い好天のもとのテラス席はじつに心地良い。


「世の公安職員というものは、みながみな、おまえのように暇なのか?」

「そういうわけじゃないと思うけど」ソウシはほんとうに人懐っこく笑む。「これからサカイさんと会うんだけど、行く?」


 は?

 デモンは首をかしげた。


「どうして誘う? 意味不明で不可解だ」

「興味ない?」

「昨日今日知り合った男になんの興味を持てと? ――が」

「が?」

「面白い事、物、者を探している身の上なんでな。ほんの少しでもそそられるのであれば乗っかりたいところではある」

「だったら」

「待て。話をするのは食べ終わってからだ」


 やがてデモンはパンケーキを食べ終え――。


「サカイは剣呑な俗物なのかね?」

「どうしてそう考えるんですかぁ?」

「行政がマークしているからだ」

「まあ、遠からず」微笑んでみせた、ソウシ。「というか、そもそもこの国そのものが胡散臭くて」


 公安がそんなことを言い出したら、その時点で健全ではなくなる。デモンはそう謳った上で、「しかし、公安は公安として存在するわけだから、そこまでまずいわけでもないのだろう」と指摘した。


「それはそうなんだけどさ、ほら、昨日、モトって家のこと聞いたでしょ?」

「この国のフィクサーだという?」

「そうそう」

「しかし、この国は幸せさが顕著だ。指数として表したら相当なものだろう」

「だけど、それが誰かの意図として強いられているのだとすれば?」

「気味が悪いと?」

「うん。少なくとも、俺は心の底から笑えない」


 たかが国に使役されるだけの蟻ごときが偉そうにほざいてくれる。

 今度はそんなふうに言って、けなしてやった。


「サカイをしょっぴいたところでなんにもならんと思うがね」

「っていうか、簡単にはしょっぴけないよ。尻尾を出さないんだから」

「だったら、サカイより、ゲラ・モト当主を洗うべきじゃないのか?」

「ご名答。でも、ハードルが高いんだ。公安でも会えないようなバリアがはられてる」

「誰の手によってだ?」

「政府さ」

「ふむ」


 サカイとは昨日会ったということもあり、興味は俄然、ゲラ・モトのほうに向く。なんとしてもとまでは言わないが、接してみたいなとは思わされた。


「さぁて、本題」

「本題?」


 今さらかと感じた。


「ゲラ・モトが以前述べた一節があって、それはとても恐ろしい内容だったんだ」

「なんと言ったんだ?」

「私はみなの心に潜む神だ。私が想像し創造した時代こそがこの世界だ」


 デモンは眉を寄せた。


「選民的な根性が抜けきらん阿呆で馬鹿な愚者の戯言にしか聞こえんのだが?」

「だよね」ソウシは頷いた。「でも、この国のヒトの多くはゲラの精神性に感化されてる」

「まさか」

「ううん。それが実態なんだ。ある種の宗教観とでも言うべきかな。誰かに支配されることが恐怖であると考える反面、誰かの思想に乗っかることで安寧を得たいとも考えてる」


 納得がいかない部分が広大すぎるが、ひとまずなるほどと唸っておこうと考える。他者にもたれかかることで心を穏やかに保つ者は確かにいて、その顕著な例がこの国の民だということなのだろう。気色の悪い連中だなとは思う。自らの価値観が失われ、その結果としてあるいは思考すら操られているのではないのか……そう考えると、ぞっとしても良さそうなものだ。


「すなわち、奴さんの国だというわけだ」デモンは二杯目のコーヒーをすする――ようやく自覚できるくらいに、目が覚めてきた。

「そう。ここはゲラにとことんあてられた国」事の悲壮さ無惨さとは裏腹に、ソウシはにこっと笑った。

「おまえの目的もだいたい理解した」

「たぶん、それは正解」

「となると――」

「そ。どちらかと言うと、俺はサカイさんと考えを同じくするニンゲンだよ」


 だったら仲良くすればいい。

 そう言ってやると――。


「だよねぇ。だから俺としては、それとなく誘ってるつもりなんだけど」

「なびいてはもらえない?」

「どうしてなのかなぁ」今度は溜息をついた、ソウシ。「どこかで俺は、彼のことを見誤っているのかなぁ」

「そんなの聞かされたところで、わたしはわからんとしか答えられんぞ」


 近くを通った店員の若い女に、ソウシは「レモンティーね」と注文した。


「同僚は? 相棒くらい、いるんじゃないのか?」

「最近、死んじゃったんだ。他殺だよ」


 それはいよいよ興味深い。


「おまえやおまえたちに対する警告というわけだ」

「そうだって考えてる。政府の裏事情程度を探ることまではともかく、モト家にまで手を出すなら許さないぞ、みたいな」

「簡単に、道を指し示してやろう」

「それって?」

「ゲラのことは諦めろ」

「だ・か・ら、それは嫌なんだってば。しつこいなぁ」


 まったく、面倒な小僧である。幼顔のくせにえらくしゃちほこばった考えを巡らし示す男だ。幼顔は関係ない、か――。


「デモンさんの言うとおり、本丸はゲラだよ。だけど会えない以上、だったら誰かに取り次いでもらわないと、っていうのが、じつのところの本音も本音」

「誠心誠意、ぶつかってみたらどうだ?」

「正直さが美徳とされたのは昔の話だよ」


 それはそうかもしれない。


「わかった。とっとと連れていけ。付き合ってやる」デモンは椅子から腰を上げた。

「あー、待ってよぅ。俺、お茶頼んだばかりなんだよ?」

「わたしはせっかちなんだよ、極度のな」


 半分嘘で半分本当だが、とにかくソウシはついてきた。「ちぇーっ」と残念そうに不満そうに言いながら。


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