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最後の三英雄――英雄ロジェは下品に笑う刀だった。英雄に似つかわしくない邪悪さがありありと窺える気色の悪い冷酷な生物だった。
重苦しさばかりが首をもたげてくる曇天の下、ライがロジェと対峙している。イイカンジだ。達人同士のあいだにしか流れえない高潔なまでに澄んだ空気に包まれている。戦闘、特に一対一はかくあるべきだ、こうでなくちゃと思う。
ブラックハンド。
小さく呟くと――ライはげほげほっと血を吐いた。どうやら先の闘いにおいての負傷箇所は具合が良くないらしい。だからといって、そんな理由だけで退くなら男ではない。しきりに多様性が謳われる昨今ではあるものの、男は男で、女は女だ。女を守ってこその男だ。女を見下ろし見下してこその男だ。真理なのだ、その点は、誰がなんと異議を唱えようと。
俺には最初で最後の夢があるんです――。
この場に来るまでのあいだに、ライが言ったことを思い返す。
「恒久的平和です。驕りがすぎるでしょうか?」
すぎるな。
ああ、すぎるぞ、ライ。
だが、おまえがそれを目指して行動を起こすというのなら、その結果くらいは見届けてやろうだなんて優しいことを考えたりもするんだよ――しつこいかね?
ブラックハンド。
それを発動させるためにいちいちそれを口にする。無言で生成することもできるに違いないが、ライはあえて言葉にする。大事なのだろう、行為が。大事なのだろう、自らの手を汚すという事実が。だから、何事も口にする。そうすることで罪を背負う。
ブラックハンドブラックハンド、ブラックハンド……。
飛び石状のブラックハンドを駆け上がり、刀の化物・ロジェの頭に一撃を食らわし、叩き落とそうとする。切なくはならない。ただ観ていて歯痒い思いに駆られた。わたしが参戦してやればすぐにでもケリがつくのになと思うのだ。しかし、ライの動きが戦いぶりが、「俺に一人でやらせろ」と言っている。だったらだったでまあ許そう。ほぉら、がんばれがんばれ。
ついにはブラックハンドが撃墜された。ロジェの全身を使った叩き割るような唐竹の一撃を、もろに頭部に真っ二つに食らった。脳天から股間までを一気に裂かれ――リーリーが見ていたら狂おしいまでに取り乱したことだろう、しかしことちら――デモン・イーブルは彼に執着まではないので、静かにその旨を見届けた。ロジェが強いというより、ブラックハンド――ライが弱かったように映る。なんにせよ、負けてしまえばそれまでだ。のちに何も残すことなどできない。
デモンはもはや言の葉すら発することができない、醜く縦に裂かれたライを見下ろした。ライは叫ばない、泣きもしない。別れた半身で「俺は弱いから負けたんです」と悟ったように真理を吐いて、目を閉じ、静謐にまみれ事切れた。見事だな、まあ。ああ、よくやったよ、伝説の英雄を相手に五分近くにまで持ち込んだんだ。逸材だよ、おまえは、やはり――。
三英雄が一人、最後の一人――ロジェ。
油断していい相手ではないとわかっているのだが、どうしたって楽しみに浸りたいものだから、最強の名を冠するデモンとしては、遊んでやりたい気持ちに駆られた。
「美しい刀――そんなフォルムだ。まるでエクスキューショナーのようだ。貴様がそうあろうとするのなら、わたしはそれを尊重したいのだがな」
これまでろくすっぽ口を開かなかったロジェが馬鹿笑い――「ぎゃははははははっ!!」とクスリがガンギマリの未成年者のように馬鹿みたいに笑った。
「俺は愚鈍なヒトを毛嫌いしている、気色の悪いニンゲンどもを駆除してやりたいだけだ! 英雄だからこそ許される刮目すべき特権だ! ブラックハンドか? ある程度はやってくれたな。でもな、俺にとってはすべてが殺害の対象でしかないんだよ!」
うん、いい返答だ。
デモンは肩をすくめてみせた。
「もういいさ、ロジェ殿。わたしがおまえをここで安らかに終わらせてやろう」
「できるわけがない、そんなこと」
「できるんだよ。かかったほうがいいか? かかってくるのを待ったほうがいいか?」
「――突っ込んでやる!」
「笑えるな、下ネタかね?」
自らの刀の身体を頭から振り下ろしてきた、ロジェ。文字通り彼からすれば頭突きのような格好だが、それは確かに斬撃だ、しかも鈍重でありながら鋭敏――。だが、後れを取るようなことはない。なおも叩きつけるように幾度も振るってくる刃をやがては下から上へとうっちゃり――デモンはにやりと笑む。ロジェは強いが自分よりは強くない――デモンはそう確信した。刀の化物ロジェは、ついには逃げだした。バックステップを踏んだかと思うと、背を向け、走り去るべく駆けたのだ。ここまで来て取り逃がしてはいささかつまらんなと思い、悪いが背であれ一撃見舞わせてもらった。刀の怪物的なロジェがずべっと前のめりに、ヘッドスライディングでもしたかのように倒れた。すぐさま背に跨って、ざくざくとうなじのあたりに刀の切っ先を寄越す。「や、やめろぉぉぉぉっ!」などという断末魔の
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三英雄が成した国にとって、三英雄の死はどういうものなのか。しかし、当該目標が成されたことにより、いわゆる箱庭は消失したのだ。三英雄が作り上げていた箱庭は強力かつ強大なテリトリーだった。彼らの存在そのものだった。それが消えた。やはり前向きな事象と言える。後ろ向きなばかりに、彼らと戦った少年少女はやや、痛手を負ってしまったが――。
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もはや良く見た白い会議室において、デモンは一方的に、リーリーの拳に遭っていた。目の当たりの状況にありながらライを助けなかったことを良しとできず、だから口汚く罵ってくるというわけである。リーリーの力は思いの外強く、だからデモンは仰向けにされマウントを許し、ぼかぼかぼかぼかと左右から顔面を殴られるに至った。誰も止めようとしない。まあ、この場にはオミの他には「彼ら」の管理者たるミサトの姿しかないのだが。
「どうしてよ、デモン! どうしてライを助けてくれなかったの!?」
馬乗りになられている中にあってもデモンは平静で、だからにやりと厭らしく笑んだりもするのだ。
「助けてほしいと背が語っていたのなら助けただろう。そうではなかったんでな。いっそライは英雄になりたがっていたのだろうくらいに考えるほうが、誰のためにもなる」
「あたしにとって、あたしにとってライは、ライは!!」
「この国は平和になるぞ」
「なんの話?」
「ライが命をはってもたらした平和だ。せいぜい謳歌するといい」
いい加減飽きたので、デモンはリーリーの身体を突き飛ばした。マウントされた態勢から復帰する。「三英雄――大したことはなかったな」と告げた。「まあ、それでもそれなりに楽しめたから良かったんだが」と続けた。
デモンはいよいよ直立したわけだが、リーリーにしこたま殴られたせいだ、鼻の奥に血の塊のようなものを感じている。うっとうしいなと思いつつ、デモンはリーリーに「今般、この国で起きた事象はじつに美しいものだったよ」と本心を言った。「有能な若者の犠牲の上に築き上げられたのは、箱庭が屈したというまぎれもない事実だ。決して脆弱ではない若者が、醜いとは言えそんなお国のために命を散らした。尊いことだと思うよ。親族だな、彼らは彼らを殊更に誇ってやればいい、立派な墓石でもこしらえてやればいい。そこに意味なんてないんだが、それでも鎮まる魂はあるかもしれない」
特に私においては、彼らに何ができたのかしらね……。
そんなふうにつぶやいたリツコは、意外としか言えない涙を流した。
「重ねて言おう。残ったのは三英雄がいないという事実だ。謳歌すればいい。死んでしまった彼らの功績だと強く認識した上で」めんどくさいなぁ――と思いながらも、デモンは発言する。「リーリーはわたしの顔面をしこたま殴りつけてくれた。リツコは情けない顔ばかりを見せてくれた。両者にはしっかりしろと告げたいな。おまえたちを大切に思い、救おうとしたニンゲンの――男のことをきつく胸に縛り刻みつけろ。男は馬鹿だが、素敵な奴も、中にはいるんだよ」
デモンは白い会議室を去る。
右手を使って、彼女は胸の前で十字を切った。
つまらん英雄と死にたがりのがきんちょどもの魂に確かな祝福を。
男は総じて馬鹿なものだ。
だからこそ、ま、捨て置けんし、そこには価値があるんだがな――と思う。