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ささやかながらも拠点とできるような小規模の寝床は幾つも用意されているらしく、ある廃墟ビルの三階――そこには毛布やランタンやらがあった。水も定期的に取り換えているらしい。戦う態勢はある程度、整っているということだ。デモンは壁に背を預けて片膝を立てており、ライとリーリーは一つの毛布にくるまっている。リーリーは眠たげだ、もう寝落ちてしまいそうだ、そのうちライの左肩にこてんと顔を倒し、すやすや寝入ってしまった。やっぱりガキだなと思う。二人とも、仲のいい子どもにしか見えない――微笑ましいことだ、まったく。
「三英雄、とは?」
「興味がありますか?」
「そうでもない。暇潰しのひとときを埋めようとしているにすぎないよ」
「先達て、お話ししたとおりです。この国の独立に関わった人物、存在です」
「何から独立したのかというと、それは魔族からというわけだ」
「はい」とライは静かに応え――。
「やはり魔族とは悪なのかね」デモンは言う。「わたしはまだえらく若く、人生において支配されたためしがないものだから、そのへん、よくわからんな」
三英雄。
俺も具体的に姿を拝見したことはないので。
そう言ってから、「ただ」とライは但書きをし――。
「独立を勝ち取るまでは、それはもう酷い有様だったと聞きます」
「国が、か?」
「はい。だからこそ」
「立派な英雄なのだろう、と?」
「いえ。俺の考えは、ちょっと違います」
「そうなのか?」
「はい。強大な敵から身を守りきったんですから、英雄もまた、どぎつい連中なのだろう、と」
それは違わないなと考えて、デモンは軽い調子でハハと笑った。
「思うんです、デモンさん。肌で感じるというか、なんというか」
「次はなんの話だ?」
「箱庭の主とされる英雄ゾルデは、遊んでいるのではないか、と」
「そのような考えに至る理由があるのか?」
「そうとまでは言いません。ただ、遊ばれている感は拭い払えないというか」眉を寄せ――難しい顔をしたライである。「国のニンゲンは、多少の脅威は覚えながらも、そこまで深刻にはなっていないというのが一般的な評価です。実際にそうだから、箱庭を箱庭として管理しようとしている歴代の政府に対して誰も具体的な不平不満を並べたりしない」
なるほどな。
デモンは納得した。
「でも、じつは驕っている高慢ちき俺たちのほうで、相手のほうが冷静に事を見極めようとしている。その可能性も、あるのではないのでしょうか」
「おまえが言ったとおり、わたしはこの国の歴史を知らん。が、国内のこととはいえ、そこに問題が生じていると感じる以上、おまえの肌感覚が間違いだということはないんだろうさ。神経ネットワークがひりだす妥当性とでも述べておこう。――で?」デモンは顎を持ち上げた。「ライオネットよ、おまえの役割とは、つまるところなんなんだ?」
「俺は手しか使えません」
「ブラックハンド?」
「そのとおりです。とても見た目が良くない、ぬめりとした黒い手です」苦笑のような表情を浮かべた、ライ。「ほかにべつにやることがないから、この国に身を捧げるのもアリかなって。身体は後ろを向いていても前進してやろうという気概くらいはあるんですよ」
ライオネットという青年の真理を、そこに見た気がした。奉仕的なのだ、無条件で。優しいガキなのだろうとは言うまでもなく。右手を使ってリーリーの頭を撫でた。「ひゃっ」と起きた彼女はとろんとした目でまもなくキスを求めた。ライはそれにそっと応えた。
ふいに空間を大きくスライスするような白い閃光が頭の上を通過した。次の瞬間、今いる建物が輪切りにされ、上階以上が滑り落ちるようにして地面へと落下した。さながら恐怖の瞬間と言えた。巨大生物の力任せの一太刀なのか、それとも強力な魔法使いによる一撃なのか、すぐに判別がつかないのは当然だ。ライはリーリーのことを抱き寄せ、いっぽうのデモンはすっかり見晴らしが良くなった上を見やった。あっという間に巨大なヒト? 魔物? ゴミ? ――が、すぐそこに舞い下りた。舞い下りたという表現は適切ではないなと思う。不躾に豪快にズドンと落下してきただけだからだ。背に大きな白い翼を四枚も背負った、摩訶不思議な白い存在だった。長く豊かな髪も真白、肌だって真白で、腰布まで真白だ。巨匠の石像みたいなその外見たるや、言ってみれば、四枚羽。まとう空気すら高貴で高圧的なのがなんだかかなり気に食わない。たぶん、こいつがもっぱらの敵なのだろう。「巨大インス」とか言っていたように思うが、身体のサイズはそうでもない。いい加減な情報だなと心の底からけなしたくもなる。にしても、眩しい御仁だ。夜にあって、その純白な全体的フォルムは嫌というほど映える。
「デモンさん!」
「いいさ、ライオネット、うるさいぞ。リーリーを連れて下がっていろ。こいつの相手はわたしがする」
いまだおねむの続きに違いないリーリーのことを先に走らせ、自身も階段を駆け下りてゆく、ライ。風がぴゅぅぅと流れる最中にあって、デモンは「何者だ?」と訊ねた。答えは返ってこない。しゃべれないのか、しゃべる気がないのか。ただ、まもなくして豪気なまでの敵対心が伝わってきた。やるつもりらしい。敵だと認めてもらえたのだ、なんともめでたいな――。デモンはやれやれと肩をすくめてからぐっと腰を落とし、刀の柄を右手で握った。「どぉれ、お手並み拝見といこう」と言い、邪悪に笑った。邪な破顔は得意とするところだ。みんな死ねばいいのにという完全無欠の悪意と嘲笑があるから、著しくそれができる。
始動はゆっくりに見えた。だが、まばたきをした次の瞬間にはもう、目の前にいた。右手を振り下ろしてきた――右の前腕に生えるようにして生じた、弧を描く刃物のような硬質な武器による一撃――に見えた。その予感は正しく、抜き払った刀――刃で受けたところ、ギィンッと金属同士がぶつかるような著しく高く鈍いような音が鳴った――突き放して強制的に距離を強いる。
あははははははっ!!
デモンはそんなふうに大笑いしながら、白い四枚羽に突っかかった。炎の魔法に氷の魔法、斬撃の魔法を、ちょっかいをかけるようにして放つ。どれも決まらない。炎と氷はあんまり得意ではないからまぎれが生じる。でも斬撃の魔法についてはその限りではないから――ないのだろうが、そこで後れをとったりしないのが、今般の敵だ。
いいな、スゴくいい。
ケリがつくまでやろう、大いに遊んでやろう。
互いに高くから、遠ざかりつつ着地した。ゆえに互いの姿を見失う。のっぽな建造物を幾つも挟んで、たぶん、それでも向き合っている。敵さんは建物という建物を薙ぎ倒すと、真正面から突っ込み、挑んできた。たとえそこにヒトがいようがいまいがおかまいなし。邪魔な遮蔽物を一挙に破壊し、一息に迫ってくる。
デモンは胸の前で両手を交差させると、それを開き放つようにして、再び、斬撃の魔法を放った。いい感じで斬れるのだが、も一つ、致命傷とはいかない。そのあいだにも、否、そんな間隙を縫うようなかたちで、四枚羽は押し通るようにして右手を刃物へと変化させ、突き出し、突進してくる。始末が悪い。勝てるに決まっていると考え、その旨、信じきって突っ込んでくるものだから、対応しづらい。だからと言って、負けないが、負けてやるつもりなんて微塵もないが。だいたいもう、方針は決まった。どれほど殺そうとしたところでうまく立ち回られるのであれば、それはもう、すべてを攻撃するしかない。すべてを抹殺するつもりで、白い四枚羽は、なおも阿呆みたいに首を狩らんと突っ込んでくる。今のデモンは客観的な戦術的視点として包容力に満ちている。デモンは四枚羽を囲うだけの色のない小さな結界を生じさせた、その結界の中に四枚羽を閉じ込めた、そして四枚羽を結界の中で――斬撃の魔法でもってズタズタにすることを試みた。大丈夫だな、問題はない、効いている。四枚羽は確かに異常な強靭さを誇るが、永遠を約束された斬撃の前にはなすすべがないだろう。デモンは大笑いしながら行く末――展開を見守る。やがて無制限に紫色の血を噴き出す現象が止まった。四枚羽はぐずぐずに、まるで液体でできていたみたいに溶けるようにして地面に広がった。醜い最期だ。醜いなぁ、ほんとうに醜い。だから死んだのだろう――。そこにあるのは、まるで自明の理でしかない。
*****
ライとリーリーの行く道をきちんとトレースしていたらしい。オミの奴が彼らのもとに案内してくれた。暗くしかない地下にいた。座り込み、木製の水筒の水を、揃ってストローですすっていた。揃って冷静な顔をしている。二人はちゅっと甘ったるいキスをかわした。「俺たちは逃げてしまいました」と苦笑を浮かべたのはライだ。「逃げろと言ったのはわたしだよ」とあらためて釘を刺しておいた。
「思うんだが」
「何をですか?」
「いや、いったん、箱庭の外に出るのもアリじゃないかってな」
「確かに、ターゲットはデモンさんが仕留めたように考えるのですが」
「何か問題が?」
「外に出る。その行為自体が、難しいように感じられるんです」
感じられる?
そんなふうに、デモンは訊ねた。
「そうです。それこそ肌感覚です。だけど、きっと、この界隈にはたくさんのインスがいます。デモンさんからすると“ダスト”ですね」
「呼び方なんざどうだっていい。確かなのか?」
「空を行けば、切り抜けられるのでしょうけれど」
「今回はやりすごしたところで、結局、ぶつかってしまうということだな?」
「はい」
だったらどうするね?
今度はデモン、そんなふうに訊いた。
「潰せるだけ潰します」
「いいのか? それで」
「やむをえません」
「計画的ではない、行き当たりばったりは感心できんな」
ライは優しげな笑みを浮かべた。「どうせほかにやることもありませんから」と穏やかに言った。
「せっかく相手がいるんだ。セックスでも続ければいい」
すると、「そんなんじゃないよ」と発したのはリーリーだった。「ホント、そんなんじゃないんだから」と続けた。簡単にキスをかわしていたように見えたが、じつのところ、案外、綺麗な付き合いなのかもしれない。男女の関係について「綺麗」とはちょっと意味不明だが。
外でまた、火薬か何かの炸裂音――。
「やれやれ。少しの休みもくれないのかね」
「いえ。あなたが仕留めた四枚羽は特別です。そうである以上――」
「もっと特別な存在がいよいよ出現したと?」
「たぶん、英雄ゾルデです。もはやそうとしか考えられない」
デモンは胸が弾む思いがした。
「だったらわたしに戦わせろ。英雄――屠ってみたいと考えていたんだよ」
「ダメです」
きっぱり言われて、デモンは眉を寄せた。
「何がダメなんだ?」
「あなたでもきっと敵わないから、俺がやります」
ますます眉間の皺が深くなる。
「仮にわたしがダメだとして、おまえにならできると?」
「そうとは言いません」
「主張が矛盾しているぞ」
ライは二ッと笑うと、歩み出した。階段をゆっくりと上がり、この地下室をあとにした。デモンは「追わないのか?」とリーリーに問うた。「どれだけ止めても、最後には行っちゃうから」と悲しげな返答があった。
「それでも、行動の結果は見届けてやる必要があると、わたしなんかは思うがね」
「……怖いの」
「それでも、だ。ゆえに、わたしは行くことにする」
デモンが身を翻したところで、「待って」と呼び止める声があった。
「忘れてた。ライが死んだら、あたしも死んじゃうんだった」
リーリーの笑顔は、思いの外、朗らかなものだった。