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コロンビーヌの屋敷にいる。彼女が一人暮らしをしている理由については見当がついている。警備がしやすいのだ。郊外――辺鄙なところで、一人でいてもらったほうが。一国において「魔法を使えなくする魔法を操る女」なのだから、王からすれば重宝しているに違いないのだ。魔法が禁じられるだけでずいぶんと戦力は削がれ、限られる。自国の防衛にあたっては盤石を成すかけがえのないファクターだと言っていい、コロンビーヌという女は――。
朝っぱらから、コロンビーヌはクリームシチューを振る舞ってくれたのである。いい香り。大きなスプーンを使ってずずっとすする。挽肉という安っぽい食材をあえて使うところがポイントらしい。実際、まずくはない。新しい食感にして美味と言えた。美味――違うな。素朴な妙味だ。
食事を終え――。
「おまえの周囲では蟻の子一匹すら通さんくらいの警備がなされている。それでも、ベリナス王太子は兵を寄越すかね」
「突然魔法が使えるようになったら、みんながびっくりすると思います。その混乱に乗じて攻め入ることもできるのでは?」
「違いない。おまえは利口なようだな、コロンビーヌ」
「恐れ入ります」てへへと頭を掻いてみせた。「でもです、デモンさん、あなたはほんとうに私の力を信じているんですか?」
「信じるしかないだろうが」デモンは右の手の平を上に向けた。「さっきから炎を出そうと試みているんだが、どうにもうまくいかん。おまえはフツウに暮らしているだけのように見える。しかし、現象は雄弁だ。まったく大したものだと感心しているよ」
恐れ入ります。
またそうやって言い、また頭を掻いて――。
「あの」
「なんだ?」
「王太子殿下――ベリナス様が勝利する画は思い浮かべることすらできません。多くのヒトがそうだと思います。なのに挙兵する。どういったからくりなのでしょうか」
「さあな」デモンは肩をすくめた。「どうしたって勝ち目がないのだとすれば、そこにあるのは親父への恨みか何かなんだろうさ」
「恨み?」
「そこまでは、わたしだって知らんよ」
いたってしょうもない話には違いないだろう。
そう言って、デモンは再び肩をすくめてみせた。
「みんなが幸せであればいいのに……」
「無力なニンゲンにしばしば見られる傾向だ。特に女はそんなふうにのたまう」
「悪いことでしょうか?」
「いや、むしろ尊い思考だろう。だが、そうあったところで何も解決したりやしない」
「世の中、厳しいですね」
「そういうものだ」
ベリナス様に勝ち目はないと思うのです。
しつこくまた、そんなふうにコロンビーヌは言い。
「状況はわかりきっているにもかかわらず、だったらベリナス様はどうやって戦うつもりなのでしょうか」
「先に言った。おまえを殺すことで混戦に持ち込む場合が考えられる。それ以外には……」
「それ以外には?」
「現存戦力で足りないのであれば、どこか外から、調達してくればいい」
「まさか」コロンビーヌは驚いたふうに目を丸くした。「そんなこと、そうそう簡単にはできないはずです。そもそも――」
「そんな伝手は聞いた覚えがないってか?」
「はい」
なんとも純粋純朴な女である。
音がした。外でぼーんと、何かが破裂、炸裂した音、鈍い音。反射的に言える速度でコロンビーヌは頭を抱え、「ひゃっ」と小さな悲鳴を上げた。
「さてさて、事象はかくも突然に起きるようだ」
「でも、どうして。魔法は使えないはずなのに」
「今のはもっと原始的な、物理的な音だったよ」
「どういうことですか?」
「目に見える武器だ。爆弾だよ」
不安げな顔をして、コロンビーヌは俯いた。
「やはりおまえの近くにいて正解だった。爆心地になるぞ、ここは」
「怖いことを言わないでください」
あっはっはとデモンは笑い――。
「にしても素早いな、ベリナスは。やる気満々らしい」
「ほんとうにベリナス様なんでしょうか」
「それ以外に心当たりが?」
「ないですけど……」
デモンはすっくと椅子から立ち上がった。
「行ってくるよ。おまえは隠しワインセラーにでも隠れているといい」
「えっ」驚いたように、コロンビーヌ。「どうしてそれを?」
「わかるんだよ。無能ではないからだろう」
「あの、デモンさん」
「なんだ?」
「くれぐれも、お気をつけて」
デモンは振り返り、極力優しく「わかっているよ」と微笑んだ――つもりだが、そのじつ、ふてぶてしく映ったかもしれない。
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表に出たところでオミの奴が左肩に舞い下りた。「話はどうなったんだい?」などと訊いてきた。
「まとまったよ」
「どんなふうにだい?」
「ああ、いつだってうるさいしうっとうしいんだな、おまえは」
「その物言いは酷いんだ、酷すぎるんだ」
「いいから黙っていろ」
やはり火薬の匂いだ、色濃い。にしても、コロンビーヌの近辺にありながらこの暴挙を許すとは。国軍の兵の脆弱さもたいがいだなと思う。きっと敵さんの士気は高いだろうから、あるいはやられてしまうのかもしれない。――今のベリナスはどんな具合に楽しんでいるのだろうか――知りたくもある。
街をゆく、大通りを。そのうち、向こうから知った顔が現れた。裸の上半身に茶色いサスペンダー。なぜだかオミは「太っちょなんだ、とても太っちょなんだ」と喜ぶようなリアクション。カラスのくせに高貴ではないらしい――時折、そんなふうに思わされる。
部下であろう兵を周囲に連れ、どたどた走ってくる立派な体躯は何を隠そうアルベオである。あまりに醜いものだから焼いてやろうと左手を前に広げたのだが、渦巻く炎はやはり出ない――大したものだな、コロンビーヌ。
アルベオがすぐそこまでやってきた。「ほんとうだど、デモンがいるど、ほんとうにベリナス様がおっしゃったとおりだど」などと拙く言葉を吐く。「やっぱりおでが来てよかったんだど」などとも言った。短い腕を組み、大きく頷き、なんだか得意げな表情――。
オミが無言で飛び立った。
「いろいろ学んだし、さまざま悟ったよ。面白いな、この国は。コロンビーヌががまず面白い」
「コロンビーヌは特別なんだど。だから殺せとのお達しなんだど」
「
「それは時代が決めるんだど」
「時代、か。阿呆なくせに知ったふうな口を利く」
「そうだど。おでは阿呆なんだど。だけど、ベリナス様は賢いんだど」
やれやれ。
デモンは顔を左右に振った。
「で、どうする? やるかね? わたしと」
「やるんだど。だけど安心していいんだど。おでが一人で相手をするんだど」
「その判断は致命傷になる」
「騎士道は重んじねばなんだど」
「ただのデブごときがなんとも偉そうなことを」デモンは右手で前髪を掻き上げつつ、笑った。「今からでもいいぞ。退いたほうがいい」
おでは負けないんだど。
強いんだど。
醜悪ながらも虚勢をはるあたりは微笑ましい。
「魔法は使えないんだど。でも、女がおでに腕力で勝てるわけはないんだど」
「腕力だけが勝ち負けの要素ではないと考えるが、まあいい。かかってこい」
行くんだど!
そんな雄叫びを上げながら巨大な手斧を振りかぶりつつ、アルベオが突っ込んできた。デブのわりに動きは速い。しかし、あくまでもデブのわりにはというだけだ。
頭上から振り下ろされた手斧を、抜き払った刀で鮮やかに遮ってやった。足元がずごんと凹んだ。それでも受けきった。だからアルベオは目をまんまるにした。驚くまま、「まさか」とでも言いたげだ。しかしこれが事実だ。手斧を弾き飛ばしてやると、怯えたようなさまを、アルベオは見せた。それからすぐに、なにやら納得したような、穏やかな表情を浮かべた。「おでの負けなんだな」と笑んだアルベオの首を、ジャンプ一番、刈り取ってやった。地に転がったアルベオはゆっくりと瞬きをし、喉やら声帯やらの欠損を無視する格好で「もっと生きてみたかったんだど」などとむなしいことを言った。ゆっくり目を閉じる。その大きな頭の上に下り立ったのはオミ。「馬鹿だなぁ馬鹿だなぁ」とでも言いたげに、「カァカァ」鳴いた。
「さあ、誰から殺されたい?」
デモンが兵どもにそう訊ねると、みながみな、身構えた。どうやら、やる気みたいだ。勇気のある連中らしいと知る。馬鹿どもだなともあわせて知る。