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16-5.

*****


 待ち合わせの約束のとおり、九時半に警察署を訪れた。木造りの一階で待っていると、今日もポニーテール姿のベリーが現れたわけだが、彼女は浮かない顔をしており、そばまで近づいてくると力なく、前に倒れ込むようにしてデモンに抱きついてきたのだった。



*****


 近所のカフェへと連れ出した――。


「直属の上司が死体で見つかったんです……」


 弱々しい声でそう聞かされたデモンは、カフェオレをぐいと飲んだ。


「ただの上司か?」

「はい。ただの上司です。でも、娘のようにかわいがってくださいました」

「一般的に、それはただの上司とは言わんな」

「そのとおりです。優しい優しい上司でした」


 また、カフェオレを一口――。


「他殺なんだな? だとしたら、奴さんらの仕業である可能性が低くないわけだが」

「ですよね」ぐしゅりと鼻をすすった、ベリー。「もう動くな。私への、そんなメッセージなんだと思います。でも、せめてリオネスだけでも……」

「その考えは幾度となく聞いた。そして捕まえたところで、すぐに娑婆に戻されるだろうとも言った」

「でもやっぱり、ここだって法治国家なんですよ?」

「どうにもならないこととは、ままあるものだ。それでもやるというのであれば、付き合ってやらんこともないがな」


 デモンが肩をすくめてみせると、訴えかけるような涙目を、ベリーは向けてきた。


「おまえにその覚悟があるのなら、これからリオネスに会いにいこう」


 ベリーは目を伏せ、考えるようなところを見せたのち――。


「何があっても、後悔しません」


 強い目を浴び、だからデモンは首を大きく縦に振った。


 我ながらなんと面倒見の良いことだろうと彼女は思う――。



*****


 リオネスは高層アパートの最上階に住んでいるとのことで、それはあたりにあってはあたりまえの情報であるらしかった。


 アポなしでの訪問である。しかし、手伝いの老婆を通して、リオネスはデモンとベリーを快く迎え入れてくれた。「おぼっちゃまはお優しいんです」と微笑むのだから、老婆にとってリオネスは悪いニンゲンではないのだろう。


 晴れの日の強い日差し。プールサイド。リオネスはスカイブルーのTシャツに薄茶の短パンといった具合のラフな恰好で白いビーチチェアの上にいた。


「まったく、いいご身分だな」デモンは鼻で笑ってやった。

「すごく暑い」にこりと笑んだ、リオネス。「部屋で話しましょうか?」

「ここでかまいません」とはベリーの声――急いているような色まではない。


 リオネスは仰向けのまま、今度は一転、強い調子で「まだ俺を追いかけたいのか?」と口にした。「親父からの警告があったはずだ」と続けた。対してベリーは、「せめてあなただけでもなんとかしないと、ミサキが浮かばれないんです」と振り絞るようにして言った。くははと嘲笑したのはリオネスである。


「警察が俺を疑うのはわかる。確かに俺には当時のアリバイがない。現場近くでの目撃情報があったのも事実だろうさ」

「疑っているのではなく、私は確信しています。だって、ミサキのことなんですから」

「ベリー刑事はまだ全然若いのにとても優秀なようだ。だが、誰かを悪だと決めつけて事にかかるのは良くない」

「どういうことですか?」

「そこにある理由について、どうしてもっと考えないのかということさ」

「理由?」


 デモンは右手をぱたぱたと動かし、頬に風を送る。

 今日はほんとうに暑苦しい。


「たとえばミサキが浮気をして、それが許せなかったから、俺は彼女を殺した――とでも、考えていないか?」

「違うんですか?」

「だったら訊くが、ベリーさん、あんたはミサキから俺のことについて、ネガティブなことを聞かされたことがあったのか?」

「それは……」

「ないだろう? なぜか――当然、俺が愛されていたからだ」


 その可能性を考慮していなかったわけではないのだろう。

 だから、何も言えなくなり、ベリーは押し黙ったのだ。


「明かそう。ミサキはな、孕んだんだよ、俺の子を」


 そんな発言があり、デモンはベリーのことを横目で見た。

 ベリーは目を見開いていた。


「もちろん、それは彼女にとって喜ばしいことだった。俺は生めと言った。世話をしてやると言った。大切にしようとも言った。だが、ミサキには気に入らないことがあったらしい」

「それは」

「ああ、そうだ。ベリーは俺のことを、とにかく一人占めにしたかった」

「悪いことですか?」

「そうは言わない。だが、面倒なことではある」

「だから、殺した?」


 リオネスは皮肉に顔を歪め、それから肩をすくめてみせた。 


「俺はミサキを愛していた。ただ、同様の対象が、他にもいたということなんだよ。わかるだろう? ベリーさん」

「わかりました……」沈んだ声の、ベリー。

「諦めてもらえると嬉しい」とのリオネスの声は涼しげだった。


 その段にあって、ベリーは顔を上げ、強い目をした。「あなたはやはり逮捕します、リオネス・ユズリハ」と力強く告げた。


「ほんとうに、そう?」

「はい」

「それは残念だ」


 リオネスは「残念だ」ともう一度言うと、あっはっはと大きな声で笑った。笑ったうえでビーチチェアから立ち上がった。


「ここで引けば見逃してやると言っているのに、ああ、ほんとうに、あなたは馬鹿だなぁ、ベリーさん」


 戦くようにして後退するベリー。彼女とリオネスのあいだに入り、デモンはにぃと笑んだ。おあつらえ向きの展開だな――と内心、ほくそ笑んだ。


「おまえは邪魔者については全部屠ってきたんだろう。好感が持てる行動だ。しかし、今回はわたしが関わってしまった。運がなかったと諦めるんだな」

「きょとんとなりそうにもなるなあ、デモンさん」リオネスは言う。「逆恨みに近い感情を抱かれたから、やむなく、俺はミサキを殺した。わかるだろう? それ以上でもそれ以下でもないんだよ」

「魔法を使ってみろ。打撃の魔法とやらを」

「あなたには、それだけの価値があるのかな?」


 クズめ。そう罵って、デモンは小さく顎をしゃくった。しゃくってから、揃えた右手の人差し指と中指を顔の前で左から右へと振った。指先で相手の首を刎ねるようなアクションだ。その斬撃の魔法が空振りした。トンボをきって後方へと退くと、リオネスはプールの水の上に下り立った。それ自体は珍しい現象ではないが、大いに余裕が感じられるその振る舞いには「はなまる」をくれてやってもいい――との判断に至った。


 黄金色に輝く無数の刃――ガラスの破片のようなそれを、リオネスはノーモーションから放ってきた。当然、防御する。デモンに対してだけではなくベリーをも含めた攻撃だったので、まとめて遮ってやる必要があった――それだけだ。なんということはない。


「腰の刀を抜いたほうがいい」

「不敵に笑うな、気色悪い。おまえに刀は必要ない」

「俺が弱者だとするなら、あなたはどれだけ強いのかという話だよ」

「で、打撃の魔法は? 言っておくが、それはそれほど珍しい技ではないぞ」

「そうかな?」

「そうなんだよ」


 わたしに刀を抜かせるのであれば、認めてやってもいい。デモンはそう言って、両手をそれぞれ両肩の横で広げた。「ベリー、下がっていろ」と告げるとにぃと顔を歪め、それからおふざけで「がぁおっ」と吠えた。――水面から高く高く、飛び跳ねたリオネス。彼は無言で宙を蹴り、突進してきた。ぼかぼかと叩きつけるような打撃の魔法を使えば牽制くらいにはなったと思うのだが、そんな真似はせずに右手で殴りかからんと、言ってみれば、意図的に違いない、拳による物理的な一撃のみを真正直に突きつけてきた。戦技に長けている節はあり、だから少しばかり相手をしてやることにする。突進を左方によけ、返す刀で向かってくるところに斬撃の魔法を浴びせんとする。その斬撃が、打撃の魔法によって無効化された。一々、上下から挟み込むようにして押し潰されたのである。かろうじて視認できる程度でしかない不可視に近い刃の一撃を次々と迎撃された格好だ。


「俺を殺したところで、失われたヒトや時は戻ってこない」

「大げさすぎる物言いに笑いたくなる」


 顔の左右に気配を感じ、だからデモンは身を引いた。安直な現象はないと踏んだ直後に目のまえでバンッと鈍い音が鳴り、それは自らの顔面を挟み潰そうとした打撃の魔法だと知る。打撃はなおもボクサーのパンチのようにだんだんだんっと踏み込んでくる、見えない打撃だ、一発食らえば致命傷だろう、それくらいの威力はべったりと肌で感じる、頬をぶたれたらおしまいだ。一つ二つとバク転し、さらに三つ四つとくり返し、きりのいいところで地を蹴って、リオネスに飛びかかる。右手には黒色のオーラをまとっている、デモン。相手にとって不足はなかったが、あいにくと、デモン・イーブルに敵はない。黒の右手で、白い首を刈り取ってやった。少々、驚くべきことに、プールサイドに落ちたリオネスの首はきざったらしく「くははははっ」と笑ってみせた。ゆっくりとまばたきをし、「悪い人生じゃあなかったよ」と言って、自らの生を楽しげに誇ってみせた。だからなんだか気に食わない。それでも死んだのであれば、それなら、まあ、べつに――。


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