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16-4.

*****


 “ダスト”と言うとその旋律は小奇麗がすぎるので、あえて“ゴミ”と表現する。

 ゴミ掃除を敢行するにあたっては、いつ何時も、やぶさかではない――。


 さて、デモンにとっての出会いの場はステーキレストランだった。話をしてもらい――話を聞くにはふさわしくないのかもしれないが――なんにせよベリーがアポをとった挙句が当該――この場所なのだからテキトーなツッコミすら入れようがない。ただ、「どれでも好きなものを注文してくれてかまわない」的なことをベリーもリオネスも述べたのだ。だったらとことん食らってやろうではないか。牛肉はすばらしい。屠殺なる言葉、行為は卑しく厳しい響きを伴っているものの、残酷だろうとそこには事実があるからこそ――食らえるものはありがたく食らおうと考えているデモンである。子どもの頃なら「牛さん、ありがとう」などと礼を言っている――もちろん、嘘だ。そんな可愛げは生まれたときから有していない。


リオネスは切り分けたステーキを一口食べると、少年みたいにニコニコ笑った。まだ若い。二十半ばの程度だろう。爽やかにしか見えない。こんな男がヒトを――恋人を殺したのか。にわかには信じられない――だが、ヒトは見かけによらずとはよく言う話であり、だから誰を見るにあたっても色眼鏡は使うなというのが教訓だし当然だ。


「リオネスとやら、尊い持論を語ってやろう。物を気持ち良く腹におさめる男に悪い奴はいない。違わんと思うが、どうかね?」

「それは嬉しいなぁ」のんびりとした調子で言って、リオネスは手を止めた。ナイフの先端もフォークのそれも白い皿の隅に置いた。


「リオネス」デモンはまさにリオネスに呼びかけた。「率直に言う。ミサキ・ファーウェイを殺したのはおまえさんなんだろう? 情報が足りているとはとてもじゃないが言えないが、わたしはわたしの感性を疑ってはいないぞ」


 俺が彼女を殺したとしたところで、それがなんでしょう?


 ほんの少し、驚いた。

 リオネスの言い方があまりにあっさりしているから――。


「どういうことなのか、現時点では図りかねるが、あるいはおまえは馬鹿なのではないのかね?」

「言ってくれるなぁ。俺よりずっと年下のくせに」

「無礼は承知の上だ」

「だからといって、だったらそれがなんです?」

「どうあれ色恋の果ての殺人など、みっともないとは思わんかね?」


 二つ目の新しいステーキが運ばれてきたわけだ。リオネスはまたがつがつとがっつくようにして食べるわけだ。がっついたのち、ナプキンで口元の汚れを静かに消す様には育ちの良さが窺えた。


「俺をしょっ引くのは無理だと思います。たとえば、しょっぴかれるのを望んでいても」

「らしいな。実際、事件があったというのに、世のメディアはとにかく騒がない。情報管制が機能しているとしか思えない」

「しかるべき反応だと思いますよ? ただ――」

「ただ?」

「俺がミサキを愛していたのは事実です。たとえ、それなりだったとしても」

「具体的にどう愛していたのかと訊きたいが?」

「それ、あまり意味のない馬鹿馬鹿しい主張だと思いますよ?」

「わかった。もういい」


 ベリーからの明確な横槍は、結局なかった。だが、小さく切ったステーキを口にすると、彼女は右の涙から一つ、涙をこぼした。また、か。ほんとうに泣き虫だ。肉を食しながらも涙するのか、なんなんだいったい、この馬鹿女は――。



*****


 相変わらずのステーキハウス。リオネスが去り、その席に、ベリーはついた、向かい合う格好――。デモンは「よくわからんな」と言った。「本件についてユズリハ親子が関与しているのは火を見るよりも明らかだ。なのに、誰もその点を声高に謳わない、あるいは謳えないでいる。それはこの国の本質、仕組みを、象徴的かつ如実かつ貪欲に表しているのだろうな」と続けた。


「あの、デモンさん」ベリーが言いにくそうに口を開いたのである。それから「言いにくいんですけれど」と実際に、打ち明けづらいふうに言葉に連続性を持たせた。


「なにかね、ベリー嬢」

「アレハンドロ氏は多額の賄賂をもらっている――そんな噂があるんです」

「多額の賄賂?」

「製薬会社からのものです」


 多額の賄賂?

 その噂?

 製薬会社からのもの?


 なんだかんだ言っても、「ああ、なるほど」と、デモンはすぐに結論に至った。「つまるところ、アレハンドロ殿は甘い蜜を吸っていて、その出所もすでにわかっているということだな?」と訊くに至った。「はい」とベリーは深く頷いてみせた。「その話は、じつは誰のあいだでも有名だったりします。ですけど、相手はなにせ強力な存在で……」というのも理解の範疇だ。


 そうは言っても、情けない話だと思わざるを得ない。


「アレハンドロについては、それこそ別件でもなんでもいいんです。一定以上、拘束することさえできれば、私は勝ちだと考えています。仮に無罪放免とされたとしてもダメージを与えることはできる。権力に物申すことは彼らの手並みと経験値から言って現実的ではありませんが、それでも成熟した国家だからこそ、一矢報いさえすれば、一度向けられた疑いの目を晴らすことは難しいはずです。イメージの低下を覆すにあたっては難儀するに違いありません」

「アレハンドロの奴は年相応に器用で老獪そうに見えた。そうである以上、おまえが言ったとおり、強く跳ね返すこともできれば、ひらひらやりすごす力もあるんだろうさ。そうである以上、ベリー、おまえが敵う相手だとはどうしたって思えんな。せめて、先輩に代わってもらったほうがいいんじゃないのかね?」


 するとベリーは力強い声で、「そんなの嫌です」と言った。「嫌です、ミサキは私にとって大切な友だちでした。今回の一件に決着をつけるのは、私以外にいません」とも言い切った。


「だったらだったでいいんだが、だったらだったでどうするね? 野蛮な国であれば野蛮な手段に出るのも良しとできるが、ここはそうでもないとつくづく聞かされたつもりだ」


 アレハンドロは真っ黒なんですよ? ベリーのその言い分は嫌というくらいによくわかった。そうなのだろう予想、想像するのだってたやすい。


「ベリーはどの線から攻めるのが、正しいと思うのかね?」

「製薬会社を洗ってみるのはナシでしょうか? それって取って付けたような理由でしょうか?」

「そうは言わんさ。遠回りに感じられて、意外と的を射るのかもしれん」

「じつはすでに幾度も接触はしていて」

「そうだろうと思ったよ」


 そのあたりが重要であり妙味のような切り口だと思うんですよとベリーは小難しいことを言い、微笑んだ。それから目の前の――もう冷めたかもしれないステーキをぱくぱく食べた。泣き虫なのは知れたが前向きな食いしん坊でもあるらしいとも知った。



*****


 くだんの製薬会社。ベリーが担当者の名を告げると、受付の女は「少々お待ちくださいませ」と応え、奥の通路へと消えた。「今さらだが、会ってもらえるのかね?」とデモンは訊き、するとベリーから「大丈夫です。むしろ断ると変な話になりますよ」との回答があった。なるほど、そのとおりだと納得した。自らにやましい部分がないのであれば会ってくれるし、そうでなくとも、たとえなんらかの嫌疑がかけられていたとしても、だからこそ、迎えなければならないだろう、迎え撃つとも言うか――。


 現れたのは白衣に丸眼鏡の老人だった。頭髪は白く、額は著しく後退している。とことんまで弱々しい物腰に映ったから、なんだか毒気を抜かれた気分に陥った。



*****


 長方形の白い机はピカピカだった。椅子も真白で清潔感が窺えた。だからといってどうということはないのだが、接客するにあたっては適当な一室と言える。まったくもって、素晴らしい。椅子に座る前に、「名刺は必要かな?」と訊ねられた。はっきりとした発音ではなかった。吃ったような頼りない口振りだった。どうやら気の小さな人物らしい。堂々と「要らんよ」と答えたデモンである。いきなりのタメ口が社会人然としていなかったからだろう、老人はむっとしたような表情を浮かべた。しかしそんなこと気にも留めずに、デモンは椅子に腰を下ろした。ベリーが左隣に座る。老人も向かいの席についたのだった――なおも何か文句を言いたそうだが、それには至らなかった。やはり見た目のとおり、小心者なのだろう。


「ギャバン・ラッセルさん、お時間を作っていただき、ありがとうございます」はきはき言ったのはベリーだ。「早速、お伺いしたいのですが」

「きみはいつもそう言うね。そして、いつも同じことを訊いてくる」

「お言葉ですが、ちゃんと答えていただけないから、何度だって訊くんです」

「偉そうなことを言うんだな」むっとした顔をくり返す、ラッセル。「しかし、早速話を聞かせてもらいたいという思いに嘘はない。他者にどう見えているかはわからないが、事実として、私は暇ではないんだよ」


 ベリーが「仮説を立ててみました」と口を利いた。「仮説?」と問うたのは無論、ラッセルだ。ベリーは険しい顔をしつつもよほど自信があるのか、「ラッセルさん」と強く呼びかけた。気圧されたように、「な、なんだね」とどもったラッセルそのヒトである。


「最近――ここ一年以内のことです。御社『キュリオス・メディカル』から、とある病に関する新薬が発表されました。とある病とは、もちろん癌のことです」


 ラッセルにおかしなところはない。

 ただ少しだけ、皮肉めいたツラをこしらえたくらいには見えた。


「特効薬だと自負しているよ」

「それでいいんですか? 重い癌が完治しただなんて話を、私はいまだかつて、聞いたことがありませんけれど」

「十分な臨床試験を完了している」

「ほんとうですか?」

「嘘を言ってどうするんだ。嘘ではないからこそ、薬は認められたんだぞ。何が言いたいかはわかるだろう? 私の行動は立場に則ったあたりまえのことでしかないのだよ」

「私はそのあたりまえに待ったをかけたいんです」ベリーの口調は強い。「本件はとても入り組んでいる……そうに違いないというのが、私の本音です」


 力感あふれることを言ってのけたくせに、ラッセルはソッコーで丸眼鏡の奥の目を弱々しげに左方に逃がし、それから「きみは何がしたいのかね、ベリー・レノさん」と問うた。


「私が望むのは、ミサキ・ファーウェイを殺害した犯人の検挙です」

「それだけならここまで手を広げる必要はないはずだ。それともいっそのこと、あるいは死なばもろともとでも言いたいのかね?」

「ですからそうは言いません。ですが私はユズリハを許せないとも考えています」

「それはわかったという話だ。その程度の思いしかないのなら、老婆心ながら、この件からは手を引くべきだと忠告しておく」


 ベリーはテーブルに両腕をのせ、前のめりの姿勢でラッセルを見つめた。するとラッセルは身構えるようにして――さらに弱気そうに顎を引いてみせた。


「くり返します。リオネス・ユズリハがミサキを殺したのは間違いないと踏んでいます。その件は近々、解決するに違いないと信じています」

「だから、だったらその旨のみで完結すればよいのではないのか?」

「私は刑事です」

「悪は根絶したいと?」

「悪だと認めるんですね?」

「そ、そうは言ってない」

「なんだっていいんです。なんとでもなると楽観視している部分もあります」



*****


 まだ新しいと見えるアパート――ベリー・レノの一室に招かれた。「テキトーなところに座ってください」と言われたのだが、「テキトー」にふさわしいものは一脚しかなく、それは値が張るであろうピカピカの椅子だったので、デモンはそれなりに上機嫌になった。


「焼酎があります。どうしますかぁ?」

「湯で割れ。多少、身体が冷えてきた」

「今日も暑いです。気のせいでしょう」

「だろうな、ああ、わたしもそう思う」


 細長いグラスを、ベリーが手渡してくれた。一口飲む。安っぽい味だ。だからこそたまらない。お湯割りに使う焼酎なんて、チープなものでちょうどいい。


「話をまとめたいです」テーブルの向こうの席にベリーはついた。「ユズリハ、それにギャバン・ラッセルがあまり上等でないのは、もうご存じですよね?」


 デモンはお湯割りで喉を濡らすと、「確かに、誰一人として大した男とは思えんな」と言い、はっはと笑い飛ばした。


「リオネスの殺人に、アレハンドロとラッセルの癒着。それらは事実に違いないのに、この国においては、前者はともかく後者については闇に葬られかねないんです。おかしなことだと、また恐ろしいことだと思われませんか?」

「そういうことも、ままあるだろう」お湯割りがうまい。

「そうでしょうか」困ったような顔をし、ベリーもすすった。


 デモンはつまみをかじった、イカの燻製だ、チープの二乗――久しぶりに食べたような気がする。


「リオネスをしょっぴこうとすると、やはりアレハンドロは邪魔するのかね」

「しますよ。あってはならない、お家騒動みたいなものなんですよ? ――っていうのは建前として」

「じつはそうでもないと?」

「はい。いざとなれば、アレハンドロは息子を切り捨てると思います」

「だとしたら、賢く聡いと言える」

「デモンさん、私は先の件まで見据えるべきなんでしょうか」

「先の件とは?」


 言うまでもありません、アレハンドロとラッセルの汚職です。

 やっぱりそういうことらしい。


「好きにしたらいい。――が、自身が大事なら踏み込みすぎないほうがいい。恐らくだが、今の時点で、すでに大胆にも危険地帯へと踏み込んでいるぞ」

「それは、わかっているんですけれど……」


 目線を天井にやったデモン。

 とろんとした瞳をしているのが、自分でもわかる。


「ラッセルを――なんだ? 中央薬事審議会の理事長だったか? ――へと押し上げたのはアレハンドロだ。その恩に報いるかたちで、ラッセルはせっせと賄賂を続けている。薬の認可についても怪しいところがあるのかもしれない。そのへんを踏まえた大きな癒着のカタマリがあるのかもしれない。きっとそうなんだろう。根深いであろう仕組みだ。破壊するにはパワーが要る、途方もないパワーが」

「心得ています。私にはきっと、ううん、絶対に荷が重い。だけど、誰かがやらないと、とも思うんです。いけませんか?」


 その高尚な志はたたえてやってもいい。しかし、身の程をわきまえていないなとも考える。これは重要な問題だ。だからこそ、「どうしたって、リオネスをしょっぴくにとどめたほうがいいだろうという結論に落ち着くよ」と意見した。しおらしい様子で「そうですよね」と応えたベリーであるが、到底、納得がいった顔ではない。


「ああいう輩は、あちこちにめっぽう顔が利くものだ」

「ラッセルも、それにアレハンドロもですか?」

「ああ。あまり踏み込まんほうがいいというのは、脅しでもなんでもない」


 たちまち、暗い顔になったベリー。

 俯くと、深いため息をついた。


「どうするのが正しいんでしょうか……」

「だから、それをアレハンドロが許容するかせんかの話だ」

「具体的に、デモンさんはどう思われますか?」

「少なくとも、おまえのことは捨て置かんだろう。向こうさんからしても、些細な種だからこそ潰しておきたいのさ。なんらかの報復措置を講じるはずだ。今後に対して釘を刺すという意味もある」


 怖いですね。

 ――と、苦笑のような表情を浮かべた、ベリー。

 しかし、「乗りかかった船ですから」との言葉は力強かった。


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