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夕方。平たい屋根の平屋――黒を基調とした立派な木造の屋敷だった。ジャスティンは幸せ者だ。いい家に身を寄せているらしいから。
客間にて待っていると、そのうち紫髪が長い人物が現れた。にこりと笑む、「遅くなって申し訳ない」といっそう目を細くした。瞳の色も紫だ。衣装も紫色の、光沢のあるぬめりとした質感のロング丈のワンピースで、下着が覗かんばかりの大胆なスリット――まったく、刺激が強すぎる女である。痴女だと罵ってやってもいい。
「ノーラ様、こちらが昨日、お話しした女性です。名前は――」
デモンは椅子から立ち上がりつつ自ら名乗り、「以後、お見知りおきを」と言った。テーブルを挟んだ向かいにノーラがいる。ノーラと握手をかわす。見た目も感触も麗しい右手だ。この手だけでもう掛け値なしの価値がある。どうやらレアな人物であることに間違いはないようだ。
テーブルを前にして、みなが席についた。
「ノーラでかまわないか?」
「横柄だな。かまわないが」
「だったらノーラ、わたしはジャスティンから、あなたが小学校の教師だと聞かされたんだが」
「何か疑問でも?」笑みをこしらえ、ノーラが言った。
デモンはすでにノーラからただならぬ雰囲気、空気を感じ取っている。そんじょそこらの女ではない。だったらいったい何者なのか――。
「ノーラ――あなたは恐らく軍人だ。わたしの経験がそう言っている」
ジャスティンが「えっ」と驚いたふうに発した。ノーラは右のこめかみを右手の人差し指でぽりぽり掻き、それからなんの悪びれる様子もなく、「だったらなんだ?」と素直に認めたのだった。あらためて、デモンは自らの勘に感心したくらいだ。
「教師と兵隊。どうして兼任しているのかはどうでもいい。ただ、どうして兵隊なのか、その理由は訊ねてみてもいいところだ」
「それは重要なのか?」
「興味本位であることは間違いないが、ノーラ・ベルクというニンゲンが――女が、世の中においてどういった役割を担っているのか、そのへんは気になるというものだ」
ノーラはおどけるようにして肩をすくめてみせた。「私が何者なのか、深く知りたいと?」と訊いてきた。「まあ、打ち明けることについてはやぶさかではないな」と続けた。「えっ」とびっくりしたような声を上げたのはジャスティンだ。どうやらノーラは自分語りをしない人物らしいと知る。奥ゆかしいというか、自らを安売りすることは決してしないらしい。
「私は一義的には小学校の教師で間違いがない」
「二義的なところを訊いている」
「愚か者は罰しなければならない」
「なんの話だ?」
「私は政府の、軍の犬だという話だ」ノーラは挑発的に顎を持ち上げた。「その分、収入は多い。どれもこれも価値ある仕事というわけだ」
なんとも俗物的な発想である。しかし、そこに真意はあるのだろうか。ノーラはどうにも卓越しているように見え、ゆえにヒトの世にあることなどは超越しているようにすら映る。ただただひたすらにダラダラと生き様を晒すニンゲンは少なくないが、ノーラに関してはその限りであるようには、到底、思えない。何かに面白味を見い出しているはずだ。
「ジャスティン、おまえは私――ノーラ・ベルクの正体を知りたいのか?」
「正体、ですか?」ジャスティンは戸惑いを隠せないような表情を浮かべる。「それはえっと、確かな思いとして、知りたいですけれど……」
「しかし、私がそれを話してしまうと、すべてが瓦解してしまうように思えるからな」
「すべてというのは?」
「おまえを含めた人間関係だよ」
するとジャスティンは不安げな顔をし。
「ノーラ様は、なんだって話してくださっているように思っていました」
「甘っちょろいな、第二王子。ただでさえ私は女なんだ。中まで内側まで見透かせているなんて思わないことね」
合点がいかないような、難しい表情を浮かべた、ジャスティン。
実際、なんらか悔しいのかもしれない。
ふと、ノーラが「私は今、楽しくないんだけど」などと言った。ジャスティンは「えっ」と発し、デモンは腕組みをして首を左に倒した。
ノーラは深く笑んだ。
「ベンとマイケルが、ジャスティン、あなたと夕食を共にしたいと話していたわ。すぐの話よ。場所は聞かされたから、今晩、そこに向かいなさい」
ベン氏とマイケル氏はノーラと同じ部隊なのだと、ジャスティンから聞かされた。
「お二人は僕に、なんの御用なんでしょうか」
「さあ。でも、特定のニンゲンとコミュニケーションをとりたくなる瞬間は、誰にだってあるわ」
「わかりました」
店の住所と名を聞いた。
大衆的な飲み屋らしい。
「デモンさんはどうされますか? ――と、お訊ねしたいところです」
「それはだな、ジャスティン、他に予定もないからご一緒させてもらうのさ」
「ベンさんもマイケルさんもいいヒトで、揃ってとても面白いヒトでもありますけれど」
「期待する。何がきっかけで盛り上がるかはわからんが」
くだんの飲み屋の前を待ち合わせ場所として、ジャスティンとはいったん別れることにした。ジャスティンは屋敷の、玄関からアプローチを歩き、門の前で見送ってくれた。「なんだか嫌な予感がします」と言うと、ジャスティンは苦笑のような表情を浮かべ、困ったなぁとでも言わんばかりに眉根を寄せた。嫌な予感。現状、まったく見当のつかない物言いだが、当たったら当たったで面白いんだがなとデモンは思った。アクシデントは万々歳だ。