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ゴンゴ修道院。石製の、大きな白い建物だった。天井の高い平屋。青と黄を基調としたステンドグラス――白い翼を背負ったなんらかの天使、あるいはド派手な神が見下ろしてくる。くそしょうもないダルダルの漫然さに高慢さ――横柄なことだ。まあ、天使にしろ神にしろ、連中の態度の相場はそんなものだと有史以来より決まっているのだが。
広い空間の最も奥まった位置に掲げられているかさばる十字架の前で対応してくれたのは、白髪に黒い瞳、痩せ型の初老――だぶだぶとしただらしのない白のファッションからして、いかにも神父だ。彼の隣にはグレーの長髪にグレーの瞳を持つまだ若いであろう女性。神父はアレルヤといい、これまた白い修道服の女性はコフィ――シスター・コフィというらしい。女性――胸はそれなり、尻はでかいと見る。多様性の時代にあってもあえて安産型と表現しようと思う。どうあれケツがデカいのは悪いことではないだろう。
「暴力教会と耳にした」毅然としたニュアンスで、ギギ・ピアソラ卿が言う。「武器の密売に奴隷の温床――他にも数々の
「私は彼らについて、呪われた未来しか想像できないのだよ」おっとりとした口調のアレルヤ神父。
「それは奴隷とした少年少女のことかしら?」
「養えないと預けられたケースが多いのだ」
「そうだとしてもやってくれたわね。この広い世の中には自身に否定的な女くらい、いつの時間にも存在するのよ」
ただなんとなぁく感想を述べるつもりで、デモンは「つまらん話だ」と唐突に割り込み、はっきりばっさり切った。「需要があるから供給が成り立つ」と続けた。「アレルヤ神父の行いは経済的な観点で見た場合、アリだと言える」とさらに続けた。
「大した金にはならんのだがね」というのが、アレルヤ神父の答え。「得られるのは微々たる報酬だ。『子』を『市』に出したところで、相場は安いと決まっているのだよ」
「子らにとって、まさに貴様は父であるわけだ」デモンは言う。「どうあれまだ子はいるんだろう? 解放したほうが身のためだ。ご覧のとおり、ピアソラ卿はいたくおかんむりだ」
「すべて殺した」
「は?」
「犯して殺した、少女も少年も。だからもうない、もう、いない」
なるほど。とんでもない歪んだ性癖と歪んだ価値観の持ち主らしい。きりのいいところで商売をたたんで逃げを撃とうとしていた――そういうことなのだろう。
無言で、シスター・コフィが近づいてきた。顔立ち、身体つき、そのバランスが神がかり的で、ゆえに恐ろしいほどの美貌と言える。誰より美に優れたデモン・イーブルが言うのだから、間違いない。シスター・コフィが目を瞳を、見つめてきた。途端のことだ。いっさいの身動きがとれなくなった。見えない鎖で両手両足を拘束されたみたいに、ばんざいをしたような格好で磔にされた。なんらかの魔法だろう――が、これは初めて目にする、体験する。ほんとうに動けない。動けない動けない動けない。「あいうえお、あいうえお」――と口を動かすことはできた。
アレルヤ神父が向こう――奥へと続くらしい廊下へと消える。足取りはゆっくりだから、逃げ隠れするつもりはないのだろうと知る。とんずらこかれる心配はないということだ。むしろ「かかってきなさい」なる強気の姿勢だとすら感じられる。
「ギギはアレルヤ神父をなんとかしろ。こちらはこちらで対処する」
「えらく強力に、また色っぽく拘束されてしまっているようだけれど?」
「なんとかすると言った」
「わかったわ。じゃあね」
ギギはすたすた早足で歩いてアレルヤを追った。
シスター・コフィが近づいてきた。デモンの目の前で「あなたはとても美しい」などと言った。そんなのあたりまえだから「当然だ」と言い切ってやった、明朗快活に――。
「身じろぎ一つ、できないでしょう?」
「そうだな。こんな屈辱はそうそうない。興味深い経験と言える。ああ、そうだった。事実と真実の違いについて見識は?」
「なんの話をしているの?」
「ああ、言いすぎた。気にしないでくれ、はっはっは」
コフィがデモンの腹部に触れてきた。右手を使って愛おしそうに撫でるのは――ちょうど子宮のあたりだ。「あなたは美しくて、美しくて、とても綺麗な赤ん坊を孕むのでしょう。生む苦しみ、痛み、得られるそのすべてが、ほんとうに羨ましい」などと実際、羨むように言う。
非常に妙ちくりんなことをのたまう女だと感じた次第だが、布越しでもわかる冷たい手に触れられているうちに、一つの考えが浮かんだ。ああ、そうか。こいつは子を生めない身体なのだろう。特に理由もなく、そんなふうに閃いた。その旨、口にすると、コフィの顔色が変わった。真っ青になったかと思うと続いて怒りに目尻を吊り上げ、デモンの左の頬を右手でぶった。デモンは「ふははははははっ!」と不敵に高らかに笑った。「図星か?」となおも笑ってやると、今度は右の頬をぶたれた。
「醜悪なツラだ、そして感情的なことだ、シスター・コフィ。まったく、底が浅いな」
コフィはキリキリキリキリとひどい歯ぎしりをし、それから目尻を歪めるように下げ、これ以上ないくらいの卑屈そうな笑みを顔に貼りつけた。
「美しい、美しい美しい、あなたは――あなたを殺せば、私も子を授かることができるかもしれない。ええ、きっとそう。私にもまだ、母という美しさを得る権利は残されていて――」
まったく、支離滅裂なことを滅茶苦茶に言う。
「おまえはおまえ自身をきちんと見つめ直したほうがいい」
「何を言うの? 言うのですか? あなたは頭がおかしいです――おかしい」
一歩二歩、さらには三歩と退いた、コフィ。そんな彼女にプレゼント――デモンはコフィのすぐ脇に綺麗な木枠の姿見を出現させた。想像したことを具現化できるのが、そも魔法。これくらい、お茶の子さいさいだ。コフィは姿見を見つめる。自らの美しい容姿を凝視する。そのうち、震え出した。「きゃあああぁぁっっっ!!」と狂ったような悲鳴を上げながら両手で頭を抱え、鏡の中の自分――自らの額に頭突きをかまし始めた。いいな。ほんとうに狂気じみている。愛おしい存在だ。もはやそう言うより他にない。静かに静かに、だけどこらえることができない笑い声をデモンは上げる。
集中力が散漫になったからか、デモンの拘束が解かれた。ついには血の涙を流しているコフィ。どこから取り出したのかわからない――きっと魔法で作り出したのだろう、バールを振りかざし、迫ってくる。バール。じつに直接的かつ直情的な野蛮な武器だ。その病んだ生き様、吐き気がするほど気に入った。「あははははっ!」とデモンは愉快さに笑いを発し――ここは逃げを打つことにした。「殺します殺します殺します殺します殺します」と「殺します」を何度も言い、バールを片手に追ってくる。ほんとうに愉快だ、じつに心地良い。こういう馬鹿に巡り合えるから、旅――流れることはやめられない
「シスター・コフィ、どこまでも追ってこい! 燃料を切らすなよ!!」
「殺します殺します殺します殺します」
バールという原始的な武器を選ぶことには、ほんとうにセンスしか感じられない。できれば生かしてやりたいな、そう思う、哀れなコフィに祝福を。
息遣いも軽快に街中を突っ切り、白い砂浜に出たところで足を止めた。振り返ると、十メートルほど先にコフィの姿。バールを右手に持ち息を切らせているなんてことはない。人形のようだ。決して疲弊しない悪魔の人形――。
「コフィ、少し話をせんかね?」
「殺します殺します殺します」
「話をせんかね?」
「殺します殺します殺します」
「おまえはアレルヤ神父の慰み者なんだろう? おまえの美貌がそうであることを物語っているぞ」
するとコフィは目を見開き、それからありえないくらい小刻みに顔を果ては全身を震わせ――。
「馬鹿なことを言わないでください。私は綺麗なままで、ずっとずっと、綺麗なままで――」
「生まれつき孕めないんだ、なんの憂いもなく、ヤり放題だ。男からすれば、それはもう楽しいことだろうな」
こここここここっ!
こここっ、殺します!!
バール片手に、コフィ。
愚直なその様は潔く、もはや美しいとすら思う。
――だが、もう飽きた。
デモンは右手で腰から抜いた刀で勢いよく向かってきたコフィの首を刎ねた。頭部と上半身の離別。首から下は幾許のあいだびくんびくんと微動し、首から上――目はゆっくりと瞬きをした。それから観念したように、あるいは納得したように瞼を下ろした。
弱いな。
ああ、弱い。
人間的に弱い。
ニンゲンとして弱い。
最近、デモン・イーブルは弱い者いじめばかりしている――。
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後日、ギギ・ピアソラの屋敷に招かれた。アレルヤ神父の死を、デモンは新聞で知った。誰が殺したのかは明らかだが、ギギに疑いがかからないように警察と連携して後処理を施したのは、彼女自身だろう。アレルヤは全身が氷柱に収まったかたちで発見されたらしい。魔法の技量が窺えるというものだが、ギギはギギで全身にやけどを負った。アレルヤ神父もそれなりの――いや、かなりの使い手だったということだ。しょうもない、ちょっとした出来事でしかなかったが、骨太で脂っこい触感に質感――そんな肌触りに満ちた出来事だったなとも考える。ゴンゴなるヒトつの修道院――孤児院、が、消えただけではあるが、狂った神父と悲しいシスターの存在は、その印象深さから、胸に確かな爪痕を残してくれた。
顔の多くにもやけどが目立つギギに、デモンは「災難だったな」と伝えた。ギギは「名誉の負傷よ」と朗らかに笑った。痕は生々しいのだが、それを隠そうともしないあたりに、心と体の強靭さは筋金入りなのだろう。
ガブリエルがトレイを右手に持って部屋に入ってきた。美しい金髪、澄んだ空のような青の瞳、健康的な黒い肌。親に捨てられた哀れな少年ではあるものの、今は笑えるあたり、機嫌良くやっているのだろう。立ち直りが早い点は評価できる。いつまでもぐずぐず病んだところでしょうがないと割り切るだけの強さがあるのだ、結構なことだ。
「デモンさん、また会えて嬉しいです」と、ガブリエルは言った。
「いいからさっさと茶を置け」と、デモンは急かした。
ガブリエルは慌てたようにしてソーサーの上にカップを置いた。いい物なのだろう。今日も紅茶からは良い香りが漂ってくる。
「僕はデモンさんに感謝しています」
「わたしより先に、ギギにそう述べるべきだと考えるが?」
「もう何度も言われたのよ」ギギはそう言い――。「やっぱりね、デモン、あなたも彼の恩人らしいわよ?」
「否定はせんさ。がんばったんだ」
「よく言うわ。豪胆なことね」
「そうとも。なにせわたしはデモン・イーブルだからな」
デモンは軽く胸を張った。おどけたつもりだ。彼女にしては珍しいことである。笑わせてやろうと思ったわけではないが、笑いを誘ってやるのもたまには悪くないだろう。
「デモンさんは何を目的として、旅をされているんですか?」
「それはだな、ガブリエル、あてなどないんだよ」
「えっ、そうなんですか?」
「わたしに敵う存在があるなら出会いたい。ま、その程度だな」
「ストイックなんですね」
「いい言葉を知っているじゃないか」デモンは鼻を鳴らして、皮肉に満ちた顔を歪めた。
ギギ様は僕に居場所をくださいました。
そんなふうに言ったガブリエルに、「将来の夢は?」と訊いてやった。
「騎士になりたいです。ギギ様の片腕になれる騎士に」
立派な志ではないか。
なれるかどうかはともかくとして、目指すことに意義はあるだろう。
デモンはまだ熱い紅茶を飲み干し、席を立った。「結婚したらどうかね?」といきなり二人に告げた。ガブリエルは驚いたような表情を浮かべると続いて顔を真っ赤にし、優しく微笑むギギはまんざらでもないように見えた。
「年齢的に、私とガブだと犯罪だわ。ここは強い法治国家なの、言ったわよね?」
「同意があればいいだろう? というか、ガブ、か」
「ええ、そうよ。ねぇ、ガブ」
「は、はい、ギギ様っ」
「あなたも私も生きている。だから、可能性は無限大よ」
ガブリエルは目を大きくしてフリーズ、それからこくこくと頷くと、トレイを胸に抱いて、「ギギ様、これからもよろしくお願いいたします」と丁寧に頭を下げた。やけどだらけの彼女に「ええ」と微笑みをもらうと、彼は早足で客間を出ていった。見るからに恥ずかしそうな様には好感が持てた。
「わたしはな、ギギ、たまに考えることがあるんだよ」
「難しい話かしら?」
「そうでもない。ただ、ヒトには好き嫌いというものがあって、それをヒトは趣味の一言で片づけてしまいがちだが、そこに美学と生き様を見ることだって、けっして悪いことではないはずだ――と、いうことだ」
「げんなりだわ。やっぱり難解じゃない」
そんなつもりはなかったのだが、事実としてしょうもない話をしてしまったように考えるからそう評価されても仕方がないのかもしれない――そのように思い、腕を組んで肩をすくめてみせたデモンに、ギギはふふと微笑みかけてきた、そこに強く印象づけられたのはきちんとした母性――。