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13-4.

*****


 黒いシルクの寝間着というのは、なかなかない。よって今日も白いそれを着て眠ってやっていたわけだ。寝起きの相場はしょうもなくくだらないと決まっているのだが、デモンはやむなくきちんと目を開けた。ベッドから下り、前屈みになって姿見に顔を近づけ、自らの美貌を確認する。いつものことながら、やはりそこに隙はないようだ。


「おはようなんだ」


 そんな声。出窓の手前に敷いてやったタオルの上でむくむくになっているカラスのオミが「カァ」と鳴いた。眠たげだ。も一つ「カァ」と鳴くと、実際、「眠いんだ」などとほざいてくれた。


「いい夜だったし、いい朝なんだ。窓のそばにいるぼくとしては、暖かいし、眩しいんだ」

「太陽に焼かれて死んでしまえ」

「ひどいんだ、きみはいつもひどいんだ」

「さて、今日はどうしようかね」

「決まってはいないのかい?」


 デモンは汗っかきのガラスのポットからグラスに水を注いだ。ぐびぐび飲むと、身体中に水分が浸透していくのがわかった。


「相棒からは、もう必要ないと言われた」

「相棒?」

「ヴェインのことだ」

「彼は何をしたいって?」

「決まっている。デュプ、ひいてはロンデスをぶっ殺してやりたいのさ」

「そういうことならまあ、きみがそばにいてやる理由もないんだ」


 デモンは「おまえのほうは? 友人は?」と訊いた。


「できたよ。かわいいコばかりなんだ」

「おまえの楽観主義には恐れ入る」

「主義の話で言うと」

「なんだ?」


 オミはぴょこんと、真上に跳ねるようにして立ち上がった。


「前にどこかで話題に上ったと思うんだ」

「だから、なんの話だ?」

「貴族主義なんだ」

「記憶にないが」


 そう答えても、オミは「話したんだ」の一点張り。


「話したとして、なんだ?」

「それってそれほど間違った思想なのかな? という話なんだ」

「間違っちゃいない。愚民どもをうまくコントロールできるのであれば統治者は誰でもいい。要はバランスの問題だ」

「そうなんだ、そのとおりなんだ。だとすれば、ゴーレムがヒトを治めるのもありなんじゃないのかな?」


 飛躍した物言いである。

 だがまあ、一理ある。


「一般市民は、権力に関する監視者、インスペクターは必要だと言うけれど、それはそうかもしれないけれど、市民の知能、あるいは知識レベルが一定のレベルを満たしていないと判断すらできないよね。そういった意味でも、ぼくは賛成なんだ、ばんざい、貴族主義!」


 カラスごときが、ほんとうに生意気を言ってくれる。


「ぼくは賢いんだ。だから、その任を賜るようなことがあれば、立派にこなして見せるんだけどなぁ」

「あいにく人類はカラスに政治を任せなければならないほど、衰退してはいないようだぞ」

「カラス差別なんだ」

「言ってろ」


 ホント、カラスごときが何をのたまう。


「ああ、それにしても、どうしたものかね」

「ヴェインとの接し方? 悩んでいるの?」

「奴さんの宣言に則るかたちでほっぽってやることはできるんだよ。ただ、人生における時間など限られているんだからな。興味深い事象については極力見逃したくない」

「面白くなるということ?」


 デモンは邪に口元を歪めた。


「一万にものぼる均一的集団を敵に回そうとしているんだぞ。あらためて考えると、それはまあまあ楽しい話だろうが」

「だから関わってやろう、って?」

「何かが起こるなら――そう考えて、もう少しのあいだ、いてやろうということだ」

「何も起きないほうがいいよね。この街の、この国のヒトたちからすれば」


 寝間着の前のボタンを全部開け、デモンはベッドに仰向けになった。


「おい、カラス」

「なんだい?」

「デモン・イーブルが命じる。フロントで新聞をもらってこい」

「人使いが荒いんだ」

「カラスはカラスだ。ヒトではない」


 戸をノックする音がした。返事をすべきところをそうしないでいると、戸の下の隙間から新聞が顔を覗かせた。親切なことだ。それとも自らが昨晩頼んだ結果なのか――悪いがそんなこと、いちいち記憶したりしない。


 新聞を拾い上げ、デモンはロッキングチェアに座った。ぎぃぎぃと前後に椅子を揺らす。早速一面からチェックする。記事を確認し、読むと、思わず「んんん?」と声が漏れた。なんでも、ヴェインが指名手配され、かつ、彼の首に賞金がかかったのだと掲載されている。先達て、巨躯のゴーレム兄弟をぶち殺したのが原因だろうか――恐らくそうなのだろう。「導光教」、あるいはロンデスもなかなか隙は見せないなと思う。しっかりしている。自らの首根っこを掴まんとしてくる輩には容赦しないし手段も択ばないというわけだ。この国はゴーレムの権利をきちんと認めているのだなと改めて感じさせられもする。扱いはヒトと同じだ。でなければ、ゴーレム殺しで指名手配になるなんてことはないに違いないのだから。


 デモンの左肩に乗って記事を眺めていたオミが、「きな臭いことになってるね」などと知ったふうな口を利いた。「この一件を、言ってみれば断罪できるのって、いったい、誰なんだろうね」と続けた。


 とりあえず、いよいよ弓を引かれるようであれば――。


 泥仕合の様相が目に浮かび、だからもう少し、この街に留まろうと考えた。どろどろとした出口の見えないイベントは、それはそれで楽しいものだ。



*****


 人生における退屈さほど忌むべきものはなく、だからいつも元気でゴキゲンでありたいデモンではあるものの、じつは寝ることは得意だったりする。どこでも寝られるし、どれだけでも眠れる。この稀有な特技は自らと疲労とを乖離させ、日々の健やかな生活をもたらしてくれると言っていい。この国――グレシアに今しばらく世話になろうと考えているわけであり、だがこれといった行動を起こす必要はないと決めている以上、ベッドで横になっている時間が短くないわけである。


 ヴェインの奴が頼ってくるようなら面白い。


 そんなふうに考えているのだが、その気配はまるでなく、だからデモンのここのところの時間はじつに一定だ。カフェでうまい紅茶を飲み、夜になるとワインやウイスキーを口にするといったいたってつまらない習慣ができあがりつつある。ある種の吉報を待ち望んでいるわけだが、現状デモンは、暇なままだ。


 ――と、そんな折のこと。

 ついにヴェインが宿の一室を訪れてくれたのである。

 それは深夜のことで、外からはしとしとと雨の音が聞こえていた。


 デモンはロッキングチェアの上、ヴェインは角ばった硬い椅子の上、二人は丸いテーブルを挟んで、互いに上質な樽の賜物だと思われるウイスキーをロックで、口にしている。


「復讐が、終わったんだ」


 興味深い報せだと思いはしたが、ありえる情報ではあったので、デモンは「ほぅ」と口をすぼめるだけだった。


「デュプはもちろん、ロンデスの首もとったと?」

「ああ。明日の朝刊に載るだろう。派手に、やったんだ」

「それはそれは」デモンは感心した。「で? そんなつまらんことをご丁寧にも報告に来てくだすったのかね?」


 するとヴェインは「ダメかな?」と苦笑交じりに言って。


「ダメとかそういう問題ではない。何を目的に、おまえはここを訪れたのかという話だ」


 また、苦笑のような表情を見せた。


「ゴーレムを皆殺しにしたい。俺は前にそう言ったが」

「やめにしたいなら、やめにすればいい」

「そうじゃないんだ。ただ、やめられるなら、やめにしたい」

「わからんな。何が言いたい?」


 伏せていた目を上げ、ヴェインは強い目を向けてきた。


「デモン・イーブル。おまえに俺の怒りを受けきる準備はあるか?」


 ……なるほど、そういう話か。


「自分では止まれんから、誰かに止めてもらおうということだな?」


 また、また、ヴェインの苦笑。


「いけないか?」

「そうは言わんさ。――ただ」

「ただ?」

「悲しいな」


 デモンの笑みは、きっと優しい。



*****


 誰もいない、夜に満ちた公園。街中にあって、くどいまでの寂しさを放っている。これといった遊具が見当たらないせいだろう。工事中らしい。そのうち、ブランコもジャングルジムも作られるのではないか。


 まったくの黒の中――しかし闇にはすっかり目が慣れ――。

 向かい合って、対峙して――。


「デュプとロンデスはどうだったね? 殺した瞬間、悦は得られたのかね?」

「俺のしようとしていたこと――それがひどくつまらないことなのだと気づかされた」

「ああ、だいたい理解した」

「連中を殺しても、俺の愛するアーリィは帰ってこない」

「だから、何をほざきたいのかわかると言ったぞ。つまらん帰結だ」


 デモンは右手で左の肩をさすった。

 暇を持て余していたせいだろう、多少のこりを感じている。


「おまえが止まりたいのなら止めてやろう。せめてもの情けだ。それくらいの優しさは、どうやらわたしにだってあるらしい」

「ほんとうに、俺に勝てると思っているのか?」

「軽んずるように最強は名乗らん。だがわたしは負けんだろう」


 ゴーレムなんて皆殺しにすればいい。

 あらためて、ヴェインはそう言った。


「だって奴らはニンゲンじゃないんだから」

「もうしゃべらないほうがいいな」とデモンは言い。「支離滅裂になりつつあるぞ。後悔のせいか? それとも迷いのせいか? いずれにせよ、潔くかかってきたほうがいい。どうかおまえをわたしの中で永遠のものとしてくれ。絶対に失望など、させないでくれ」


 ヴェインは顔を俯け、それからいよいよ瞬きすらせず、目をぶつけてきた。「殺す! 誇りにかけて!!」などと言い、「俺は最後まで俺のままだ!!」と重苦しいセリフまで吐いた。


「抜け! 刀を!!」

「突っかかってこい」

「抜け!!」

「いいから、来いっ!!」


 ヴェインが地を蹴り、飛び上がった、高く、高く。右の拳を振り上げる。叩きつけるようにして振り下ろしたそれを、デモンは右手で抜き払った刀で受けた。拳と刃のあいだで火花が散る。たかが拳のくせに硬度がありすぎる。さすがは“超級”。左のボディーブロー、脇腹を狙われたので、それは左手で受けて防いだ。右の拳を刀にがんがんがんがん叩きつけてくる。受け続けるうち、足元の地面がべこんと凹んだ。なかなかの迫力ではないか。敬意を表すに値する。


 右手の刀を左から右へと薙ぐように動かし、ついに拳を弾いた。必然、たがいに距離をとるようなかたちになる。デモンは左手を前にかざす。ぼっぼっぼと火の玉をいくつも放つ。異常な俊敏性。かすらせることすらなく、ヴェインはすべて避けてみせた。やる。ほんとうに、やるではないか。


 右の拳を、再び刀で受けた。口惜しそうにヴェインは口元を歪める。なぜ一人の女のそれにすぎない細腕を突破し砕けないのかと歯痒いのだろう。しかし、デモン・イーブルとはそういうものだ。折れないものは折れないのだ。


 なりふり構わず――といった勢いで、ヴェインは左右の拳を振るう。素早くよけ、あるいは刀で受け、触れさせない。余裕はあるようでないような。わずかな隙を見て斬撃の魔法――左手の人差し指と中指とを相手の首を刎ねるようにして右から左へと動かした。ヴェインは上半身を大きくのけぞらせることでかわしてみせた。デモンの顔は喜びにゆがむ。見えるはずのない斬撃が、どうやらヴェインには見えているらしい。「見えているなぁっ!」と声を大にすると、「見えている!」と返してきた。


 バク転して退いたヴェインが右の手のひらに発生させた氷の弾丸をふぅと吹いて飛ばしてきた。細かいそれらを刀で斬る、すべて。牽制の意味しかなかったらしい。すぐさま凄まじい勢いでヴェインは襲いかかってきた。受けてばかりでは芸がない。突破口も見い出せない。そこで真上に飛んでやりすごしてみた。すると対空の右の拳を突き上げつつ迫ってきた。ミスったなと思った――冗談だ。身体を捻ることでその一撃をすんでのところでかわし、駒のように回転しながら、背中に一太刀、浴びせてやった。肉体の強度のせいだ、浅い一撃に違いない――が、背にもらったという事実は奴さんにとって重大であるはずだ。やられるかもしれない。その感覚を確かにしたことだろう。


 ヴェインは――ここにきてはっきりした、カラテだ、腰をぐっと下げた構えから、右の拳を後ろに引き絞る。


 油断はできんな。

 死ぬのはごめんだ。


 そう考え、デモンは左方に伸ばした左手の先に「便利な倉庫」を出現させた。普段は不可視の物置だ。彼女が望んだ折にのみ姿をなす。手探りだけで中をまさぐり、適当な脇差を取り出した――倉庫は宙に溶け込むようにして、ふっと消えた。


「都合のいいトランクルームか。妙な魔法だ。初めて見た」

「さあ、打ってこい。おまえに死を見せてやる」


 次の瞬間、ヴェインはすぐ前にいた。潔い。長引かせることなく勝負を決めるつもりだ。攻撃がワンパターンなのはその性格ゆえか。それとも、あるいは断罪してほしがっている? ――そうなのだろう。


 自慢の左の拳でも貫けない。それでも愚直に突き出してきた。右の刀で止める。止めているあいだに、左の脇差で二、三、四とテンポよく胸から腹部にかけ、突き刺した。右の太ももも刺し、それを連続の最後とした。大小持ったら勝ちだし、大小持たせた時点で負けなのだ。大きく吐血し、口の端からどろりと血を流す、ヴェイン。デモンは右足の先で顎を蹴り上げ、彼のことを仰向けにした。喉元に逆手に持った刀の切っ先を突きつける。


 どこからともなく現れたオミが、デモンの左肩に舞い下りた。


「言い残すことは?」

「ない。俺には、もう、何も、ないよ」ヴェインは両の目尻から涙を伝わせる。「最悪の人生だったというわけでもない。愛すべき女性に出会えたのだから」

「しょうもない事案ではない。ただ、おまえは至極凡庸な男だった」

「殺せ」

「言われずとも。ミスター・ヴェイン、あの世でも達者でな」


 ちょうど喉の真ん中を、ぐさりとやった。


 喝采するように、オミは両翼を広げ、「カァッ!」と鳴いた――。


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