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朝、街外れの小さな農家。その一室を間借りするような格好で、デュプは一人で暮らしていたらしい。デュプは現在十七歳。老人はデュプが十二の折にひょんなことから彼を知ることになり、「僕は一人だ」との唐突かつ不躾な告白を受け、哀れに思い部屋を貸し与え、一緒に暮らすようになったらしい。老人は老人で妻に先立たれ寂しい思いをしていたのだという。利害の一致とまでは言わないが、いわゆるwin-winではあったのではないか。
一通り、老人の嘆きの声を、悲しみの感情を言葉として聞かされたのち、デュプが暮らしていた部屋を訪れた。驚きはしなかった――が、気色の悪いことだとは思わされた。部屋中に、天井に至るまで、鉛筆画でいっぱいだったのだ。それなりに髪の長いそれなりの美人さん、そんな女が描かれている。すべてが同一人物だ。アングルはさまざま。部屋中に貼られているのだから、狂気を感じずにはいられない。気狂いと純愛というのは紙一重だろうとも考えるが。
「これがおまえの恋人かね?」デモンは絵を――あるいは愛でながら訊いた。
「そうだ。間違いない」とヴェインは答えた。
「これだけの数の恋人に見つめられて、おまえは泣かないのかね?」
「涙はもう、流し尽くした」
「いいな。じつにいいセリフだ」
老人――すっかり禿げ上がった老人が、震える声で、「どうか見逃してはくれんだろうか」などと言った。「デュプはけっして、悪い子じゃあないんだよ」と続けた。
「そうではないことは、事象が証明しているように思うがね」デモンは容赦なく考えを述べる。「一概には言えんかもしれんが、近視眼的なニンゲンは、往々にして、はたから見れば頭がおかしいように映るものだ。そのへん、デュプの素質は十分だよ。そうだろう? ヴェイン」
「やっぱり、もう一度、ロンデス支部長に会いにいこう」
「そうだな。ひらひらとかわされてばかりではいかんな」
失礼しました。
律儀にも、ヴェインは頭を下げた。
老人はあらためて、「警察にも話した。ほんとうに悪い子じゃあないんだ。たとえゴーレムだとしても」と悔しげに言った。涙すら流したくらいだ。こちとらゴーレムだからと蔑んで本人を追っているのではない。そのへん、老人は誤解しているのかもしれない。
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当該国家における導光教の本部。昨日と同じく受付嬢に大きな道場のような畳の間へと導かれたのだが、ロンデス支部長の姿はなく、かわりに二人の大男が立っていた。茶色い髪、長いのと短いのがいて、ともに切れ長の目、大きな口。双子だろう。顔立ちが似すぎている。オーバーオール姿で、どうやら肉体労働者らしいと知る。
「貴様ら、ゴーレムかね?」とデモンは訊ねた。
「おねえさん、まずそれを問われますか」と口を利いたのは長髪のほうだ。
大人びた丁寧な言葉のわりに、幼い口調、その印象を受ける。
理由はわからないが、しゃべるのはあまり得意ではないようだ。
「おまえたちはゴーレムかと訊いたんだが?」
「そうですよ」と長髪のほうは答え、左手の甲のタトゥーを見せてきた、墨で描いたような五芒星――。「こう見えて、我々はロンデス様の側近です」
「そんなことはどうだっていい」
「デュプのことですね?」
「ああ。すぐに連れてこい。そいつをぶち殺してやれば、じつは万事解決なんだよ」
「譲歩はできません」
「ほぅ、それはどうしてだ、泥人形殿」
泥人形殿。
そんなふうに殊更に煽ったところで、面白い反応は得られない。
「察するに、ロンデスからわたしたちを殺せと命じられている?」
「そのとおりです」
馬鹿め。
デモンは邪に顔を歪め、そう言い放った。
「特に男性のほうを殺せ、と。デモンさん、そうでしょう? ヴェインさんが死んでしまえば、あなたが我々を敵に回す理由はなくなるはずだ」
「それはそのとおりかもしれん。――が、あいにくこちとらあまのじゃくでね。遊び半分で、導光教のすべての個体を“ダスト”と認定するかもしれん」
「迷惑です」
「はっきり言ってくれるじゃないか」
「私と弟はヒトを殺すことに長けています」
「だから、ゴーレム風情、ごときが、わたし相手にナマをほざくな」
双子のゴーレムが背負っていた鞘から大剣をそれぞれ抜いた。
「泥を斬るなどまっぴらごめんだ」
デモンは右手を前にかざした。炎で溶かし尽くしてやろうと考える。遮るように進み出たヴェイン。
「おまえが? やる、と?」
「俺の問題だから、俺が片づける」
「だというなら、はなからわたしを誘うなという話だが?」
「できるだけだと言ったつもりだ」
「なら、どうぞ」
デモンは前に向けていた右手を下ろした。この場はヴェインに預けようと考えた。ヴェインは何も装備していない。赤シャツに黒いジャケット、黒いズボンというだけだ。だが、“超級”だというのだから、なんらか、やるのだろう。
ぶるると空気が若干、微動した。ゆえに、デモンの鼻はむずむずした。さっと上体を後ろにのけぞらせた。何かが鼻先を通過した感覚、感触。まず間違いなく斬撃の魔法だ。始末が悪いことに刃は見えない。不意打ちとして使われてはもらうことは必至なのだが、そのへんはまあ、デモン・イーブルである。逸早く察知し、避けるくらいの反則、お手の物だ。
「デモンさん、無事か?」訊ねてきたのはヴェインだ。
「無傷だよ。おまえこそ大丈夫なのか?」
「音がした」
「音?」
「斬撃の魔法は無音、不可視だからこそ意味がある。使ったのは兄のほう。ヒュンッという音がした。使い手としてはランクが低い」
なるほど。
しっかり見えて、聞こえているようだ。
「手は?」
「やっぱり貸さなくていい。行く」
「せいぜい、気張るといい」
ヴェインが勢い良く畳を蹴った。高い天井すれすれまで飛び上がって、長髪ゴーレム――兄のほうに襲いかかる。ここに至っても武器はない。牽制の魔法を使うことすらなく飛び込んだ。兄はバックステップを踏み、退くことでその一撃をかわした。もろに食らえば終わっていたに違いない。ヴェインが振り下ろした右の拳は畳を容赦なく破壊――真っ二つにしたのだから。まだまだ手加減したものと思われる。容赦なくやれば優に畳の下の板までぶっ壊しただろう。デモンはすたすたと壁際まで歩いた。邪魔はしないし邪魔にならないようにしてやろうと考えた。それだけではあまりに芸がなく暇に違いないから、弟――短髪ゴーレムに向けた右手の人差し指と中指とを、空間を斬るように左から右へとピッと動かした。すると瞬く間に首ちょんぱ、顔と胴体は切り離された弟は、操り人形が糸を失ったがごとく、ぐしゃっと崩れ落ち、土に帰したのだった。
そこには確かな怒りがあったように見えた。ヴェインは左の拳を背の後まで引き絞った。単純なパンチだ。それがわかるから、兄は胸の前で両腕をクロスさせて守りに徹しようと考えたのだ。しかし、ヴェインの左のストレートの前には無力だった。防御を突き破られ、向こうの壁までぶっ飛んだ。「ピュゥッ」とデモンは短く感心の口笛を吹いた。兄はなんとかといった感じでがれきと化した壁の向こうから姿を現した。左右とも、二の腕から下がない。覗くのが骨肉ではなく虚ろなねずみ色の泥ばかりであることがゴーレムたる性質の証明か。負傷しながらも這い上がってくるあたり、大したものではないか、兄ゴーレム。不敵に笑いすらしたくらいだからかなり買える。
「さすがは“超級”。聞きしに勝るとはこのことです」
「まだやるのか?」ヴェインの声は大きくない。「殺すのは、いや、壊すのは簡単だ。だけど――」
「ヒトがゴーレムに対して、壊すとはいただけませんね」
「ゴーレム相手だから言っている。ロンデスはどこだ?」
「ご自宅で女でも抱かれているのではないでしょうか、ニンゲンの女を」
それならそれで、面白い。
そう言って、デモンはクックと喉を鳴らして笑った。
「聞き方を変える。デュプはどこだ?」とヴェインは問い。
「彼は彼で、今ごろ、ロンデス様の慰み者になっているのではないでしょうか」と兄ゴーレムは答え。
はたで聞いているだけではあるものの、デモンはますます笑った。
「いったい、誰が悪いんだ?」
「ヴェインさん、それは決まっています。たかが一人の女に執着するあなた以外にありえない」
「俺が、馬鹿だと?」
「違いますか?」
「……殺すっ!」
「いいですよ。それで手を打ちましょう。しかし、あなたの手元には何も戻りはしないことをいいかげん、知ってもらいたい」
ヴェインは無言で突進した。右の手刀で頭を叩き割り、左のボディーブローで右の脇腹を抉った。間違いない。強い。巨体を砕き、あっという間に息の根を止めるあたり、その実力ははっきりしたものだ。物理的に著しく秀でていると言ってなんの問題もない。
ヴェインが歩いてきた。「手間をかけた」などと言う。「べつにかまわんよ」と応えると、「いいや、手間をかけた」としつこい。
「これからどうするんだ?」
「目標も目的も変わらない」
「だが、ロンデスはもう逃げてしまったのではないかね。デュプと一緒に」
「ロンデスは逃げない」
「なぜ、そう言い切れる?」
「奴にとっての楽園は、ここしかありえないからだ」
それはまあ、そのとおりだろう。一万人もの信者を抱えるトップであるわけだ。資産とも財産とも言えるそれを放り出して逃げの一手を打つ――その可能性は低いのかもしれない。図太く、また皮肉屋にも見えたことから、臆病風に吹かれるような格好でケツは捲らないだろうとも考える。
「ここでおひらきにしよう」ヴェインはそう言ったのである。
デモンはきょとんとなり、「どういうことだ?」と首をかしげた。
「デュプとロンデスを見つけるまで、これからどれだけかかるのかわからない。なのに付き合ってもらうのは申し訳ないし、あなたとしても割に合わないはずだ」
「割に合う合わないを論ずるのであれば、関わった時点からそうなんだが?」
「これ以上は――という話だ」
「わたしはかまわんと言っている」
「それでももう、終わりにしたい」
顔を俯け、嘆くように息をついたヴェイン。何か思うところがあるのかもしれないが、「要らない」と言われてまで付き合ってやろうとは思わない。「後悔しても知らんぞ」と嘲笑してやるにとどめた。
「デモン、あなたはまだこの街に残るのか?」
「さあな。決めるのはこれからだ」
「デモン」
「だから、なんだ?」
「俺はあなたを裏切るかもしれない」
この男は何を言っている?
そう疑問に思い、デモンは眉を寄せた。
しかし、まぁ、どうでもいいな。
デモンはヴェインに背を向けると、右手をひらひら振りながら歩きだした。「バイバイ」以外の、意味などなかった。