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12-1.

*****


 どうでもいい街でどうでもいい仕事をしていた――武器商人のボディガードである。しかし面白がってやっていた。たまたまの案件ということもあって、あくび交じりながらもこなしている。支払いはいい。どうやら高く見積もってもらい、上等に買ってもらえているらしい。雇い主の慧眼具合ははなはだ正しい。とことん見る目があるとも言う。相手はデモン・イーブルなのだからそうあれとはのたまいたいが。


 ある日、当該武器商人――アシモフはデモンを抱きたいとか言い出した。それは彼女を高給で雇った時点で暗黙の了解と化した約款なのかもしれないが、デモンは丁重に――嘘だ、「アホか」と一言で真っ向から断罪した。がっくりと項垂れはしたものの、ただそれだけで済ませない雇い主――アシモフである。アシモフは「金じゃあ買えないものなんていくらでもあるわな」と納得顔だった。基本、デモンは特にヒト科のオスなどサルくらいにしか考えていないのだが、そのへんをわきまえた上で接してくる異性は嫌いでないのである。尊いとまでは言わない。ただ勉強家で正しい価値観を有しているとは言える。学びについて熱心なのはとても良いことだ。


 ところどころが明るいオレンジ色のランプの火で構成された、闇の深い空間、丸テーブルの向こうの武器商人――アシモフとシャンパングラスをチンとぶつけ合い――。「なあ、デモン、俺と結婚しちゃもらえんかね? 俺はホント、本気なんだぜ?」と先方は今夜もくどく口説いてきた。ほんとうにしつこい。何かの折には殺してやることもやぶさかではないなと考える。


「アシモフ、馬鹿だな、おまえは。伴侶がいてのその物言い、迂闊でしかないんだぞ。浅はかさを謳うばかりで、ゆえに信頼だってとことん失うことになるだろうさ。しかし――」デモンは窓の先、ずっとずっと向こうにある月に目をやった。「悪くない夜だ。アルコールも、まったくもって、まずくない」

「このレストラン、高いんだぜ?」

「それくらいはわかる」

「パートナーとか、そんなのはどうだっていいんだ」

「なんの話だ?」

「ずっとずっとのあいだ、仕事をしてもらいたいんだ」


 真剣な目を向けてくるアシモフにきょとんとなりもしたが、ややあって、デモンはふっと表情を緩め、肩をすくめたりもした。


「一生を縛られたくないからこそ旅をしているんだ。わかってはもらえんかね、アシモフ殿」


 アシモフは諦観したように吐息をつき――。


 も一度、グラスをぶつけ合い、それからデモンは鮮やかな赤身にナイフを入れた。口に放り込む――筋張っているところがまるでなく、美味だ、うまい。独特の辛口のソースが程良く合う。


 そんなふうに食事を楽しんでいた折のことだ――恋人同士に見合う雰囲気を醸しだすためだろう、店内はなおも至って薄暗いわけだが、そのうち、いきなりと言っていい静けさで、向かいの椅子に座っているアシモフの隣に小柄な、金髪の女性が立った。全然、二十代だ。十代後半という線もあるかもしれない。女は右の手に小ぶりのナイフを逆手で握っていて、その切っ先を、アシモフの首筋にあてがった。アシモフは両手を上げ、無抵抗のポーズ。女のほうは「動かないでくださいね? 動かないでくださいよぉ?」と子どもっぽい口調で言った。幼い口振りなのだ、ほんとうに。


 デモン・イーブルは眉を寄せ、「何者なんだ?」と問うた。


「じつは、何者でもないのですよ」

「はあ?」

「ただ、覚えておいていただいて損はないのですよ。デモンさん、その特異性、危険性から、“超級”の“掃除人”に目を配る組織くらい、どこにあってもおかしくないでしょう?」

「わたしのことをつけ回し、わたしの行動は把握している、と?」

「ほとんど、そのとおりです」


 デモンは朗らかに笑った。


「わたしはおまえたちの雇用の創出に一役買ってやっているというわけだ。そういうことなら、ぜひとも感謝してもらいたいものだな」

「そうですね。確かに私のメシの種にはなっていますですよ」

「組織の名は?」

「国連です」

「ああ、わかった。屈服させてやりたい連中の一つだ。ともあれ女よ。まずはその男を解放してもらえんかね。一応、わたしの雇い主なんだよ」

「私はラテといいます」

「あいにく、甘ったるい名になど興味はない」


 ラテがアシモフの喉元に、ぐさっとナイフを差し入れた。思いきりのいい一撃に、デモンはつい目を見開いてしまった。真白のクロスが敷かれたテーブルに、噴き出したばかりの血がぱっと散った。誰も声を高くせず、むしろ静まり返った。ラテには「どういう了見だ?」と問いたいのだが、そいつが、今、敵と思しきニンゲンが正面にいることから、そうもいかないだろう。


 アシモフのいた席に、ラテが座った。


「トランジスタグラマー」

「デモンさん、それは私のことですか?」

「ああ、述べてやってみた」

「この場で戦っても良いのですけれど」

「そう思うならとっととかかってくるといい。わたしは負けてやらないが」

「そう、そのへんです。国家転覆を図れるのが超級です。だったら、そう簡単に仕掛けることなんてできません」


 なるほど。

 とことん軽そうだが賢明な人物ではあるようだ。


「ラテ」

「なんですか?」

「あまりわたしに干渉するようだと、やはりおまえたちを牛耳ってやるぞ」

「冗談に聞こえないから怖いです」と、ラテは顎を引いて言い――。「しかし、私たちはこれからもあなたのことをそれなりに追い回します。私たちのあくまでの任務は、超級の掃除人を始末してやることなのですから」

「どうしてそのような結論に至るのかはわからんが、だったらきっと相手をしてやる。きっと問題なく殺してやろう」


 そのときだった。背後からなんらか声がして、後ろから喉元に刃物を突きつけられた。ラテと向き合っていたから、少々、反応が遅れてしまった。刃物を首にあてがわれているにもかかわらず、デモンは不遜に振り返った。男がいた。背の高い男だ。年齢は四十五、六といったところではないか。快楽主義者なのだろう。歪めるようなにやにやした顔つきで見下ろしてくる。今更ながら喉に添えられている刃物は中途半端だなと思う。中途半端なのだ、刃の長さが。ドス――原始的な匕首といったところではないだろうか。


「おまえがこのお嬢さん――ラテの上司か?」

「ああ、そうだ」


 そう言うと、男は左手の拳でデモンの頬を殴りつけた。口の中が切れた感覚。実際、口の中に錆びの香りと味が広がり、ゆえに若干の憤りを覚えた。


「おやおや、おまえは沸点が低いようだな」デモンはあらためて背後を向いた。

「ああ、だから舐めた言動、かましてんじゃねーぞ」くだんの男は薄笑いを浮かべている。「状況が状況だ。今、いつだって、俺はおまえを殺すことができる」

「ほんとうに、生意気な口だ。雰囲気から察せ。わたしがおまえに負けると思うかね?」


 今度は真上からデモンの頭をぶっ叩いた男、結構、強烈。出血し、額から頬にかけて血液が走った。


「何様なんだよ、テメェはよ」

「だから、デモン・イーブル様なんだよ。おまえの名を問わせてもらおう」

「名乗る必要なんてあるわけねーだろ」

「それでも聞かせたらどうだ? 小物でないなら、な」


 エスプレッソ様だってんだよ。ラテとは対照的に苦み走った、ふざけたコードネームではないか。


 ラテにしろ、えらく生意気な口を利いてくれた。大火力でもって速やかにぶっ殺してやりたいところだが、周りには多くの客がいる。我ながらお優しいことだな――そんなふうに思っていると、エスプレッソの奴がぱんぱんと手を叩いた。するとだ、店にいた連中が次々に退店した。ああ、そうか。このレストランのすべてのニンゲンがエスプレッソとラテが用意したエキストラであり、だから成せた現象なのだろう。演出としては面白いと言える。ホント、やるではないか。デモン・イーブルはまんまと罠にはまったというわけだ。


「さあ、これで思う存分、やれんだろ? かかってこいよ、イーブルさんよ。おまえはここで仕留めてやる」


 興が削がれた。

 そう感ぜられた。


「エスプレッソ、それにラテ。舐めるなという話だ。ほんとうに舐めるな」

「やってみなけりゃわかんねーだろが」エスプレッソは顔をゆがめて笑った。「こと実戦において、俺はテメェより経験がある」

「そんなもの、なんのハンデでもないと言っている」


 ラテがエスプレッソに向かって、「やめましょう、エスプレッソさん」と言った。切実そうな表情。何か危険を察知していて、ゆえに戦闘することを止めているのだろう。


「おい、ラテ。俺がこの女に劣ってるってのか?」

「そうは言いません。ただ――」

「ただ?」

「ここは退きましょう」

「どうしてだって訊いてる」

「万全を期して挑もうという話です」

「今こそが万全だろうがよ」


 やめましょう。

 改めて、ラテはそんなふうに言い――。


「仕方ねぇな。わかったよ。千載一遇とはこのことを指すんだとは思うがな」

「これから先、もっとチャンスがあると思いますですということです」

「だからだな――」

「よしんばここでデモンさんを殺せてしまったら、私たちは仕事を失いかねないのですよ」

「……そりゃそうだ」


 ここでやりあってもなんの問題もないんだが。

 そう言って煽ってやっても、「ここは見逃してやんよ」と返してきた。


 頭部からだらだら流れてくる血液を真っ黒なハンカチで拭いつつ、デモンは去りゆく二人に「わたしに挑むのはやめておけ。死ぬぞ?」と告げた。


「それくらいだから面白いんだよ」とエスプレッソは言った。「だがなぁ、おまえが国連を屈服させるようなことをするようなら――」

「ようなら、なんだ?」デモンは椅子に座り直した。「おまえらは馬鹿なんだろう。ゆえに相手の力量を見誤る。馬鹿だな、ほんとうに。それでもいつでもかかってこいと言っておく。突発的な戦いに陥ることも嫌いではないし、苦手でもないからな」

「楽しみにしてんよ、デモン・イーブル」

「それはこっちの台詞だよ、エスプレッソ、それにラテ」


 エスプレッソもラテも、ずんずん、力強い歩様で、店の外へと消えた。やれない連中ではないのだろう。迎え撃つ立場としてはってやりたい次第だが。


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