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11-3.

*****


 宿の一室に、リンを招いてやった。甘すぎるくらいあまーいミルクティーを振る舞ってやるとリンはとても喜んだ。「おしゃべりカラス」のこともなんなく受け容れてくれて、そのオミと話し、ころころと笑いもした。リンは十二だが、快活で気持ちのよい、ひどくできた子どもである。このまますくすく育てば絶対に楽しい未来が待っているだろう。そういうものだ、ニンゲンというものはガキに優しく、だからこそ尊い。


 ロッキングチェアを譲ってやったので、デモンはベッドの端に腰掛けている。まだ全然、朝だ。眠くないと言えば嘘になる。しかし、リンがにこにこしているので、素っ気ない態度をとるわけにもいかない。気持ちのいい少女なのだ、リンは、ほんとうに、つくづく――阿保らしい。


 その予感があったから、デモンは「で、今日は誰に会うんだ?」と訊ねた。すると「頭がヒトのそれで、それ以外は三毛猫のおじいさんと会うの」と返ってきた。


 頭がヒト?

 身体は三毛猫?


 意味がわからないから、「意味がわからないな」と正直に発した。


「導いてくれるおじいさんなの」


 導いてくれる?


「おじいさんはとても、賢いの」


 賢いだぁ?


 ツッコミだしたらきりがないので、話くらいは進めてやろうと決める。


「で、その老人とやらにはどこに行けば会えるんだ?」

「とても立派で、とても古い物を置いているお店があって、そこに絵があって、そこに描かれている、身体が猫で首から上はヒトのおじいさんが、おしゃべりをしてくれるの」


 丁寧な口振りなれど、まったくもって、なおのこと、意味がわからんことを改めてほざいてくれた。


 ――とはいえ。


「まずは行こうか、その古物商か? ――のもとに」


 リンはにこっと笑んで――。


「今日も来てくれるんだね。おねえちゃん、ありがとう!!」


 その言い分はもっともかもしれないが、デモン・イーブルは個人的にも今回の件について決着がつくまで見届けてやろうととりあえずは決めたのだ。


「行くぞ、リン。身体は猫で頭はニンゲン、そんな輩がほんとうにいるなら、ぜひともお目にかかりたいところだからな」

「絵だけどね」

「だからこそ興味深い」

「フツウは怖いって言うんだよ?」

「なんの話だ?」

「ううん」と首を横に振った、リン。「なんでもない」と微笑んだ。


 そこにあったのは愛らしい? 表情で、だからまあ、良しとしてやった。



*****


 あちこちに飾られている多様な絵がどれも「本物だ」というのだから、見ているほうからしたらむしろ胡散臭いとしか感じようがない。当該古物商の経営者らしい男は髪も豊かで――五十五らしいのだが、なんとも若々しい。そんなある種の偉そうな風体でありながら、リンについては「やあ、今日も来たのかい」などとお行儀良しで好意的だった。


「おじさん、おじさん」と、リンは古物商の男に声をかけるとくだんの絵を指差して、「早速、おじいさんとお話しさせてもらってもいい?」と訊いた。


「私はいないほうがいいかい?」

「ううん。いてもいいよ?」

「だけど、遠慮するよ。そうあるべきだと思うから」

「この場所を借りたいの」

「準備は万端だよ。それにしても、そちらの女性はほんとうに綺麗だね、美しいね」


 デモンは何も言わず、むしろ顔をしかめた。わたしが尊いのはあたりまえだとの意を込めて――。



*****


 主人が「まずは、いつものように上に置こうか」と言い、そのとおり、くだんの絵は二階へよっこらせと持って上がられた。どうにも埃っぽい匂いにくんくんくんくん鼻を走らせつつ後を追うと、そのうち横に逸れる格好で妙な部屋に行き当たったので、そっと中を窺ってみた。よくは知らない、知識もない。だが、なんらか、あるいはヒトを、ガラスの円柱、その中で培養しているように見えた。やはりデモン・イーブルは化学にまるで明るくなく、ゆえに誰がなんの研究をしていようが関心すらないのだが、それでもまあ、研究者にはなんらか意義があるのだろう――くらいには感じさせられた。単なるグロテスクな一幕に過ぎないとも大いに言えるのだが。


 前をゆくリンが「こっちだよ」と呼びかけてくれた。それくらいわかっている。問題の絵を抱える主人がそっちに入っていくのだから。暗澹とした独特なテイストにあふれている建物の中にあってもさらにめんどうそうな――かなり辛気臭い、床が畳の部屋だった。ここにあっては眩しくすらある絵が主人の手により床の間に置かれ、確かにその画に描かれていたのは、まさに三毛猫の身体にヒトの頭を持つ、いよいよ言ってみれば確かに妙な老人だった。つるっぱげで気持ち悪く映る。しかし、賢人ぽく映えもする。早速にはなるが話を聞かせてもらいたい。誰しも即物的なものだ。


「おねえちゃん、おねえちゃん、このおじいさんは、『絵の中の老人』っていうんだよ?」


 まんま見た目どおりの固有名詞ではないか。そも、ほんとうにこのじいさまはしゃべるのか? わからないままに見ていると、絵の中の老人とやらは見透かしたように「話せるのだよ、お嬢さん」などとほんとうに口を利いた。


 当然、その不可思議さに、デモンは眉をひそめたわけだ。


「おまえが誰だって、じつのところ、わたしにはどうだっていい。だが、リンの友人だと聞かされるとな。なんやかんやで捨て置けんというわけだ」

「ほぅ、お嬢さん。そんな些細な理由で我々に手を貸そうと考えたと?」

「『我々』とやらがどれだけデカい主語を示すのかはわからんが、ま、面白がるにあたってはやぶさかではないということだろうさ」


 なかばきょとんとしているリンを置き去りにして、デモンは「で、だ、ご老人、おまえは何を知っていて、何を成したいんだ?」と訊ねた。


「じつのところ、私がやりたいことなどないのだよ」


 デモンはまた眉を寄せた。


「どういうことなんだ?」

「私は絵として存在しているだけだ。ゆえに、べつにこの街がどうあったって良いのだよ」


 確かに、本人が言ったとおり、「絵だけの存在」というのであれば、べつになんの思いも考えも抱いていないことだろう。だが、リンという少女がいるのだ。この界隈に青空をもたらしたいという少女が本件には関わっているのだ。


 リンが「おじいさんが言ったとおりだよ。私はこの街にいいお天気をもたらしたいの」と言った。それはかねてからの彼女の願いなのだ。だから、絵の中の老人は「それはわかる」と理解を示したのだ――とまではわかる。


「リンよ、羅針盤は? 手に入れたのかい?」

「うんっ」元気良くリンは返事をし。「おねえちゃんが手伝ってくれたのっ」

「頼りになるようだ」

「うん。とっても優しいんだよ?」


 それは事実だ――というわけでもないのだが。


「しかしだ、リン、きちんと伝えねばならんのだ」

「おじいちゃん、それってなあに?」


 いいかげん、絵にある老人がしゃべることに違和感を覚えてもいいはずだが、リンにはそんなところはない。デモンにももはやいたずらに疑うところはない。ところどころで見当がつく――アリだろう、それって。


「この街は正しくないところだ。誰もが妄想に浸ることをよしとしている」

「それは前にも聞いたよ? それで、それがどうして悪いことなの?」

「人々は妄想を良しとしていると言った。街が暗いがゆえに貪欲なまでに欲する妄想だ。彼を駆除しないと、彼は必ず邪魔をしてくる。平べったく言うと、リン、彼はきみを殺したがっているということだ」

「そうなの? でも、いままでそんなことは――」

「シヴァとヴィシュヌの見立てが成された。そして、ドーパーが殺されたとなれば、必ず手を打ってくる。彼――ワンロンだって、一定の危機感を持つことだろう、それは永遠に近い、不屈の思いだ」

「ワンロン? そのヒトが私を殺しに来るということ?」

「そうだ。なにせワンロンは闇が大好きなニンゲンだからだ」


 デモンは軽口を叩くように「よくわからんな」と言った。すると、絵の中の老人殿が、「どういうことかね?」と返してきた。


「奴さん、その、ワンロン氏か? そんな輩、ソッコーで殺してやればいいと思うのだがね。ニンゲンなんだろう? ればっただけ、見返りが得られるはずだ」

「ワンロンは強い。実質的に、この街を支配しているニンゲンなのだからな」

「反社の王とか、そういう類の小物の話か?」

「違う。もっと別の、巨大な裏の話だ」

「ワンロン、か」

「そうだ、ワンロンだ」


 情報を得ることはできた。あとは興味の話――デモンは絵の中の老人に「あなたはかくも面白い存在なのか。ゆえに死にたくなったりはしないのかね?」と訊ねた。「ときどきな」と老人は苦々しそうに答えた。「殺してほしければ請け合うぞ?」、「わしは絵であって良いのだ」、「だったら、ほうっておくとしよう。たかが絵にしかすぎんのだから、もうニンゲンらしいことをほざくな。そうでなければ能動的に殺してやるぞ」――。


 デモンは身を翻した。上ってきた階段を下り、表に出た。リンがとことこついてくる気配がある――表に出、そのうち、隣に並び合った。


「ワンロンさん、じつは有名人なの。名前くらいなら、みんな知ってるの」

「居場所は? わかるのか?」

「妄想の世界だと思う」

「妄想の世界?」

「うん。そう呼ばれる場所があって、そこはとても嫌な匂いがするの」

「クスリか何かか?」

「そうだと思うの」


 イリーガルな実力者を屠ってきたという経験および実績は少なくない。ワンロン。どういう人物なのか、俄然、興味が湧くと言っていい。


「ワンニンガーデン」

「ワンロンがいる場所のことか?」

「たぶん、そう」

「たぶん?」

「入ったことはないから」


 それならそうであって、やむを得んだろうなと思う。


「六角形の平屋の建物で、妄想に取り込まれたヒトばかりがいるんだ、って」

「怪しげなクスリが出回っているんだろう? 警察は動かないのかね?」

「みんな、きっとワンロンさんが怖いんだろうなって。おかしい?」

「おかしくない。恐怖ほど真正直な感情はない」


 ――と、右方の路地からいきなりぞろぞろとヒトが現れた。男女問わずの大所帯。首が変な方向に曲がっている者もいて、揃って足取りはぎっこんばったんと不確か。口はだらしなく開いていて、言ってみればみな、ゾンビに近い。


「早速、おいでなすったか」デモンは呆れる思いで肩をすくめた。

「ワンロンさんの?」臆病風に吹かれたらしいリンはデモンの背に隠れた。

「一応、ヒトのかたちをしている。殺したら罪に問われかねんな」

「殺すの?」

「殺すさ」デモンは大いに笑った。「そして、罪に問われようがどうだっていい。人生とは、そういうものだ」


 じっとしていろ。リンにそう言いつけ、デモンは右手を使って左の腰からすらと刀を抜きつつ、ゾンビの群れに突進した。


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