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10-1.

*****


 べつにこれといって潜んでいたわけではなく、一息ついていただけだったので――あるいはそれを隠れていたと表現するのかもしれないが、とにかく先方にそんなふうに言われると腹が立った、といっても多少のそういう話だ。こらえきれないほどのものではない、デモン・イーブルとはそういうニンゲンだ。原則、我慢強くあろうと考えている。しかし、こんちくしょう、紫髪の人物――いいや、礼節は良し悪しはいいとして、だが、当該の女ときたら、もう――。


 儀礼的な所作でもなんでもない、デモンはとりあえず納刀し、納刀したまま、路地からそれなりに颯爽と表に姿を晒した。腕を組み、なかば嘆息すると、「わたしがなにかしたかね!」とデカい声で訊ねた。すると、紫髪の人物――いや、もうどうだっていい、女史なのかもしれないがとりあえずはババァだ、とにかく紫髪のババァ――は、「不穏分子と判断した!」などと馬鹿みたいなことを馬上から主張してくれた。噛みついてくれたとも言う。頭にきた。デモンはゆったりとした動作で両膝を折りつつ前で鞘を横にした。柄に右手をかけ、いつでも抜刀できるように構えた。ババァには「やる気なのはわかった。しかし、どうしてしゃがむ?」などと言われたが、説明なんてしてやらない。この態勢から飛び込むのが得意だなんて教えてやらない。阿呆なことに、それなりの数の兵を連れているにもかかわらず、ババァは先頭に立っている。|殺(や)れるだろう、問題なく。その危険性と可能性をババァは考慮していない。ってやったあとのことはなんとでもなる。逃げるにしても戦闘を続けるにしても、処理は簡単だ。


 刀は、ほんとうにすぐに抜ける。

 さぁて、目に物を見せてやるとするかね。


 デモンは地を蹴り、バネ仕掛けのおもちゃのように跳ね、一気に高く飛び上がった。一息に斬り伏せてやろう。斬る側も斬られる側も気持ち良くなれるように唐竹にしてやることにする。ギャラリー――兵らは揃いも揃って「姫様っ!!」と叫んだ。ババァなのに姫様か。行き遅れのクソババァが。だったらなおのこと存分にすり潰し粛清してやるぞ。


 しかし馬上で剣を抜くと、デモンの一撃を軽々と受けてみせた――弾かれた。着地にあたり、兵らはデモンをよけるようにして場を空けた――が、すぐに飛びかかってこようとする。うっとうしいものだから、デモンは右手の刀を前に突き出したまま駒みたいに一回転した。のろい連中の首を飛ばすつもりだったが、奴らはうまいこと踏み込まずに済ませ、避けてみせた。思いの外、揃いも揃って優秀ではないか。刀の反りを右肩に担ぎ、左手の人差し指と中指を前に出した。斬撃の魔法でそこらじゅうを血の海に染めてやろうと決める。容赦なんてしてやらない。


 するとだ、「待て!!」と大きな一声があった。低く威厳のある、ババァの声だ。自らの兵に何をされるか瞬時に察した? だとしたら、なかなかのババァだ。ババァにすぎないババァであることには変わりないが。


「退くべきか、それとも貴様の相手をしてやるべきなのか」ババァは喉を鳴らすようにしてクックと笑った。「お嬢さん、私はどうしたらいいのか?」

「吹っかけてきておいて何をほざく?」デモンは顔を皮肉に歪めた。「わたしは不穏分子なんだろう? だったらとっとと駆除を試みたらいい」

「試みたらときたか。やられるつもりはないと?」

「やられんよ、ババァ殿。二、三十はいるようだが、一拍いただければ、おまえを含め、部隊を根絶やしにしてご覧に入れよう」

「やはり不穏分子だ」

「くそったれと言っている」


 ババァはまた笑った、高らかに。


「いいさ。貴様は無害なのだろう」

「言ったことをいきなり覆すのか?」デモンはますます邪に顔を歪め、笑った。「くっちゃべるのが得意なニンゲンの舌には決まって油がのっている。よく燃えるということだ。さて、それでは焼いてやろうかね、その舌を」

「縁起が悪いことにな、私の年齢は四十二しじゅうになんだ」

「は?」

「貴様は私の半分ほどしか生きていないだろう? 死に急ぐものではないぞ」

「は?」

「今回は私が引こう。また会えると喜ばしい」


 まったく、ほんとうに好き放題言ってくれる。なんと身勝手な女だろうか。頭にくるより先にあっけらかんとしてしまう、呆れたくもなる。


 ババァの後方――向こうから、また「姫様っ!!」と大声。「どうしたぁ!」というババァだか姫様だか、そのへんはもうどうだっていいが、彼女はそんなふうに大きな声を発した。


「『ライズ』の連中が嗅ぎつけたようです!」

「僥倖だ! 存分に斬り捨ててやろう」


 ライズ?

 察するに、何かの組織だろうか。

 なにせ国に、街に入ってから日が浅いものだから、なんとも言えないという側面はあるのだが。


「それでは、黒き女よ。縁があれば、また会おう」


 姫様! お早く!!

 男の野太いそんな声が響いた。


 相手をするのか、しないのか。

 まあそのへんはどうでもよく、だからデモンは納刀した。


 なんとなぁくの理由でいきなり前を遮るようにして咎められたのは不本意だったが、女の剣呑さ自体は好むことができ、だからついにぃと笑みを浮かべてしまった。


 ――んん?

 それに気づき、ついそんな声が出た。


 すぐ脇の歩道で見物していたらしい十くらいであろう少年がいて、デモンは彼のことを左手で招いた。「ちょっと来い」の意である。少年は右手で自分の顔を指差し「俺?」みたいな顔をした。デモンが頷いてみせると、おっかなびっくりといった感じながらも近づいてきた。


「な、なんだよ、ねえちゃん。俺になんの用だ?」

「生意気な口だ。凍りつかせてやろうか」

「やや、やだよ、そんなのっ。冷たいの、痛そうだもんよ」

「嘘だ、冗談だ。よって逃げるな」少年のシャツの後ろ襟を掴んでやった。「さっきのババァの名前はなんというんだ?」

「バ、ババァ? あっ、あーっ、そんなこと言ったらぜってぇ殺されちまうんだぜ?」

「そんなことにはならないようなことを、ババァ本人が言っただろう?」

「はなせよ、はなせ!」


 お望みのとおりはなしてやると、少年は向こうへ前のめりにどぺっと倒れた。近づき、膝を折り、立ち上がった少年と視線を合わせた。


「女の名前をはっきり聞きたいだけなんだがな」

「レナーラ様だよ。レナーラ王女殿下だ」

「やはり、姫様なのか」

「ああ。『王の軍』の象徴さ。最強なんだぜ?」


 自らのことのように誇らしげに言ってよこした少年である。「最強」とほざいたあたり、ほんとうに最強なのだろう。少なくとも、民からはそのように思われ、慕われているということだ。


 デモンは腰を上げた。


「ねえちゃんはこれからどうするんだ?」と、少年が見上げてきた。「国に弓を引いちまったんだから、とっととずらかったほうがいいと思うぜ?」

「嫌だね」と即答し、デモンはそっぽを向いた。「旅をしている身だ。たまにはゆっくりしたいんだよ」

「気を付けたほうがいいぜって言ったんだ。この国は潔癖だから、検閲も厳しいんだ」

「潔癖に検閲か。難しい単語を知っているじゃないか」

「そうだよ。俺は頭がいいんだ」

「ほざくな、ガキが」


 問答無用のデコピンを、デモンは彼に食らわせてやった。


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