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シキミヤが言っていたとおり、「ヒグマ」は壊滅したらしい。大したものだ。名うてのヤクザをたった一人で皆殺しにしたのだから。だが、それもない話ではないだろうと感じさせられた。最近の手合いにしてはよくやったほうだと評価してやったほうがいい――と、デモン・イーブルは思うのである。
明日にも次の地へ旅立とうという段になって、宿に一人、男が訪ねてきた。「ギンロウ」のニンゲンだと言う。ぱっと見、極道には見えなかった。黒い背広に白いワイシャツ、加えてえんじ色のネクタイをきちっと締めていたからだ。デモンは起きたところで、白い寝間着姿だった。男が目を逸らしたのは、彼女の胸元がはだけていたからだろう、生真面目な男だ、好感が持てる。
「あの、ウチのオヤジがお会いしたいと……」
オヤジと言うあたりにヤクザらしさを感じる。
「一時間後だ」
「えっ」
「一時間後に訪ねる。そう伝えてくれ」
「はっ、はい、わかりました!」
男はぱぁっと嬉しそうな顔をして、部屋から出ていった。かわいい若者ではないか。若者といっても、デモン・イーブルと年は大して変わらないのだろうが。
「なんの話だろうね」丸テーブルの上のオミが、牛脂を飲み込んで言った。
「礼かもしれんな」
「お金は貴重なんだ。尊厳の象徴なんだ」
「だからといって、おまえの分は徹底的にないぞ」
「徹底的にとか、とてもひどいんだ……」しゅんとなったオミだった。
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『ギンロウ』の事務所である。向かい合い、ソファに。ホテイの後ろの壁、その上部には、墨で書かれた「仁義」の言葉が躍っている。特段、気にも留めなかったが、『ヒグマ』でも額縁に入った同じそれを見た。おかしなものだ。掲げる主義は同じなのに、縄張り争いというかたちで互いに人殺しも厭わなかったのだから。仲良くできることは素晴らしいだろう。だが、その片方が死に滅びてしまった。これからどうなるのか……と少しくらい気を揉んだのだが、その心配は杞憂に終わった。ギンロウの親分殿であるホテイが、「何も変わりませんよ。ゴーダさんが亡くなられたのは残念ですが、しかし、もう決め、決まったことですから」と述べてくれたからだ。ホテイはシキミヤのことにも触れ、「偉そうかもしれませんが、デモンさん、お疲れさまでした。あなたがいなければ、この街にもたらされるのは混沌でしかなかったでしょう」と微笑んだ。
「要するに、シキミヤは強かったですか? という話です」
「馬鹿を言うなと抜かしておきたい」
「謙虚とも言えるお言葉ですね」
「そんなふうにうまいこと言葉尻を掴むのが、おまえという男らしいな」
ははっと、ホテイは弾むように笑った。
「この年になると、もっと言えばこれくらい偉くなったらとでも言うべきかな? 最近、ヒトに褒められることがめっきり減りましてね」
「べつに褒めているわけじゃあない。ただ、立てた方針には共感する」
「それを持ち上げているというんです」
「どうでもいい。どうとでも解釈しろ」デモンはふんと鼻を鳴らした。「で、具体的に、これからどうするんだ?」
「急ぐ必要もない」ホテイは言った。「ゆっくりやります。私の子たちには、改めて、何事についても、一から徹底的に教え込まないと」
腕を組み、「偉いものだ」とデモンは頷いた。
「ホテイ、おまえは最後は、何になりたいんだ?」
「飲み屋でも開きたいなと考えています。開いたところでどうせ前職がバレてしまうことでしょうが、それでもがんばれる居場所を作りたい」
デモンはらしくもなく感心した。その旨、「立派な志だ。基本的に、おまえは優しいんだろう」と評価し、言葉にもしたわけだ。ホテイは年甲斐もなく、嬉しそうに満面の笑みを浮かべたのだった。
「ああ、ところで、なんですが」
話が変わるようだ。
それなりにせっかちなデモンは、「なんだ、なんの話題だ?」と訊ねた。
「じつは、シキミヤの身辺調査をしたんですよ」
「今更か?」
「そう思われるのも当然です。そうです。もっと早くにすることもできた、ただ――」
「ああ、理解したぞ。自らの周りでうろちょろされたら、シキミヤの性格からして、そのへんを潰しにかかったということだな?」
「ええ、そのとおりです。だから、それもあって、なかなか裏を探ることができなかった」
「調べてみて、何がわかったんだ? 面白いことでも見つかったのか?」
それは……。
呟くようにそう前置きし、ホテイは難しい顔をした。
「一人の女性が、ですね、シキミヤにも、それがあったようなんです」
「ほぅ」まるきり興味が湧かない話でもなかった。「愛した女がいるというわけだ。で、そいつがどうしたんだ? おまえたちが復讐ついでに殺すのか?」
「そんなことはしませんよ。私は問答無用の、根っからのヤクザですが、その論理に嫌気が差すこともあるんです」
「じゃあ、どういうことなんだ?」
苦笑じみた表情を、ホテイは顔に貼り付けた。
「彼女がいる場所を知りたくはありませんか?」
「知らんでもいいな。だが、教えてもらおうか」
「病院なんです。この界隈で、最も大きな病院です」
なに?
その意外さに、デモンは眉を寄せた。
「じつは、一人の女性というのは、シキミヤの妹なんです。病院には入院しているということで……」
デモンはホテイからさっと目を逸らした。無論、気圧されたとか、そういうわけではない、不思議さに思考を集中しようと巡らせたのだ。
「エマさん、というのですが、彼女は目が見えないそうでして」
デモンは怪訝に思った。
「目が見えないという事象が解決した――その症例を、わたしは知らんのだが?」
「私もですよ」
「だったら、どうして入院を?」
「どんどん食が細くなっているそうなんです。軽々に物は言えませんし、言いたくもないのですが、やはり、盲目であることについて、絶望しているのは?」
「筋の通る話ではある」
「私の部下を配置しています」
「病院の警備に人員を割いている、と?」
「ええ。それなりの数を、目立たないように」
それなりの数を目立たないように配置するのは難しいように思う。しかしそれくらい、シキミヤの妹のことが大切だということなのだろう。もっと言えば、兄の死とは切り離されるべき女性を守ろうとしているのだ。誰の手からというと、それはもちろん、『ヒグマ』の残党からだ。この期に及んで彼らが「知らない」なんてことは考えにくい。
「彼女の権利を侵害することは許さない」ホテイの、力強い言葉だった。「なぜなら、彼女にはなんの罪もないからです」
「話の流れからして、その旨、聞かされると思ったよ。信じてもいいのかね?」
「はい。そうである以上、我々とヒグマとのある種の諍いは続くのかもしれない」
「それでいいのか?」
「守ることは重視しなければなりません」
「納得した」デモンは言う。「正義の味方とまでは言えないが、ホテイよ、おまえがやろうとしていることは、きっと正しい」
「恐れ入ります」と言って、心からであろう、ホテイは微笑した。
「新しい世界とでも言えばいいのかね、そこに不要なニンゲンは徹底的に排除するといい。それが妥当な手段であり、また、優しさとも言える」デモンは「話はもうない」と言って、ソファから腰を上げた。去ろうとしたところで、思い出したように気がついた。「妹君の入院先を、まだ教えてもらっていなかったな」
するとホテイは「いいですよ、もちろんです」と快諾してくれた。
「ただ、わたしは好きなように振る舞うだけだぞ。それでもいいのか?」
「あなたは絶対的なモノを有している」
「それは?」
「誠実さです」
誠実さ。
阿呆を抜かせ、そんなもの、とうの昔に取っ払ったつもりなんだがなと苦笑が漏れた。
「メモが必要ですか?」
「いや、教えてもらえればそらで言える」
「……心苦しいんです、ほんとうは」
「その妹君が何を感じるのか、軽々には判断できんということか?」
「そうです。私にはどう判断すればいいのかわからない――それが正直なところなんです。だから――」ホテイは気まずそうに言う。「だからこそ、あなたに期待したい。申し上げたとおり、彼女は必ず、我々が守ります。それを理解させてくれとは言いません。ただ……ほんとうに思うんです。誰かが兄の死を伝えないと……でなければ、誰も浮かばれないでしょう?」
まるで綺麗事だなと感じ、デモンは深々と吐息をついた。ソッコーで安易に冷笑できないところが、自らの弱みだとも考えるし――考えた。