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今になっても肩で風を切ってシキミヤが多く姿を現す場所があるとの報を受け、女をはべらせるにはうってつけの店を訪れた。
会えた。
背中には大衆を脅すような墨があるだろうと匂わせる。確かに黒い身なりだ。見るからに筋骨隆々だ。黒いTシャツも革のパンツもパツパツである。そして、左の耳たぶのホールピアス、そこから垂れたチェーンに鈴――なるほど。天下の往来でフツウのニンゲンが見たら思わず道を譲ってしまうことだろう。威圧感が、ハンパない。
豪奢なテーブルを挟んだ先に、シキミヤがいる。デモンは立っていて、先方は横柄な態度でソファでふんぞり返っている。確信があるからこそ、ついに「シキミヤだな?」と訊ねたわけである。するとシキミヤは顔を皮肉そうに歪め、「おう、チチデカねーちゃん、こっち来い、揉ませろや」としょうもないことを言ったのだった。
「わたしの胸は確かにデカいが、阿呆か、おまえは」
「屁理屈言うな。殺すぞ」
「屁理屈は言っていない。文句があるなら、ヤってみろ」
デモンは両手を顔の隣に掲げ、人差し指の先に炎を灯してみせた。魔法を使えることを知らせたのだ。すると、予想したとおり、シキミヤは目を丸くしたのだが、次の瞬間、同じことをした。本能で危険を察知したのだろう、接客していたえらく薄着の女らが小さく短い悲鳴とともに立ち去った。
「おまえは殺したんぞ、チチデカ女ぁ」
「その呼び名はなんとかならんのかね」デモンはふるふると首を横に振った。「さて、今、ここでやるかね? わたしはいっこうにかまわんが?」
シキミヤがゆっくりと立ち上がった。
それから右手を上に、左手を下にして、なんらか構えた。
両手のあいだに生じたのは、渦巻く炎だった。大きい、火力はかなりのものだろう。軽薄そうな男に違いないが、つくづく力量は確からしい。ぼっと発せられ、ゴッと飲み込むだけの勢いはあった。だが、デモンは障壁を展開して、その炎を簡単に遮り、防いだ。その間に、シキミヤは逃げた。はしこいとはこのこと――。
近くにいた女に「どこに行った?」と訊ねた。
一人が恐々の声で「裏口です」と返してきた。
まだ裏技を隠しているのであれば、油断はできないだろう。だが、それ以上に奴を野放しにしておくわけにはいかないと考えた。街のニンゲンがどれだけ死のうがてんでかまわないのだが、不思議とそんなふうに感じられた。
それにしても、危険の察知力と物理的な素早さはともかくとして、体躯にフォーカスすると、とてもではないが「殺し屋」には適していないように考えられる。じつに太い身体。努めてでも痩せていたほうがいい――などという意見は一般的すぎて無意味でしかない、か……。
デモンは額に右手をやった。奴はデモン・イーブルに興味を持ったはずだ。だとすると、恐らくだが、なおのことでもある、この街から簡単に姿を消すことはないだろう。しかし、こちらから能動的に探し当てるとなると……めんどくさい話だ。現状、捕まえられる気がしない。デモン・イーブルの怠け癖がその一因だろうが。
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さまざま考えた結果として、街の宿を転々とした。一所に留まるのは良くないと考えた。見つかったら先手を取られる。弱味を握られるかもしれない。迷惑に違いない他者というか第三者の介入を許すことにも繋がりかねない。欲を言えば、何気ない街歩き――要するに当てずっぽうに探索して見つけたい。どうしたって、知り合いは巻き込みたくないのだ。まったくお優しいことだなと思う。しかし、そのときそのときの思いに従うのがニンゲンというものだ。だからそのへんの気持ちをいたずらに否定しようとは考えない。奴は見当たらない。あちこち女が接客する店を回ったが、どこにも顔を出していないらしいと知るに至った。初対面のあの夜になんとしても殺すべきだった――そう思う。街中に網を巡らせている自信はある。なのにいっさい、かからないとは、やはり鼻の利く人物だからなのだろう。
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残念さをくり返すうちに、少々の疲れを感じたので、宿の部屋でロッキングチェアに座りながら、フルボディの赤ワインをすすっていた。まるで酔えない。シキミヤが姿を見せないことに苛立ちを覚えていた。どこだ? いったいどこに行った? イライラが膨らむ。――が、それはわたしらしくない感情だと思い、鼻から息を漏らすことで心を落ち着けた、高ぶりそうな思いを胸の奥に沈めた。丸テーブルの上にはローストビーフがある。さして好ましいとは言えないが、オミの奴はえらく喜ぶことはあたりまえ。そういえば今日は姿を見ていないなと、窓を開けた。「カァカァッ!」と、大きな声を出しながら入室してきた。丸テーブルに下り立ち、「デモンっ、たいへんなんだっ!」とうるさいまでに言った。
「何がたいへんなんだ?」
「サクヤが! マリとリックが!!」
何を察しても、悟っても、青ざめたりしないのがデモンだ。だが顔をしかめ、舌打ちした。何が起きたのか、一瞬で予測できた。
根拠がいまいちわからない。だからなぜだと頭の上にクエスチョンマークが浮かぶ。奴といよいよ関わるようになってからは、サクヤの家を訪れることはなかった。どこからか情報を得た? そうなのだろう、そうとしか考えられない。なるほど。情報網を駆使する、どうやら大した男ではないか。
デモンは黒ずくめのファッションに身を包むと、部屋を飛び出し、ネクタイを締めつつ歩みを進めた。もう死んでいるだろうになぜ足を早めるのか。他者からそう問われれば、「そのへんは酌んでくれ」と答えるかもしれない。まったくもって、浅はかな行動だ。つまらん思考だとも言える。
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先日、街で拾った犬が庭で死んでいたから、オミは「おかしい」と思ったらしい。なにせ死体だったものだから、「わっ」と驚きもしたらしい。縁側の戸が開いていて、そこで家の中を覗くと、前のめりに倒れ、サクヤもマリもリックも揃って死んでいるのを見つけたとのこと。三人とも背中も胸もめった刺しで、見るにも無残だったらしい――。優しいらしいオミは「カラスは泣けないんだね。悔しいなぁ……」などと漏らした。デモン自身、怒りは覚えなかったのだが虚しさは感じた。
リック宅で無惨なそれらの死体を見下ろしながら。
「ねぇ、どうするんだい、デモン。いい加減、なんとかしないと、もっとヒトが死んでしまうかもしれないんだ」
「やかましい。今、考えている。――まあ、
「ほんとうに?」
「シキミヤの阿呆はわたしにかなり執着しているんだろう。『ヒグマ』よりも『ギンロウ』よりもだ。大通りを行き来してやる。今までより大いにしきりにだ。チャンスとばかりにどこかのタイミングで仕掛けてはずだ。ヒトの目を気にする奴でもないだろうしな。奴の仕事は荒っぽい。つまるところ、馬鹿なのさ」
上空から見ていてもいい?
オミはそう訊ねてきた。
「面白い見世物になるとは思えんが?」
「誰よりもきみの相棒でいたいんだ」
変な構文であるように聞こえた。
デモンは肩をすくめ、血生臭い部屋を後にした。
そのうち警察がやって来るだろう。
もはや立ち止まる理由など、どこにもない。
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大通りを歩いた。馬車の往来がないときは、できるだけ、道の真ん中を歩いた。ナンパをしてくる勇者は少なくなかったし、「その道」の――夜の仕事のスカウトの男も絶えなかった。美人も考えものだなと思う。しかし得することもままあるので、一概に損だとも言えない。
――突然のこと。
右手の路地から、堂々と、シキミヤが現れたのだった。左の耳たぶのピアスホール、そこからチェーンを垂らしていて、その先の鈴がりんりんと鳴る。とても耳につく音だ。奴さんのトレードマークと言って差し支えはないのだろう。
シキミヤは両手を広げ顔を左右に倒し、首をぽきぽき鳴らした。そのたび、やはり鈴がりんりん鳴った。「よぉ、チチデカ女ぁ、名前、まだ聞いてへんかったなぁ」と言った。下品な言葉についてはなんとも思わないが、妙に力がある目には嫌な感を覚えた。やるだろうとは思わない。ただ、とことん不快ではある。
「おまえに名乗る名などない。ただ、聞かせろ。おまえはサクヤという子どもを殺したろう? 女だ。女の子どもだ」
「ああ、殺したったな」シキミヤは皮肉そうに笑いながらも、強い目をした。「おまえと仲良しやって耳にしたもんでなぁ」
「どこで訊いた?」
「そんなことが重要やって思うんか? たった今、『ヒグマ』をぶっ潰してきたところなんやわ。組長には世話になったんやがな。でも、じゃかあしいわっ!! って話でな。俺が食いっぱぐれることになったら、どないしてくれんねんな」
呆れた。自己中心的さがすぎるとはいえ、コイツほどの実力があれば、どこに行っても相応に幸せにはありつけただろうに――。
「ヒグマもギンロウも、もはやどうでもいい」
「はぁ?」
「わたしがおまえの行き止まりだ」
「なら相手んなったる! 来いやぁっ!!」
シキミヤが右手を大きく後ろに引いた。その手は真っ赤な炎をまとっている。やはり「火」が「得意」なのだろう。強く放たれた炎の渦をについてデモンは抜刀、下から上へと斬り裂いた。なんとも勘がいい。右手で炎を撃ちながら、左手には大振りのナイフを持ち、シキミヤは突っ込んでくる。鍔迫り合い――。「よぉ、ねえちゃん、なんで俺の膂力を受け止められんねや、しかも片手だけで。俺は強いんやぞ!」、「馬鹿抜かせ、強くない。相対的な話だが強くはないぞ。女に負けたことが悔しいなら、女に負けたことを噛み締めて死ね」。
もう一度、炎を放ってきた。なるほど。少しは頭が回るらしい。一辺倒な戦いぶりはそこにある経験則を信じているからだろう。炎を斬ってのけるとすぐ目の前にシキミヤの姿があった。「ばぁっ!」とふざけたようにべろを出す。りんりんと鈴が鳴る。りんりんと、りんりんと。逆手に持ったナイフを振り下ろしてきた。だが、甘い、甘すぎる。顔面目掛けてのその一撃を左に避け、足払いをして転がしてやった。自慢の刀を血で汚すのもなんだと思い、斬撃の魔法でサイコロステーキみたいに斬り刻んでやった。この世に別れなど告げさせなかった。「こういう奴」には「それ」がいい。簡単すぎたな。それもこれも自らが強すぎるだからだろうとわかっている、わかりきっている。
さて、サクヤ一家に報告に行ってもいいなと考える。――いや、やめておこう。この街においては火葬なのだろうか、土葬なのだろうか。いずれにしても、気が滅入るばかりに違いない。こんな情けない感情は久しぶりだ。嫌なものだなと、強く思わされた。