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9-3.

*****


 定宿のように、サクヤの家を根城にした。マリは「いつまでいてもいいんですよ?」と言ってやはりころころ笑うのだが、そうもいかない。わたしは成果を上げるために、ためだけに、今、この街にいるのだ。どうしたってマリにもサクヤにも言うことはできないなんとなくの現状にあるが、事を成したあかつきにとっとと説明責任を果たして引き揚げる物理的な準備――あるいは論理的な気構えはとっくにできている。どこにいようがどんな環境に置かれていようが、それはあってあたりまえのことだと言うより他にないわけだ。少なくともそうやって生きてきた、これからも生きていく――。


 その日の夜も、サクヤの部屋でサクヤのベッドの上でサクヤのことを寝かしつけた。寝るまで左手を離してくれないのだ。「どうしてだ?」と訊ねると、「おねえちゃんのこと、大好きなんだもん」――。デモン・イーブルという女――ニンゲンについてえらく誤解されているようだと感じたのは当然なのだが――。


 もうマリも眠っている時間帯だ。ただなんとなく眠れずに酒を飲もうと考えた。アルコールのありかは知っているのである。すると――。


「やあ、きっと来てくれると思っていましたよ」


 家の主であるリック――が、暗いランプのもと、笑った。ウイスキーだろう。琥珀色のそれを、氷と共に楽しんでいる。フレアバーテンダーなる華やかな職のせいか、長身のリックは垢抜けて見える。七三に分けた髪には白い物が混じっているものの清潔感があり、おしゃれにも見える。一般的に評価すると、「イイ男」だということだ。


「なんでも言ってください。ごちそうしますよ」

「強いのをくれ。ミルクで割ってもらえると、なんでも嬉しい」

「舌が子どもなんですね」

「言ってくれる。芸は? 見せてくれるのか?」

「勘弁してください。家で失敗すると後片付けがたいへんなので」


 何についても「出来るニンゲン」とうのは所作がしっかりしているものだ。よって失敗する様子など想像がつかないのだが、まあ、見逃してやってもいいかと考えた。


 かっ、かっ、かっ!


 アイスピックで氷を削っている音だ。そのうち振る舞われたのは、まあるい氷に入ったウイスキーだった。ミルクうんぬんのくだりは却下されたらしい。


「なあ、リックよ」

「なんでしょう?」

「そろそろお暇しようと思ってな。わたしにもそれなりに申し訳ない気持ちみたいなものはあるようだ。気遣いとも言うな」

「マリと、なによりサクヤが寂しがります」

「だから、そのへんはだな――」


 暗い最中、リックは微笑んだ。

 ぼっと浮かんだようなそれは、優しい色を湛えていた。


「デモンさん、あなたは『ヒグマ』と『ギンロウ』から仕事を請け負われているのですね?」


 少々、驚いた。

 どうして知っている?

 誰に話した覚えなどないのだ。


 リックはますます、にこりと笑った。


「一応、アルコールの場で働くニンゲンですから。望もうが望むまいが、いろいろと報せは入ってきます」


 デモンは舌打ちした。暴力団の組員などたかが知れているとは考えていたが、いとも簡単に内部事情を打ち明けてしまいやがるとは――。


「私はです、デモンさん、ヒグマもギンロウも、さほど迷惑な連中ではないと考えているんですよ」

「客として訪れる分には、悪い奴らというわけではないということだな?」

「はい」


 デモンはここで、一つ、深く吐息をついた。


「わたしはな、リック、ご想像のとおり、ヒグマとギンロウのボスに会ったんだよ。ツーカーとまでは言わんが、信頼関係が築けたとは考えている。彼らは商売をたたみたがっている。一般市民……カタギだな、そんな連中に迷惑をかけることは、もう終わりにしたいそうなんだ。うんざりしているそうなんだ」


 リックは「それだとお客さんが減るかもしれないなあ」と呑気に笑った。「なにも解散する必要はないと思う――というのが正直なところです。彼らの親分殿の考えはもう行き渡っていて、だから――」と謳った。


「だが、ゴーダとホテイの意思は固いらしくてな。自ららを根拠とした暴力。も一度述べるが、それを根からなくしたがっているんだよ」

「そうすることで、誰かが幸せになるのでしょうか」

「つくづく、いい質問だ」本気でそう思った。「あるいは治安が悪くなるかもしれない。縄張りというファクターを重視するからこそ、間接的に、彼らがこの街を他者から守ってくれていた――ということもあるだろう」

「それでも?」

「ああ。どうあれ両者とも、この街を守ることは怠らないだろう。それが奴さんらに課せられた役目だと言える。たとえ、自分たちが蔑まれ、貧乏にさらされようが、連中はやるぞ」


 悲しそうな顔を見せ、それから苦笑のような表情を浮かべた、リックだ。


「なんという皮肉なのでしょうか。一つ、申し上げておきたいんです。私たち、フツウに暮らしているニンゲンについて、暴力団の行動など、ほんとうに何も及ばないんですよ?」

「ヤクザという職を容認するということかね?」

「それは……」

「ヒグマもギンロウももはや悪くない。ゆえに、あんたの店に顔を出したら、うまい酒を振る舞ってやればいい。そうすることは誰も否定しない」

「しつこくしますが、あなたの役割は、ヒグマとギンロウについて、上手に終わらせることではないのですか?」

「そのとおりだ」与えられたミッションのつまらなさから嘲り笑ってもよかったのだが、デモンは肯定だけしておいた。「ところで、シキミヤという男を知っているかね?」


 顎に右手をやり、「シキミヤですか」と考える素振りを見せたのち、リックは割り切ったように「知っています」と溜息交じりに答えた。「三度、いや、四度も五度もいらしています。私の芸を見てとても感心したようで、チップをくださいました。そういうヒトは、自然と記憶に残るものです」


 なるほど。

 飲み屋のマナーくらいは知っているのか。


「どんな男だった?」

「真っ黒でした。頭のてっぺんから爪先まで……ええ、ちょうど、あなたのように」

「最近は? もう来ていないのだろう?」

「はい」

「どうやら自らの立場をきちんとわきまえているようだな」

「殺し屋だと窺ったときには、てっきり冗談だと……」

「わかりやすく、整理しておこうか」デモンは言う。「ヒグマにしろギンロウにしろ、奴さんらが解散してしまうと、シキミヤは大口の顧客を失ってしまう。だったら他の地に仕事を求めればという話になるわけだが、どうやら奴さんはこの街にご執着らしい」


 だからこそ、危険なのだ。

 何もかもを失いかけているシキミヤが何をするかわからないから。


「黒い出で立ちであることはわかった。他に何か特徴はないか?」

「特徴かどうかはわかりませんが」

「なんでもいい。教えてくれ」

「左の耳に大きなピアスを開けていました。そこからチェーンを垂らしていて、その先には鈴が」


 デモンは「うん」と一度、頷いた。


「それは良い報せだ。黒いなりに鈴のピアス。尊く貴重な情報と言える」

「またいらっしゃる――もうおいでになるとは思えませんが、その際にはすぐにお伝えします」

「それでいい。そのときわたしが掴まるとは限らんがな。なぜならわたしはわたしの嗅覚に頼り、あちこちに出回っているだろうからだ」

「では――」

「無論の話だが、奴さんがどういうニンゲンのか、そのへんわたしは詳しく知らん。そうである以上、とことん安全を期すなら、この街の市民には事が収まるまで自宅待機を命じたいところだが、それは現実的ではないだろう。せめておまえたちだけは、なんとかならんか?」


 リックは穏やかに笑み――。


「そうもいきません。私を唯一のバーテンダーとして、喜んでくださる方もいますから」

「つまらん事情だ――とは言わんが、すべては自己責任になるぞ」

「妻と娘には家から出ないように言いつけます。食料品の買い物だって、私がなんとでもします」


 誰を大切に思ったわけでもないが、とりあえず早々に狩る必要があるな――と思わされた。シキミヤ、か。忌むべき名であり、忌むべき人物なのだろう。


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