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組の事務所にて「ギンロウ」の長と会っていた。黒い革張りのソファ。ピカピカのテーブルの向こうには長――ホテイの姿。総髪の若々しい男だ。四辺を囲んでいる組員どもは「ヒグマ」の連中と同様の警戒心が露わ――というほどでもないが、まるっきり受け容れられているとは言えない。おっかないとも言えなくはない。しかし誰も憎々しい表情など浮かべていない。統率が行き渡っているのだ。大したものだと素直に思う。
「先方、ゴーダさんからは『とにかく会ってほしい』としか伺っていないのですが、しかし、彼があなたを寄越した以上――」
「寄越したなどと言われると遣いのようで多少癪に障るが、まあそうだ。奴さんから信任を受けたことには自覚的だし、そうである以上、どうあれ本件に関わってやろうと考えている。事がうまいこと回ると素晴らしい。その点においては利害が一致すると思うのだが?」
「あなたは美しい。だからなのかもしれない」
「突拍子のない世辞は結構。まるで興味がない」デモンはふんと鼻を鳴らした。「詳しいところを聞かせてもらいたいな。ホテイだったか? そうだ、ホテイさんよ、おまえはほんとうにその気なのかね?」
この期に及んで嘘をついてどうします?
そんなふうに、ホテイは述べた。
そこには自信が窺え、ゆえに信じるに値するかもしれないと考えた。
「であるなら、現状、何も問題がないように感じられるな」
「そうでしょう? ――しかし」
言いにくそうな顔を、ホテイはした。
「なんだ? 何かあるのか?」
ホテイが浮かべたのは、間違いなく苦笑いだ。
「じつは、解散劇を行うにあたって、危なっかしい存在がいましてね」
危なっかしい存在?
「男、それとも女か?」
「男です」
「その野郎の何が危なっかしいんだ?」
少し俯き、また苦笑を浮かべながら、「男です」と無意味に二度目。どんな男なんだと訊ねた」、「ですから、危なっかしいと」、「それはもう聞いた。具体的に述べろ」、「それは」――。
「はっきり言え。でないとわたしは気に食わん」
「ほんとうにはっきりおっしゃるのですね。素敵だ」ホテイは微笑んだ。「界隈で最も金のかかる殺し屋です。そこに問題が」
殺し屋くらいどの街にもいくらでもいるだろうと思った。
だから、そのまま「それがどうした?」と訊ねた次第だ。
「申し上げました。一番の殺し屋だと」
「だから、それがどうしたというんだ?」
「そう言えるあたり、あなたはほんとうに大したヒトです」なんの意味があるのかはわからないが、ホテイは前屈みになり、両手の指を絡ませた。「恐ろしい人物、だということです。彼がその気になれば、ゴーダさんも私もすぐに消されてしまうでしょう。どれだけの警戒を払ったとしても、ね」
デモンは目線を上に向け、二秒、考えた。
「理解した。その殺し屋とやらは、時と場合によって、「ギンロウ」からも、「ヒグマ」からも、依頼を受けていたということだな? 拠り所など必要としなかったということだ。言い方を変えれば、無鉄砲であり、なにより自由だ――となる」
「ぐうの音も出ないほど正解です」基本的に大人しい人物なのだろう、ホテイは深く頷いた。「我々が組織をなくするわけです。でしたら、その殺し屋は――シキミヤは、どうすれば良いのでしょうか」
「シキミヤ、か。もう一度確認だ。男なんだな?」
「はい」
なんとも興味深いお話ではないか。
誰彼問わず、殺しだけを良しとしているのだから。
「食いっぱぐれるのかね」
ホテイは首をかしげてみせた。「どういうことですか?」と問うてきた。
「だから、この街で食えないのであれば、他の街に行けばいいと言っている」
「それはですね……」
「なんだ?」
「たとえば、ギンロウもヒグマも、彼を、シキミヤを裏切ったわけです。となれば、恐らく両者に対して攻撃をしないとは考えられない」
デモンは「はっ」と発し、ケラケラ笑った。「まずはリベンジからというわけだな」と言って、さらにケラケラ笑ってやった。
「器が小さいことだ。そういう輩については、数で潰してやればいいだけだと思うがね」
「それができれば、どれだけいいか……」
「できないのかね?」
「ええ。なんとかなるのであればなんとしてでもやります。しかし、果てなき犠牲を払ってもできないだろうというのであれば……」
ギンロウにヒグマ。
この時点で、彼らの限界がいよいよ知れた。
「だがなぁ、ホテイよ、解散劇に際して駆除すべき人物がいるのは理解したが、そのへんをどこの馬の骨とも知れない私に依頼することについて、なんの違和感も覚えないのかね?」
「もはやヒグマとの合意は得られています」
「わたしに頭を下げろということだろう? だからといってだな――」
ホテイは頭を下げたのである。
一度下げ、そのまま顔を上げないのだ。
「正直に申し上げます。私どもからしても、ギンロウのみからしても、とてもではないが、シキミヤに勝つことは不可能なんです。いわゆる藁にもすがりたい……わかっていただけませんか?」
デモンは0.2秒ほど考えた。
暇潰しの成れの果てだ。
「報酬は?」
「えっ」
「いくらもらえるのかと言っている」
ホテイは考える素振りを見せた上で、「そういう問題ではないと考えています」と言った。なるほどである。ゴーダと同じく、非常に気持ちの良い回答ではないか。
「それで、その輩が現れる場所はわかるのかね?」
「彼は警戒している。そもそも自らについて何も明かしていない人物です」
「なんとも奥歯に物が挟まったような言い方だな」
「具体的に調べたことがないんですよ。万一にもそのへんが知れれば、彼の牙にかからないとも言えませんから。ええ。皆殺しにされかねない」
「大した男なんだな」
「そう言っています」
ホテイは申し訳なさそうな顔をした。「ただ、ギンロウとヒグマの組員ばかりを、場所を問わず、殺して回っているのは事実です。そんな事態が現状です」
「奴さんはどうして、そちらさんの組員だと嗅ぎ分けることができるんだ?」
「奴はとにかく鼻が利く――としか言いようがありません」
なるほど。
あやふやな理由だが殺しに長けている者とは、そういうものだ。
――デモンは三秒考えた。
その末、もたらされた結論――。
「調べていれば、なんらか手掛かりには行き着くだろう。それ以外は知らん」
「じゅうぶんです。なにせ私は私どもは、あなたにお願いする立場なのですから」
「潔いとは綺麗なことだ」
「やむを得ない措置と言えます。すでに組員には複数での行動を徹底させています」
「わかった、いよいよ納得が得られた」
「納得、ですか?」
「ニンゲンが行動するにあたってもっとも重要な要素こそ納得だ」
失礼しました。
ヤクザの親分はこうも簡単に頭を下げるものなのか。
腑抜けだなと思うより先に、なりふり構っていられないだろうと、少々哀れに感じられた。
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奴さんだってまさか昼間から仕事はしないだろうとの思いから――かと言って宿に引き籠っているのもなんだから、デモンは街歩きをしている。少々くすんだ白い石造りの建物が建ち並んでいるのだが、街自体はそれほど古いとは感じさせない。むしろ、言ってみればオシャレだ。小奇麗だということだ。路地は少なくない。ただゴミ箱が多い程度でなんの変哲もない。そうか。こんなせせこましいところであるいは連続的に殺人が行われているのか。――酔狂だな。だが、人目につかないという観点ではあたりまえのロケーションであると言える。
白く、黒いような、ある種のアイスクリームの色合いにも似た石畳を進んでいたときのことだ。左肩の上にいるハシボソガラスのオミが気分良さそうに「とても綺麗な街並みなんだっ」と語尾跳ねで言った。それなりに人通りがある道を歩いているわけであり、だからカラスが肩に乗っているだけで注目を集めてしまうのだが、そんなことおかまいなしに、オミは口を開いたのである、人語をくっちゃべったのである。「黙れ」という意味を込めて右手で頭をこつんと小突いてやると「ごめんなんだ……」としおらしくするあたりは、まあかわいい。
――女子が向こうから駆けてきた。「ひゃああああっ!」と悲鳴を上げる彼女は少女と表現すべきだろう、十や十一ではないか。道を行く者らは少女をよけるようにする。なにが「ひゃあああああっ!」なのかというと、野良だろう、体毛の豊かな茶色い犬に追われているのである。デモンが堂々とし、眉を寄せながらもその位置から動かないからか、少女は彼女の後ろに回り込んできた。犬を殺す趣味はない。ふざけ半分ながらもしっかり「わんっ!」と吠え返してやったデモンである。犬が尻込みしたのがわかった。犬はすぐに引き返しそうである。しかし、少女はデモンの身体の陰から姿を覗かせるなり、「あっ! 待って待って!!」と言ったのだった。犬に呼びかけたのだ。それからぱぱっと犬に近づき――すると犬は警戒の目を浮かべながらも、少女の撫でる手に従ったのだった。
デモンは一人と一匹に近づいた。なんだか犬は申し訳なさそうにしているように映った。「ごめんね?」とでも言わんばかりの顔をして、素直に少女に頭を撫でられている。
「どういうことなんだ?」
「ずっとこのあたりにいるの」今度は喉を撫でてやる少女。「きっと怖い思いしかしたことがないから、びっくりして、私のことも追いかけてきたの」
「今は賢いように見える」
「そうだよ? 犬って賢いんだよ?」なぜか少女は照れ臭そうに笑った。「一緒にいてあげたいなって思うの。ダメかな……?」
まるで親に対しての質問だなと思う。にしても、「飼ってあげたい」とは言わず、「一緒にいてあげたい」との文言には優しさを感じざるを得ない。デモン・イーブルにあって、それは珍しい感情だ。
「従順そうだ。一緒にいてやっても、問題はないだろう」
「ジュージュン?」
「ああ、従順だ」
「きっと立派な言葉なんだねっ」
そういうわけでもないのだが――。
「おねえちゃんも協力して!」
いきなり、なんの話だ?
「おねえちゃんみたいに優しいヒトが話してくれたら、パパもママも納得してくれると思うの」
なんとも面倒な話ではないか。――というか、経験から言って、どうして少女というのは例に倣ったように「イイコ」が多いのか、となる。たまたまイイコにばかり出くわしているだけなのかもしれないが。
「わかったよ」どうせ暇だしなと思うのは生涯において何度目のことだろう。「ただ、昼食くらいはご馳走してもらおうか」
「昼御飯だね? ママが作ってくれるから大丈夫! おねえちゃん!!」
「今度はなんだ?」
「上から下まで黒ばっかりで黒いコートまで着てるけど、暑くないの?」
「暑くない」
「おねえちゃんは凄いんだね!」
帯刀していることにはツッコミを入れられなかった。少女の快活な性格からして、「すごいね!」くらいに思われ、そのままになったのかもしれない。
「肩のカラスさんは、なあに?」
「ただの物好きだ」
「物好き?」
不満そうに、「カァ」と鳴いたオミである。
その意図が通じたのか、少女は「あははっ」と笑ったのだった。
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ほんとうに少女は自宅に案内してくれた。まずは犬が右の前足を怪我しているようだったので、塗り薬と包帯を持ってこさせてテキトーに処置した。適当ではない、テキトーだ。ニンゲン様の塗り薬だが、まあいいだろうと簡単に解釈した。それなりに大きな茶色の犬なのだが、出てきた少女の母親も悪い顔をしなかった。「お母さん、お母さん、一緒にいてもいいよね?」と少女が伝えると、「仕方ないわねぇ」とでも言わんばかりに頬を緩めた。大きな犬だ。怖いかもしれない。ただ、娘の善意を蔑ろにすることはできないのだろう。大丈夫だ。優しい家庭にあればきっと長くやっていける。
他と同じく、少々黒ずんだ石造りの二階建ての家屋だ。広い庭が裏手にあって、犬を飼うには絶好と言えるだろう。犬は縁側で丸くなり、眠ってしまった。ようやく安寧を得られた――と言ったところなのではないか。デモンに至っては、母親からも歓迎された。厚遇を得られたことは喜ばしいのだが、オミの奴には去ってもらった。あとで牛脂を買ってやることを約束すると、「お願いなんだ」と良い、ばさばさと元気良く飛んでいった。
促されたダイニングテーブルに着いていると、白いシチューがやってきた、白いパンと一緒に。少女はデモンの隣に座り、「パンもシチューもおいしいんだよ? おいしいんだよ?」としきりに言った、にこにこ笑いながら。そこには確かな幸せがあるのだろう。なによりだと言える。
食事を終えると、洗い物を終えた母親がやってきた。向かいに座ったところで、「ごちそうさま」くらいは言う。失礼な言い方になるが、「これがわたしのデフォルトなのでな」と断りを入れた。母親は目を大きくしてから表情を大きく崩し、「なんて逞しい女性なのかしら」となかば感動を覚えたようだった。中年と言って差し支えがない女だと思われるが、ころころ笑う様は若々しい。
「父親は? おまえにとっては旦那か。どうしたんだ?」
「バーテンダーをやっています。夜の仕事なんです」
「ほぅ。儲かる仕事なのか」
「どうして、そう?」
「周囲と比べて、この家は幾分大きい。おまけに庭まである」
母親はまた笑った。
ふふ、と上品に。
「確かにお給料は多いかもしれません。主人はがんばっていますから」
「その旨、否定する気はない。実際、そうなんだろうさ」
「フレアバーテンダーってご存じですか?」
「言葉くらいは存じ上げているよ」
「夫は、『それ』なんです」
「素晴らしいな」
「そうですか?」
「ああ。客商売、と言っては失礼かな? ただ、客を喜ばせることができるニンゲンはこの上なく尊いと考える」
ああ、ほんとうにあなたは美しいんですね。
そう言われてしまったから、妙な照れ臭さを覚えた――なんてのは嘘だが。
「あなたの名前をお聞かせいただいていませんでした。お教えいただけませんか?」
「恐る恐る訊く必要はない。言って減るものでもないしな。ただ、おまえの名から聞きたい」
「失礼しました」
「そういうことじゃあない。とにかくおまえの堂々とした母親ぶりを、わたしはすこぶる心地良く思っている」
それは本音で、だからデモンは頬杖をついて、目を細めた。
「マリといいます」
「マリ?」
「どこにでもある凡庸な名前だと思われますか?」
「ああ。ゆえに、愛しいなと感じる」
「どういう意味ですか?」
「わたし自身、よくわからん」
こういうことはままあるとは言わないが、ときどき、ある。
「今日はお泊りいただけませんか?」とマリが言った。
「そうだよ、泊まってよ! おねえちゃんと一緒に寝たい!!」
そこまで安全なニンゲンだと買われても困ってしまうというものだが――。
「あのなあ、おまえはなんだ、クソガキよ、おまえの名前はなんという?」
「サクヤだよ! おとうさんがメチャクチャ悩んで付けてくれたんだよ?」
良い名だなと素直に思った。隣の席からにこりと笑って見上げてくるこの少女は潔癖で、汚れを知らず、だからこそ尊いのだ。少女――サクヤには幸せであってほしい――とかふと思ったものだから、らしくないなとデモンは自身に苦笑した。馬鹿げた感想とは無縁でいたい。
結局、名乗った。
二人とも、とてもいい名前だと褒めてくれた。
彼女自身、まるでそうは思っていないのだが――。