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朝食後、優雅にフツウのコーヒーを嗜んでいた。料理はコーヒーを淹れるのも含め宿の主人が一手に担っているのだという。その昔、主人の女房、セイラの母は病に倒れ、そのままだったらしい。痛ましい事象と言えるが、ありがちとも判断できる。
丸テーブルの上では、オミの奴が「おいしいんだ、おいしいんだっ」などとアグレッシブな感想を述べながらラードをつついている。今日は朝っぱらからばしゃばしゃしっかりと行水をしてきたらしく、その甲斐あってえらくご機嫌だ。壁掛時計が九時を告げ、それから十秒と経たずにドアがノックされた。許しを出したところ、入ってきたのはブンタとセイラ――デモンが椅子から腰を上げ、腰の左側に帯刀すると、二人は彼女の両手をそれぞれ引っ張った。早く行こう行こうということらしい。その無邪気さは愛らしいいっぽうで、極悪なデモンからすれば面倒くさくもある。
「どらごんさまは優しいから、ねえちゃんにだってきっと優しいよ」
「そうだよ、そうだよっ」
ブンタとセイラ――はしゃぐように、二人は言った。
どらごんさま、か。
どんな外見で、どんな価値観を有しているのか。
極端なまでに嫌な奴であるほうが面白味があるのだが。
コンプラ違反はもちろん、モラハラ、パワハラ、ばっちこいだ。
村の外に出た。円錐状の岩山の上のほうに問題の洞窟はあるらしく、螺旋状に山登りしながら、目的地を目指した。
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到着。洞窟の脇で正座をして、両手を合わせている老婆を見つけた。長い白髪は艶々、綺麗だ。彼女自身、女であることをまだ放棄していないように映る。なにやら、なんとなくではあるのだが、祈りの言葉を続け、それを捧げているように見える。「おがみおばばだよ」とブンタがひそひそ言ってくれて、それから彼はそのおばばとやらに駆け寄った。「いつも言わせるなよな、おばば。一心不乱すぎると風邪ひいちゃうぜ?」と小生意気なことを告げた。おばばは祈ることをやめない。それこそまさに一心不乱。困ったなぁ。そんな顔を向けてくる、ブンタ。おばばの目的は釈然としないが、とりあえず、彼女に用はない。自らのほうを窺っているブンタとセイラにデモンは顎をしゃくってみせた。「中へ案内しろ」なる合図である。ブンタが歩きだし、セイラも歩を進める。そんな二人に、デモンは続く。
そう深くはなく、それでもかろうじて日の光の恩恵を受ける格好で最奥と言えども暗くはない。赤い翼竜が、身を丸くして眠っていた。時間的に評価するとお寝坊さんらしいと言うしかない。体長は三メートルほどあるだろうか。少々、痩せているように映る。腹はぷっくりと膨らんでいるので、愛らしいフォルムと表現できる。ゆえに村人からも愛されるのだろう、事実、愛されているのだろう、笑みがこぼれるばかりだ。
ほんとうにぐっすり眠っているらしく、だからブンタが近づき、どらごんさまの左の頬のあたりを「どらごんさま、どらごんさま」と言いながらぺしぺし叩いたのだった。間違ってばくりと食われやしないかと多少気を揉んだのも短い時間のこと、どらごんさまはとりあえずといった感じで覚醒した。ぎょろりとした瞳は深緑で、それをブンタに向けた。「なんだ、おまえか」――どらごんさまは野太いがらがら声を放つと、微笑んだように見えた。ドラゴンが笑う? まさかとは思うが、確かにそんな印象を受けたのだ。
「おまけにセイラまでいるじゃないか。いったいどうしたんだ?」
「ヒトを連れてきたんだ。どらごんさまに会いたいって言うから」
すると今度は警戒感の交じった目を、デモンに向けてきた、どらごんさまの険しい視線というわけだ。いきなりの来客だ。当然ながら信用されてはいないのだろう。
「おまえは何者だ?」
「“掃除人”だよ」
警戒心がいっそうに増した――。
そりゃそうだ――。
「俺を狩りにきたのか?」
「そうする理由がない。知る限り、おまえには賞金もかかっていないしな」デモンは肩をすくめた。「ブンタが言ったとおりだ。ただの興味本位で、わたしはここを訪れた」
ブンタとセイラがきょとんとなっているのがわかる。
掃除人って何者なのだろうとでも思っているのだろう。
「おまえに会ってみたかった。ほんとうにそれだけなんだよ」
しばらく訝しく思うようなところを見せたが、やがて問題ナシと決めたらしい。「確かに俺を殺すつもりなら、とっくに突っかかってきているだろうな」という判断があったようだ。「察しが良くて助かるよ」とだけ、デモンは述べた。
「村とおまえとの関係性。そのへんは一通り把握しているつもりだ。しかし、村のニンゲンに加勢する理由についてはわからない。どうしてだ?」
「洞窟の脇に、老婆がいたはずだ」
「ああ、いた。彼女がどうした?」
「昔、恋に落ちた。しかし、俺は結局のところ、断った。あまりにも違う異種……。根本的にそれはどうにもならないからだ」
「そうだとして、だったら、老婆は何を祈っているんだろうな」
「たぶん、俺の幸せだろう」
なるほど。
論理的だし、ひどく合点のいく返答でもある。
どらごんさまが身体を起こした。短い後肢だけで立つ。やはり三メートル程度はある。ただ、想像していた竜――ドラゴンそのものとはやはり違うなと思う。なんだろう。やはり痩せていて、弱々しいように映る。元はもっと太っていたのではないか。ぽっこりおなかに愛嬌があるのは確かなのだがやはりそうも言ってられないのではないか。――。
「さて、腹が減った。俺は朝飯を食べに出かけるとするよ」
「何を食べるんだ?」と、デモンは訊ねた。
「木の皮や木の実だ」
「それで足りるのか?」
どらごんさまは破顔したように見えた。「足りるさ。俺は燃費がいいんでな」と答えたのである。とてもではないが、そうは見えない。なにせ大きな身体なのだ。それなりに食べないと、元気とでも言うべきか、体調を維持するなんて困難だろう。
「この山にだって鹿や猪くらいはいるだろう。なんならわたしが捕まえてきてやる」
「物騒なんだな、お嬢さんは。それ以上に優しいと言える。だが、いいんだ。草木もまずいものじゃあない」
どらごんさまは無理をしているように映る。
だとしたら、そこにある律義さ、それに感情はなんなのだろう。
慈しみの心……?
しかも万物に関する――?
恐らく、そうだ、そうなのだ。
極力、ヒトに迷惑をかけたくないのだろう。
できるだけ、動物を食らいたくないのだろう。
まったく、涙ぐましい話ではないか。
どらごんさまはのっしのっしと進み、洞窟の外まで出た。おがみおばばのほうを向いて、何か声をかけたように見えた。それから大きな赤い翼を羽ばたかせ飛び立ち、やがてデモンらの視界から消えたのだった。
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どらごんさまがどこに行っていつ帰ってくるかもわからないので、ブンタとセイラとともに洞窟を後にした。二人とも渋々といった具合だったが、やはり待ったところで仕方がないので、帰り道を選んだというわけである。
「どらごんさまってさ、草とかだけじゃあ、絶対に足りないよなぁ」ぽーんと放り投げるように言ったのはブンタである。
「でも、どらごんさまがそう言うんだったら……」俯き、どこか悲しそうなセイラ。「どらごんさまはとっても優しいから、動物を食べないんだよ?」
「そんなのわかってるよ。だけど、だったら、どらごんさまは痩せちまうばっかじゃねーかよ。つらいよ、そんなの。おまえだってわかるだろ?」
どらごんさまに頼ってばかりなら、「私は村が滅びてもいいよ」などと、まったくセイラは殊勝なことを言った。
「ダメじゃん、そんなの。村のみんなはいいヒトばっかなんだからよ」
「それはそうだけど……」
「俺は戦うぜ。誰かに支配されるなんて、まっぴらごめんだからな」
ブンタは勇猛なことを吐いてくれた。わたしはこの界隈のパワーバランスについてまるで詳しくないからなとデモンはあらためて思う。面倒事に見舞われるようなら放っておいて別の場所に進むだろう。だが、そうすることはなんだかはばかられ、もっと言うと申し訳ない気がして――そんな自分はらしくないなと考える。
「たぶん、近いうちに、襲ってくると思うんだ」
「ほぅ、それはどういうからくりだ、ブンタ」
「だからさデモン、じつは定期的なんだよ」
「攻めてくるのが、か?」
「うん」
「だとしたら、先方に勝つためのプランを立てる必要があるだろう?」
「そうでもないよ」ブンタは言う、どことなく悲しげに。「どうせ守ることしかできないんだ。防衛しかできないんだ」
そのとおりであるのは、まあ、窺い知れた。
そこにある理由は、圧倒的な戦力差だと思われる。
「デモンは戦ってくれるのか?」
なんだかよくわからないが、そんなふうに言われると弱い――のだから不思議だ。足を止めると、セイラも見上げてきた。今にも泣きそうな顔をしている。
「わかったよ」デモンはやむを得ず言う。「わたしがいれば負けんだろうさ。なぜだか、おまえたちの涙目について、わたしは弱いようだ」
ブンタもセイラもぱぁっと明るい顔をした。
でも……と呟いたのはセイラだ。
デモンが死んじゃったら悲しいよぅ……とか言う。
「だから、わたしは死なん。相手が何人いてもだ」
「ほんとうか?」今度はブンタが訊いてきた。
「心配するな」
ブンタはとても嬉しそうな顔をした。
「やはりどらごんさまも加わるのかね」
「そうだと思う。ほんとうにいつも、必ず戦ってくれるから」
「どらごんさまが死んだらどうなる?」
「えっ」
「死んだらどうなるかと訊いた」
「そんなことになったら、みんなは死ぬほど悲しむと思う……」
だったら、引っ込んでいてもらえるように言っておけ。
デモンがそう告げると、ブンタもセイラも俯くようにして頷いた。
にしても、そうか。
近々、攻めてくるのか。
争うこと自体は好きだ。
それがひどく悪いことだとも思わない。