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何事もないままゆっくり眠り、朝になるときちっと目覚め、しっかりと朝食を摂取した。お尋ね者になっているかもしれないのだが、追手の影をそばに見ることは、現状、ない。よっていっさいが自由だ。おしゃべりが得意なカラスのオミとコミュニケーションをとるなどという余裕も多分にある。オミは今日も用意してやった牛脂をつついている。あまりにうまそうに食らうものだから、まあ許せる。常々、生意気な奴だとは思っているのだが――。
宿の一室というわけだ。
デモンは椅子に腰掛けており、オミはテーブルの上で「カァ」と鳴いた。
「うまくいったの?」
「何がだ?」
「お姫様の救出のことなんだ」
「達成できていない。何よりヘルゲ・レインが死んでしまった」
「えっ、そうなの?」
「弱かった。だからやられた。うざったい事象だが、うんざりはしない」
「成果は? 何もない?」
「ヘルゲを殺した野郎は討ち取った」
へぇ、そうなのかぁ。
オミの口調は始終のんびりしている。
「これからどうするんだい? もう街を国を、去るのかい?」
「そうしてもいいんだが」
「いいんだが?」
「ペネロペ・ソリンとやらに、一度、会ってみたいというのは俗物的な発想かね」
「うーん、若干?」
「若干くらいの程度なら、目の前にしてみたいものだ」
「だったら――」
「ああ。話を進めよう。さて、リーダーを失った『ブレイブ』はどう動くのか」
デモンは優雅にストレートティーをすする。
それから小さな窓の向こうに目をやった。
今日も曇天、冴えない空模様。
「ヘルゲ氏は残念だったね。ぼくはその感想しか抱かないけれど」
「炎に包まれ、それはもう見るも無残に地に転がったものだ」
「きみなら、助けようと思えば助けられたと思うんだ」
「弱い者は死んでいい。真理だよ」
「まあ、そうなんだ」
デモンは立ち上がり、クローゼットへと向かいつつ、真白のシルクの寝間着――上着を脱いだ。するとオミが「ほんとうに女性的な、綺麗で白い背中なんだ」と多大に評価してくれた。「じつは胸も大きいし」などと付け加えてくれた。ぴしゃりと「黙れ」をくれてやった。生意気なカラスには、そうあっていい。
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ブレイブのアジトであるぼろい公民館を訪れ、広間に顔を出すなり、いきなり迫ってくる人物がいた、女だ、ララ・クルーズだ。待ちかねていたのだろう。それくらいの勢いで歩んできて、不躾にデモンの胸ぐらを掴み上げてくれた。
「おやおや、心外だな、ララ嬢。わたしが何かしでかしたかね?」
ララは目尻を尖らせている。まあ、わかるのだ。思い人であるヘルゲがやられたことについて割り切ることができないのだろう。見殺しにしたわけではないが、見殺しにされたと勘繰っているのかもしれない。しかし、どうあれ死んだ者は死んだ者だ。生き返ったりはしない。帰ってもこない。それがわかっているだろうに拳を振り上げたものだから、それより先に頭突きをかましてやった。ララは鼻血を出した。周りのニンゲンがララを止め、彼女のことを引き下がらせたのだった。
デモンは板間の地べたに腰を下ろした。円陣に加わった格好である。ララもそうした。切り替えは早いらしい――否、なおも苦虫を十か二十か、噛み潰したような顔をしている。わかる反応ではある。心苦しくはない。
「まずは話を進めたい。そうするしかない」
デモンの向かいに座る男が落ち着いた口調でそう言った。二十代の後半といったところだろうか。中肉中背でこれといった特徴のない彼の名はピート・アレナドというらしい。「ヘルゲの後釜だなんて言うと、恐れ多いけどな」などと、どうでもいいことをのたまい、軽く笑ってみせた。
「まだ何もうまく運んでいない。だけど、まだ何か大きな失敗をしでかしたというわけでもない」ピートの口振りは優しげな包容力を伴う。「デモンさん、城の地下牢に彼女の姿はなかったんですね?」と問うてきた。
彼女とはペネロペのことに違いない。ガラスの壁に遮られたその牢とやらに、確かに彼女の姿はなかった。だからこそヘルゲは無駄死にだったと思う次第だが、やむを得ないとも言えるだろう。はなから確信を得られない中での特攻だったのだから。
「勝機があるとまでは言えませんが、何かやるなら、今しか、ない」
「ほぅ。それはピート氏、本意なのかね?」
「そう捉えてもらっても」
「なるほどな」
「ええ」
ピートは俯き、いかにも悔しそうな様子。「僕はヘルゲさんを慕っていた。尊敬もしていた」と悔しそうに述べた。
「そも、つまらんな」とデモンは言いきった。
「あなたは殊の外強靭だから、そう言えるんです」
「異な事。わたしに対する評価などどうだっていい。興味もない。これからどうするのか。その旨だけを問いたい」
「界隈における最ものっぽな建物……そういうことなんですね?」
「そう言った。そして、それはわたしにだって予測がつく」
ピートは「ええ」と頷いた。
「だけど、どうしてそんなところに監禁しようと考えたのか……不可解です」
「古来より麗しの姫君にはリアルに高いところが似合うものだ。そしてそれがふさわしい」
「本気で、そう?」
「どうだかな」
「突っ込みましょう」
「金さえ支払ってもらえれば、加わることには応じよう」
「お金が必要ですか?」
「じつは、そうでもないんだがな」
デモンはふざけるようにして肩をすくめてみせた。
「前進しよう、前進しましょう。我々が滅んでも、ペネロペ様がご健在なら、この国は立ち直れます」
「はたして、そうなのかね」と疑問を呈さずにはいられない。「冷静に思考してみろ。たかが人っ子一人に国をひっくり返すようなことができるのかね?」
「できます」ときっぱり、ピートは言い切った。「ペネロペ様には、それだけの力があります」
「どうしてそう信じるに至ったんだ?」
「一目、彼女に会えば、誰もがそう感じるはずです」
くだらない見解だ、根拠がない。
そうとしか言いようがない。
「とにかく協力してほしいのです、ミス・イーブル。報酬はなんとかします」
「こういう場合、前払いがいいんだが?」
「もしそうお望みなら、対応します」
「そこまで言ってくれるのであれば、喫緊の課題については処理してやろう」
「助かります」ピートは頭を下げた。顔を上げると、「稀有な存在と巡り合えました」と述べた。
「一両日中にも、塔に向かいます」
「わたしの役割は? どう定義するのかね?」
「強いニンゲンに当たっていただきたい」
「もっともな言い分だ」デモンは軽い調子で笑い飛ばした。「応じてやるさ。つまらん輩はつまらんふうに処刑してやろう」
そしてピートは「あなたの敵は強者であることは言わずもがな」――。
「恐らく最後の一戦だ。みなに気張ることを要したい――と、わたしなんかは、思うのだがね」
「私たちはすべてを失うのかもしれません」
「否、おまえが言ったとおりだ。教祖様の救出がなれば、そこには少なからず未来――が見えるだろうさ」
「そうでしょうか?」
「信じられないのなら行動を起こすことはよせばいい」
デモンが立ち上がると――途端、ララが近づいてきて、デモンの目を見つめてきた。やはりヘルゲが討たれたことが許せないのだろう、そこにあるのは厳しく険しい瞳だ。しかし、知ったことか。恨むなら恨めばいい。敵対心を露わにされたところで不快には思わない。興味深いとも思わない。
「今夜だ、やっぱり今夜やろう」と宣言した、ピート。
ブレイブのメンバーは鬨の声を上げ、賛同した。
ペネロペの奪還作戦であり、ヘルゲの弔い合戦でもある。
ま、決起する理由なんて、どうだっていいんだがな。
そんなふうに考え、デモンは薄ら笑いを浮かべた。
死は簡単だ。
みな、その概念を、難しく捉えすぎている。